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déformer(デフォルメ)

盛り上がってるから。
どことかじゃなくアソコが。

ってコラ!


アソコって書くだけでちょっとアレな感じがしますよね(苦笑)


違います。キャラクターデザインの話です。

ボクらアジアの住人は、アジア人の顔の個性を活かした絵を描いています。まず絵を描くときはなにか対象を見て、脳でイメージしたものを利き手を通して紙やタブレットに投写します。

男性が女性の顔に抱く好みは、実はフェティッシュの集合体だということは以前も書きましたが、マンガで可愛く描くためにのデザインは、傾向としてはこのような考え方をします。

(1)鼻と口は小さいほうが可愛いと感じるから小さく描く。
(2)目は大きく描く。
(3)丸を基調に。


目は口ほどにものを言う。
だから伝わりやすいように目は凝って描く。
だから大きくなる。
こんな感じ↓(絵の上手い下手は気にしない)

可愛く描きたいからという表現者としての欲も出ます。



手脚は長く描くとスタイルがよく大人っぽく見える。八頭身くらい。
逆に関節のクビレをなくし太短く描くと幼く見える。五頭身くらい。

さてこのキャラクターは18歳としましよう。
でもより可愛く表現したいので五頭身くらいに描きました。
逆に現実的に考えたら八頭身の人ってあまりないし、五頭身くらいのほうが現実的かもしれないよねブツブツといいながら自覚的に。




さて、女の子の特徴を表す記号としておっぱいを描き入れます

そのときどういう自覚で描きますか?


【例題】
「この子のおっぱいは普通です。」
下のAとBとCから一つだけ選びなさい。
(絵のサイズは気にしないこと)

これは美意識と好みが問われますよね。


ボクは個人的にはAくらいのおっぱいのサイズが好きなんだけれど、このキャラクターはヒロインよりも色っぽくしたい、年上であることを表現したいなど様々な要素を勘案した結果BやCににしようということもよくある話です。

女性のあなたはどうですか?
Bでも充分大きいよね?とお感じになりますか?

とにかく色んなパターンを考えてください。

でも「普通」ってどれくらいでしょう?カップですか?平均値ですか?
そんなことなかなか決められませんよね。


さて、最初に掲げた絵に斜線を加えてみました。

表情が変化しました。
なんだか少し恥ずかしそうに見えませんか?

これはマンガの記号で、呼び方は人によって様々です。

ボクは「恥ずかし線」と呼んでいますが、だいたい顔が赤くなったという状態を示すのに使います。

顔が赤くなるということは、恥ずかしがっているとか嬉しくて喜んでいる。そういうちょっと興奮時に多用される効果線です。


マンガ的な絵を描く人や見る人にはほぼ備わってる認識だと思います。
ほぼと描いたのは全員に訊いたわけじゃないからです。予防線を張りました。
でも共通認識として描く側にも見る側にも備わっているであろうと期待します。

だって記号というのはそういう共通認識がないと成り立たないのです。
例えば「↓」と打ったら「下」もしくは「下を指している」と考えますよね。
そういうことです。


このところ問題になりがちな「萌え」を中心とした絵は、そういう記号をすごく活用して描かれています。例として挙げた絵、それぞれの右側へ寄りがちです。


デフォルメのひとつです。

déformer(仏: 動詞)
deform(英:動詞)
ラテン語で「形を崩す」って意味らしいですよ。

デフォルメすれば当然そこを強調してることになります。
だって絵として自覚して描いているんですから。

(ちなみにボクの今の癖は右下がりになってしまうことです。こうやって描くことで自覚したのでできるだけ修正していく所存です。)


ボクの絵のせいで「違う」と反発する方もいらっしゃるでしょう。
それはボクが萌えをベースに育ってこなかった世代であり、その成分だけで生きていないからです。

ボクら世代の絵は、すでにメインストリームから外れてることも理解しています。


でも観測することはできるのです。



銀河系のカタチをご存知ですか?
ボクらが住んでいる地球は太陽系の惑星の1つで、太陽系は銀河系の端っこのほうにあります。

なぜ端のほうだと分かるかというと渦巻き型銀河の中心は太陽のような恒星が密集していて明るいからです。有名なアンドロメダ星雲銀河のように中心が明るい美しいカタチ。
ボクらが夜空を見上げるとき「天の川」がありますよね。
都会ではなかなか見ることができなくなりましたが、キャンプに行ったりプラネタリウムに行くと見ることができる明るい雲のようなもの、アレです。

そこの一番明るいところがボクたちの住む銀河系の中心方向です。もしボクたちの太陽系が銀河系の中心のほうにあれば、夜空はもっと明るくなります。

これは観測によってそう認識されているのです。

1999年の雑誌Newtonにはこのような記事が載っています。
「われわれの銀河は棒渦巻銀河かもしれない」

ちなみに棒渦巻銀河とはこのようなカタチです。

有名なアンドロメダ星雲銀河は上の渦巻銀河に分類されます。
銀河系はこのアンドロメダ星雲銀河に似てると、ずっと言われてきました。

2015年3月にこういう記事があります。

銀河系は50%も大きかった〜銀河系外縁部の波紋構造の発見
なんと大きさも違うんじゃないかという話も出始めています。


アンドロメダ星雲銀河のような美しいカタチだと思っていたのに、どうも最近は違うらしい。なんだよ!ちぇ!
ちょっと格下げを食らった気がします。
いやそんなことよりもなによりも、50年生きてきたボクにとっては大きな事件なのです。「いいくにつくろう鎌倉幕府(1192年)」ではありませんよと言われたのと同じくらいの記憶の転換をしなくてはならないのです。
だってマンガに描くときに困る!

スタッフに銀河系描いといて!と原稿を渡したとします。

そのときにアンドロメダ星雲を描かれてしまわないか心配でたまりません!

共通認識がとれてるかどうか怪しいから心配になるのです。
うちのスタッフはロケットが好きで地球脱出速度も聞けばすぐに答えてくれますが、夕空に輝く明るい星が金星なのか木星なのか分かりません。

ボクが見ればマイナス4等級の金星の輝きはすぐに分かるのです。

もっと凄い人は天文年鑑が頭に入っているので、今時期なら…と観なくて分かります。



ちょっと回りくどかったですが、内側から見ていると美しいと感じていた物が、外側からはどのように見えてるか分かりづらいこともあるんですという話をしたかったのです。

萌え絵を楽しんで描くことはなんにも悪いことではありません。でも古い世代の表現者として確実に言えることは、絵柄の主流はどんどん変わっていきますし観測者の認識だって変わりますよということです。

もちろん萌えの絵柄だってずいぶん変わってきました。



年寄の繰り言になりますが若い世代の方々にも、ちょっとだけ頭の片隅に置いておいて欲しいのです。自分が立っている足元を「これでいいのかな?」ってちょっと疑ってみてください。

そしてボクたちが絵を描いて表現するとき、ボクたちは誰かに見てもらうために描いています。

デフォルメだって伝えたいからするのです。

その結果どういうふうに伝わるかってことは、こちら側ではコントロールしにくいことですが、その認識の誤差を少なくするのが作画の技術なんじゃないのかな?ってことです。


表現の自由は誰にでもあります。
その結果はポジティブであれネガティブであれ、当然ボクやあなたに返ってきます。

もちろんボクが公開している絵や小説や日記だってそれに則って公開しているのです。

批判も食らうことだって覚悟の上で自覚的に。






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