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信州の食事事情
旅も2週目に入り、ずいぶんいろいろなことに慣れてきました。総重量14kgにもなる荷物は、バックパックとウエストバックにバランスよく収納し、ウエストバックにバックパックが乗るようにして肩にかかる重量を分散させる術を身につけました。初めはそのせいで腰骨のあたりがすれて痛みもありましたが、1週間くらい経つとちょうどいい収まりどころが見つかり、ずいぶんと楽に。
持っていた地図のスケールと身体の感覚もだんだんシンクロしてきて、「この分岐はそろそろかも」とか「次に曲がるのはこの角ではなくて次の角だな」とかわかるようになって道も間違えなくなってきていました。菅の笠も当初は風にあおられて飛ばされたり、ヒモで首がしまったりといろいろ苦闘しましたが、ベストな装着法を編み出しました。これについてはまた気が向いたら別日に書きます。ちなみに菅の笠は道中2回買い換えて3代で継投しました。
さてさて、表題にも書いた「食事事情」。長野に入ってから、事情が一気に変わります。そもそも関東平野を歩いている間はある程度お店も点々とあったし、いざとなればコンビニやスーパーもそれなりにあったので、極端に困ることはなかったのですが、長野に入ってそうもいかなくなりました。
・・・が、今度は逆に道すがらにお茶やご飯をごちそうしてくれる人がたくさん現れます。おととい投稿した「美しき日本の風景を記録」にも登場した簡易郵便局でもコーヒーをふるまってもらい、なぜかお茶うけにポテトサラダやふきのたいたんまで。「そろそろ行きます」と言って出発しかけたら隣のおばちゃんが現れて「ご飯食べたか?」と。「ご飯は食べてないけど…」と言うとちょっと待ってと言い残し、餅にセリのおひたしとみそ汁、そしてつけものと豪華なお膳を持って戻ってくるきてくれるという接待ぶり。
この日は、初日以来の民泊。もともと店の軒先を貸してもらえないかと頼みに訪ねたら、不憫に思っていただき泊めてもらえることに。ここでも朝食をごちそうになり、お昼のおにぎりまで持たせてもらいました。本当に人の温かさにふれる旅。
そして、翌日の8日日は早めに和田の宿場に到着して、資料館や本陣を見学し、旅籠の前で出会ったおばあさんが「お茶でも飲んで行きな」とおうすを点ててくれてました。さらには梅のおにぎりも出してくれて、十分なおやつに。いろいろとこの辺りの話を聞いたり、旅の話をしていると「さすがに泊めてはあげられないけど、夜ご飯食べにおいで」と誘ってくれ、それまでに近くの共同風呂に行ってくるといいよとチケットまでくださって。本当にありがたかったぁ。さらには翌日の下諏訪の宿泊まで心配してくれて良い宿を紹介してもらいました。
写真はごちそうになった豪勢な夕食。もちろん全部おいしかったけど、自家栽培のラディッシュが特に最高でした。
和田宿本陣の立派な木戸
板葺きに風で飛ばされないよう石を置いたシンプルな置石屋根
雪深いこの地域によく見られる出桁
2階が1階よりも表にせり出して深い軒をつくる
本陣には籠がたくさん展示されている
これで峠越えしたい(いや、逆にしんどいか…)
これ以降も長野や岐阜では結構いろいろなところでご飯やお茶をごちそうになりました。ちなみに、この辺りではお茶うけにはつけものが基本のようです!
《マガジン|中山道音速スライド旅行》
https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed
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