マスケラを狩る者〈第七章〉狩り


その瞬間、背筋に悪寒が走った。
なんだ……?いや……俺は知っている。
忘れられるはずがないじゃないか。
俺をずっとあの時に縛りつける忌々しい記憶が蘇ってくる。
 
この冷気……あの時あの豪で……
そうだ!
鈴井がマスケラになったときに感じた空気そのものだ。

「高梨公平!その女はマスケラです!」
「ますけらますけら」
「き、きさんが殺したんか!?」 
伊堂寺さんが銃を向ける。
女は動じる様子もなく、冷たい笑みを浮かべたままだった。

「まさか警察が、狩人連れてくるっちゃあ思わんかったわ」
「この男の死体は裏で見つけました。マスケラ、頭を返しなさい」
「あたまをかえせ」
燈乃の襟元でカロンが言葉を重ねる。
「ほほ、そいつは冥界の官吏かい?おかしな格好しとるねぇ」
「かわをわたるのにつごうがいいからな」 
女が火鉢を左脇に抱えて立ち上がった。

「その中ですね」
「動くな!」
俺も銃を構えた。
躊躇うなと自分に言い聞かせた。
だが、女……いやマスケラは、動じる様子もない。

「くくく、人間の道具でウチは殺せんよ」
「そのとおりだ」
「確かにそうかもしれない。だが貴様もそうなる前は、ただの人間だ。当たれば少しは効くはずだ」
「こうかはあるぞ」
「うるさい獣やねぇ。それにしてもあんた、察しがいいんやねぇ」
「貴様のように取り憑かれた男を、俺は止め損なったからな」
「なるほど、殺され損なったんやね、かわいそうに」
「なんとでも言え!殺せないまでも、せめて止めるくらいはしてみせる」
「公平!早まったらいけん!」 
 

燈乃が剣を抜いた。
「高梨公平、伊堂寺の言う通りです。あの時言いましたよね。命を大切にしてくださいと」
 

ハッとした。
燈乃は分かっていたのだ。
俺がずっと後悔し続けるだろうことを。
マスケラと対峙している間に、こいつと刺し違えても構わない……あの時、あの時間に戻れるなら……この後悔を帳消しに出来るのなら、捨て身になっても構わないと思うようになっていたのだ。

「マスケラごときに、あなた達の命を賭ける価値はありません」
「言うちくれるねぇ」
「狩るのはわたしの役目です」
「狩人、あんたいい顔しちょるねぇ。ウチを狩りたくて、いや殺したくてたまらんのやねぇ?」
女は壁を背にして右側に燈乃、そして左の土間から俺と伊堂寺さんが狙いをつけている。
だが、追い詰められて焦っている様子は伺えない。むしろ状況を楽しんでいるようにも感じられる。

「その顔……ウチがもらっちゃるわ」
女が笑いながら右手に持った火箸を水平に振った。
燈乃がスッと身を反らすと、後ろの襖が真っ二つに割れた。
「な……なんだ!?」
 

異様だった。
女の右手が伸びていたのだ。
だがもっと信じられないのは、燈乃はそれを見切って避けていたのだ。
「その腕は誰のものですか」
「狩人のくせに余計なことに興味を持つんやねぇ」

伸びた腕が縮んだと同時に、今度は袈裟懸けに動いたように見えた。
燈乃が腕の動きと同じ角度に身を傾けたから、そう見えただけかもしれない。

置屋の粗末な土壁にパックリと切れ目がついた。
だがその瞬間だった。
「ぎゃあ!」
マスケラが悲鳴を上げた。
天井から床まで血が吹き出た。
燈乃の剣が、女の腕を斬り落としていたのだ。
だがその出血は、あっという間に止まった。

「気に入っちょったのに……!気に入っちょったのに……狩人め!」

「大切にしないからです」
「どういうことだ……?」
「高梨公平、殺された女たちは、体の一部がなくなっていたと言っていましたよね」
「あ、ああ」

「奪ったのは、このマスケラです」
 
そんな事が、可能なのか……いや、そんなことを疑ってもしょうがない。

「なぜだ!?」

叫んだ。
「貴様……殺すだけでは飽き足らず、なぜ遺されたものまで奪い去る!?」
「だって、欲しかったんやもん」
マスケラは顔を泥で汚した子供のような顔をして、こともなげに言ってのけた。
そして無くなった右腕をブンと振ると、燈乃が斬り落とした先からまた腕が生えた。

「もうこれ以上お気に入りを斬り落としたら……許さんよ」
「ど、どうなっちょるんか!?この化けもんがぁ!」
ガララ
さっき俺が閉めた引き戸が開いた。

「高梨さん。金 愛淑はココに居るっち……」
岡勢だった。いきなりのことでこの状況を掴みかねているようだった。
視線をやった俺たちに、スキができた。


「ケ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
マスケラが燈乃が入ってきた襖の奥に駆け込んだ。
「待て……!」
「あなた方は追ってはいけません!」
燈乃が制して駆け出した。
「おまえらあとをついてこい」
カロンがとんと床に降りて、俺達を先導するように言った。
「かりうどのいばしょはおれにはわかる」
「なんちゃ……一体どげんなっとぉんですか?」
突然のことに岡勢は状況を掴みかねているようだ。無理もない。
「岡勢、あの女がマスケラだ」
俺達はカロンの後を追って走り出した。

「じゃ……じゃあ金 愛淑は……?」
「わからん……だが、おそらくもうあいつに殺されてる。体の一部を奪われてな」
「奪われる?奪ってどげんするんです?俺にはさっぱり分からんです」
「理屈はワシにも分からん。燈乃ちゃんが斬り落とした腕がまた生えてきよった!」
「にんげんはあたまがわるい」
「なんちゃぁこの獣ぉ。わかるように言うてみぃ」
「それにしても足元が暗いのう。公平、車から懐中電灯持って来いや」
「ハイ」

置屋から裏へ入ったあたりは、春を鬻ぐための簡素な建物か倉庫くらいしかなく、街路灯もまばらだ。まだ月がのぼっていない夜では、伊堂寺さんの言ったとおり走るのもままならない。
俺は踵を返して車が停まっている河口沿いの道へ急いだ。ほんの数メートル、大した距離じゃない。逃げたマスケラを追いかけたい気持ちを抑えて、走った。
「懐中電灯!早く出してくれ」
「高梨さん、なんかあったとですか?」
「警官が殺された……応援と鑑識を呼んでくれ」

俺は懐中電灯を受け取ると、みんなの後を追いかけようとした。
その時だった。

パン!パン!
二発銃声がした。おそらく伊堂寺さんの二十二口径だろう。
そぞろ歩く米兵と、河口沿いの道に立っている女たちが身をすくめた。
「急げ!俺は伊堂寺さんを追いかける!」
車を運転してきた警官に叫ぶと、懐中電灯を片手に暗い小路に駆け込んでいった。

車の警官が警笛を吹く音がだんだん遠ざかる。
俺が車に戻ったのにかかった時間を考えれば、この辺のはずだ。俺は懐中電灯を消して耳を澄ませた。
玄界灘の湿った冷たい強風が耳の側でゴォゴォと音を立てて邪魔をする。
その風に混じってキン!キン!と刃物がぶつかりあう音がする。
……近い!
そのとき岡勢の声がした。低く囁く調子で誰かを励ましている

「……さん! しゃんとしてください!」
俺は背筋から血の気が失せてゆくのを感じた。
岡勢の声がする方に慎重に近づき、懐中電灯を光が広がらないように地面に向けて点けた。

「高梨さん! 大変や……伊堂寺さんが……」
「どうした?」
「あの怪物の火鉢がそこのゴミ捨て場に捨ててあって、それに気づいたとたん……なんか飛び出てきて……気づいたら伊堂寺さんが……やけ……オレ……伊堂寺さんの銃であいつを撃ったんやけど……」
「落ち着け岡勢」
「あのますけらはあたまがいい」
俺の足元でカロンが苛立っているのか脚をばんばんと地面に叩きつけた。

「……おう……こ、こうへい……か」
足元の砂が粘着く。出血だ。
「伊堂寺さん、しゃべらないでください。いま診ますから」
へたり込んだ岡勢が、伊堂寺さんを後ろから抱きかかえている。この態勢なら冷たい地面で体温が奪われなくて済む。
懐中電灯で照らすと、腹からかなり出血してるのがわかった。
「伊堂寺さん、腹をやられています。内臓が損傷してると命に関わります。急いで救急車を呼びますから」
「お、落ち着いちょるのぉ……公平。さすが……戦争に……行っただけのこたぁ……あるのぉ」
「動かないでください。すぐに戻ってきますから」
ほんのり魚臭くなった俺のコートを伊堂寺さんに掛けると、今度は懐中電灯で照らしながら、今度は全速力で車に駆け出した。 


ちくしょう! なんてこった!
「いったいあのマスケラの火鉢はどうなっているんだ!?」
「あれはやつのそうこだ」
いつのまにかカロンがオレの肩に上っていた。
「うばったもをあそこにつめこんでいる」
「じゃあ、あの中に今まで殺した女の身体の一部が全て入ってるってのか?」
「それにぶきもな」
「ぶ……? 武器か!?」
「ごみにまぎれさせてやをはなった」
「くそ! それで伊堂寺さんを」
「かりうどをねらったわなだ」
「なんだと!?」
「それにさきにきづいたのはあのおとこだ」
なんてことだ……燈乃を庇ってやられたのか……!

「ハァ…ハァ……」
カロンを懐に隠して車に戻ると、応援の制服警官が四人が駆けつけていた。一人に救急車を呼ぶように、残りに置屋の戸板を外して持ってくるように指示した。銃声を聞きつけた米兵たちに応急処置用の道具を持っていないか尋ねたが、俺の英語がひどすぎて伝わらなかったのか、全員が首を振るばかりだった。
「くそお……!」
腹は止血が難しい。一刻一刻が伊堂寺さんの命を削ってゆく。

狭く暗い道を倉庫街に向かって走る。
米兵も数人いっしょについて来た。手伝ってくれようとしているらしい。

「ハァ…ハァ…」息が切れる。懐中電灯で照らしてるとは言え凸凹の舗装もされていない裏通りだ。時々足を取られそうになり、思うように走れず焦る。
「岡勢!人手を連れてきたぞ」
「い……急いでください。血が止まらんのです」
「高梨さんいったい誰がこげなことを……?」
制服警官の問いに俺は、
「詳しいことは後だ。早く搬送してくれ」
としか答えなかった。
四人の制服警官が伊堂寺さんを戸板に乗せ、通りへ運び出そうとした時、一人の米兵が叫んだ。
 
「Hey! Look at that!」
彼らの視線の先は、ふ頭の照明に浮かび上がった真っ黒な倉庫の屋上に向いていた。そこにはガキンガキンと金属音を打ち鳴らしながら戦う二つの影が浮かび上がっていた。 
燈乃とマスケラだ。

「俺はあそこの二人を追う。君たちはとにかく伊堂寺さんを早く運んで、応援をよこしてくれ」
それだけ言い残すと俺は燈乃とマスケラが戦っている倉庫に向かって走り出した。伊堂寺さんの血で服を濡らしたままの岡勢も遅れてついててきた。

「た、高梨さん!伊堂寺さんマズイです。そうとう消耗しとった」
「くそ……こんなことになるなんて」
「すんましぇん!オレがついてとったのに……オレが先に気づいとったら」
「おまえのせいじゃない」
周りに誰もいないのを確かめたのか、襟元から顔を覗かせたカロンが岡勢を慰める。この獺にもそういう人間らしい気遣いができるのだ。
だが、そう感心した途端俺の耳元で怒り始めた。

「あのかりうどはまだけいけんがたりない」
「そうなのか?」
「たったにじゅうていどますけらをやっただけだ」
「さ、二十っちゃそれなりやと思うが……そういうもんなんか?」
「みじゅくもののくせにえらそうだ」
「おれさまはなんにんものかりうどとくんできた」
「かぞえきれないかずのますけらをめいかいのもんのむこうにおくった」
「あのかりうどはすぐにはらをたてる」
「しゅぎょうがたりない」

矢継ぎ早に文句が口をついて出る。本当のことを言っているのか嘘を言っているのかはわからないが、カロンがそう思っているのは確かなようだ。
「みろ」
倉庫の屋根の高さは十米くらいだろうか。そこをカロンが指差した。
「あのますけらはそうこをもってない」
「そうこ……火鉢か!」
「そりゃおかしい。伊堂寺さんがやられたとき、あいつは火鉢を持って逃げたはずや」
「かりうどをねらうためにかくした」
「仕掛け爆弾みたいなものか」
「あのかりうどはそういうことにもきづかない」
「探しましょう! 放っといたら燈乃嬢ちゃんが危ない」
「そうだな。だが気をつけないと、俺たちも危ない」
「へへ! どうせ戦争の死に損ないやし構わんです。オレがやられたら近くに火鉢があるはずやけ、ぶっ壊してください」


「バカなことを言うな!」
 オレは声を荒げた。

「これ以上……俺に後悔をさせないでくれ」
「高梨さん……あんたぁ春子のことを気にしちょるんですね」
「もう俺に関わった人間が大怪我したり死んだりするのを見たくないんだ。それは春子だけじゃあない、お前だってそうだ」
「刑事に向いちょらん人ですねぇ」
「ぜんぜんなってない」
「危ないんはお互い様やないですか。もし大怪我でもして助からんと思ったらいっそ……」
「お前も鈴井と同じことを俺に頼むのか……」

周囲に目を配らせながら俺は溜息をついた。
「俺はもう戦争はたくさんだ。終わらせたいんだ」
「誰でんそうですよ。けど……」
腰を低くして俺の視線の反対側を探しながら岡勢が続けた。
「あん時はお国のためっち言いながら、ホントは何のために戦っとるんかオレには分からんやったんです。それでん米兵と刺し違えられたらいいっち思いよった。っちゅうか、それが生きる目的やった」
「俺は……情けないと思われるかもしれんが、そういう覚悟はなかったよ」

「けど春子のことは助けたいっち思ってくれたとでしょう? そんときに身代わりになってもっちゅう気持ちはあったんやないですか?」

岡勢の言葉に、またハッとした。たしかにあの時なんとかしたいとは思った。
それがさっきマスケラと対峙していたときに感じた、刺し違えてでもというものだったのかどうかは分からなかった。

「オレは今マスケラっちゅうのをやっつけるために、あんたに協力しちょるんです。戦争の時とは違うんです。オレが自分で決めたことやけ覚悟はできとるんですよ」
「岡勢……」
「あんしんしろ」
カロンが口を挟んだ。
「しんだらおれがおくってやる」
「へへ!獺の道案内ね。そいつぁいいわ。そしたら迷わんで済むわ」

マスケラと燈乃が戦っている倉庫のふ頭側にたどり着いたとき、積み込みのために重ねられた荷箱の向こう、規則正しい間隔に並んだ係留柱のなかにひとつだけ形の違う影を見つけた。
「あれか?」
「まちがいないますけらのそうこだ」
俺は倉庫の壁ひっついて、積み上げられた荷箱に身を隠しながら拳銃を抜いた。
「しばらく撃ってないが、六発あるんだ。一発は当ててみせる」
「きたいはしない」
苛ついた心を鎮めるため一回深呼吸をした。俺もまだ修行が足りないようだ。
慎重に狙いを定めて引き金を絞ろうとしたその時だった。

「高梨さん!MPだ!」
岡勢の声に振り向いた。

タン!
タン!
タン!
 
少し離れた所から、戦場で聞き慣れたカービン銃の音と発火炎が閃いた。
身をすくめケガはないか、周りに着弾痕がないか確認したが、狙われてはいなかったようだ。
いったい誰を狙ったのか……

バキン!と重たい音がして、再び身をすくめた
体を隠していた荷箱に、なにか大きな塊が落ちてきたようだった。
岡勢が駆け寄ってきて
「た……高梨さん。大変や! え……MPが倉庫の上……撃ちよった!」
と慌てていた。
燈乃が斬ったマスケラが落ちてきたのかと体を伸ばして覗き込んだとき、何かの間違いであってくれと心が冷えてゆくのを感じた。



箱の上に横たわっていたのは……燈乃だった。

〈第七章おわり〉

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