見出し画像

Well-beingは金持ちの道楽という指摘を考えたら、最後はNew Luxuryに行き着いた

「Augmentation for Well-being:何気ない日常をより豊かに」の実現を目指す「Aug Lab」というものを作ったのが2019年4月。メーカでモノづくりをしながら、Well-beingということに考え始めたのが珍しかったのか、多くの方々とディスカッションさせて頂くことができました。その中で、定期的に質問・指摘を受けてきたのが、今回のタイトルにさせて貰った

「Well-beingってさ、金持ちの道楽なんじゃない?」

という点です。文脈により少し意味が違う意味合いにもなりますが、要は、「お金を稼いだ人がやることなくなって幸福とか考え始めたんじゃないか」という意味であったり、「効率化・便利さみたいな文脈で稼いだ企業が次の金儲けのキーワードとして幸福とかWell-beingとか言い始めているのではないか?」という意味であることが多いかと思います。

今回はこの点について、現時点での自分の考えを書いておきたいと思います。(所属組織の見解ではありませんし、勉強中なので、厳密性はお許しください)

Well-beingの二面性

「Well-being」とか「幸福」とかという言葉には2つの視点が存在していると思います。1つは幸せを実現するにはネガティブ面を減らさないといけない。もう1つはポジティブ面を増やさないといけない。

ネガティブ面を減らすというのは、安全・安心・安定して生きるというマズローの欲求で言う、食べる、寝るとかの「生理的欲求」や病院に行けるとかの「安全欲求」を実現することです。ポジティブ面を増やすというのは、安定的に生きるベースはしっかり押さえた上で、あるべき自分になりたいという「自己実現欲求」やそれを超えて自我さえもなくなる「自己超越」というようなもの目指したりするイメージです。

このような2面性が存在している事実に対して、実際にWell-beingを議論している人たち自身の多くが、「生理的欲求」や「安全欲求」を満たされた状態になっている人が多いです(私自身も生きる、死ぬレベルの貧困状態にはないです)。そうなるとどうしてもポジティブを増やす側、「自己実現」「自己超越」の方向に焦点が当たりやすい、逆の言い方をするとネガティブ側が置き去りになってしまいやすいのではないか、というのが冒頭の「Well-beingは余裕がある人の道楽」というご指摘に繋がるのではないかと思います。

確かに人間というのは、どうしても自分視点で考えてしまいがいな存在です。主観と客観をしっかりと持ちながら、フェアな議論を進めていくべきだという意味においては、片方側からの議論になっていないのかという視点は非常に重要だと思います。

以前、太田直樹さんにインタビューをさせて頂いたとき言われていた下記の言葉が大事なんだと思います。

リーダー層から出てくる課題意識の中だけで考えたWell-beingが、社会全体の話にまで広がるとは思えない。意識高い系だけの活動ではなく社会全体のWell-beingに意識を持っていくことが大事

Well-beingと所得の関係

では、実際にお金持ちはWell-beingなのか?ということを見てみると、この点については昔から多くの研究がされています。「年収800万円が幸せのピーク」みたいなことが、たまにニュースとかにもなっています。

この800万円というのは、ノーベル賞も受賞したダニエル・カーネマン教授が、アメリカで45万⼈を対象に行った調査から導き出した数字で800とか900万円以上稼いでもあまり幸福度は上昇しないという結果から使われている数字です。

800という結果はアメリカの場合ということなのですが、ある一定までの年収はWell-beingの向上に強く繋がるけどそれ以上はあまり関係ないという基本的な傾向としてはグローバルに同じなんだろうと思います。

日本でも内閣府が2019年に「満足度・生活の質に関する調査」を1万人を対象として行い、世帯年収と主観的な満足度の変化を調べています。結果としては

● 「100万円未満」 5.01点
● 「100万円~300万円未満」5.20点
● 「300万円~500万円未満」5.68点
● 「500万円~700万円未満」5.91点
● 「700万円~1000万円未満」6.24点
● 「1000万円~2000万円未満」6.52点
● 「2000万円~3000万円未満」6.84点
● 「3000万円~5000万円未満」6.60点
● 「5000万円~1億円未満」6.50 点
● 「1億円以上」6.03点

評価手法が違うので、一概には言えませんが、2000~3000万円にピークがありながらも、1億円以上の人と500~700万円の人が同じような値になっているというのは、(かなり雑な纏め方ですが・・・)その辺りからあまり変わらないのではないかとも思います。

また、1 人当たりの所得が上がっても生活満足度が上がらないというのは、「イースタリン・パラドックス」(Easterlin Paradox)として知られています。このパラドックスを説明するためによく使われるのが「相対所得仮説」(relative income hypothesis)という考え方です。この説は、「自分の所得の絶対的な水準だけではなく、自分と社会経済属性が似ている他人の所得との相対的な関係に個人の主観的ウェルビーイングが影響を受ける」というもので、同じような他の人と比較して考えるということです。一概に所得が高いから幸せという話ではなく、どの収入層でも他の人との比較で色々と感じるということなんでしょう。

という訳で、個人レベルで考えた時に、Well-beingが金持ちの道楽かというとそういう訳でもなさそうで、所得が一定以下の場合には所得を上げるという明確なwell-beingに繋がる内容があることに対し、所得があるゾーンを超えた時には単純に金を稼げば幸せということにはならず、どうしたら良いか分かりにくい。結果として、よりwell-beingになる為にはどうしたら良いのかという議論も盛んになり、金持ち層だけがwell-being,well-beingと叫んでいるように見えるということかのではないでしょうか。

ただし、求める内容やアプローチが違えど、誰にとってもその人の中でwell-beingが重要なことには変わりないと思います。

企業にとってのwell-beingは?

では、企業レベルではどうなんでしょうか?

Well-beingという言葉自体が次の儲かるネタのためのキーワード化しているところはありますかね。。AIとかDXみたいな。

Well-being自体がどのようなビジネスになっていくのか?どれくらいの規模になるかは、私自身もまだよく分かっていないところもあります。近い言葉で最近よく聞く「Transformative tech」という分野は市場規模300兆円とかも言われており、ヒトの身体的、精神的、社会的な健康という分野に関する市場全体としては非常に大きいことは間違いなさそうです。そこに対して、企業が売上、利益の獲得を目的に直接的に攻めていくことはごく自然なことだと思います。

一方、Well-beingが企業の中でも注目されているのは、間接的には更なる効率性、生産性の向上という側面もあります。満足度や幸福度の高い仕事(Well-beingな仕事)は、働き手の生産性を上げる効果があることは色々な研究で示されています。自分自身の感覚としてもわかるような気がします。そして、メンタルヘルスなど精神面が不健康になってしまうと、個人にとっても企業にとっても良いことはありません。マインドフルネスとか、瞑想とかが、Google、Apple、Facebookという名だたる大企業で取り入れられているのも、結局は社員の心の状態、Well-beingな状態が、仕事そのものの成果や生産性にダイレクトに聞いてくるからだと思います。企業としてみたら、ハイスペックのパソコンを導入する理由とWell-beingに力を入れる理由は大きな意味では同じです。

そういう意味においても、企業として考えても決して道楽ではないでしょう。

本当に必要な「社会のWell-being」、そしてNew Luxuryへ

ここまで個人としても企業としてもWell-beingは決して道楽ではないということを書きましたが、それでも批判的に見れば、とは言っても・・・という話になります。

私が決して金持ちだけが道楽でやってはいけないと思っている理由は、目指すべきは「社会のWell-being」だと思っているからです。社会全体として良い状態であること、これこそが目指すべきゴールなのではないでしょうか?

社会のWell-being(Social Well-being)とは、社会の構成員、ステイクホルダー全員、そして社会そのもの、地球そのものが良い状態であること。

仮に服を買ったとしましょう。好きな服を買った本人は、当然良い状態になるでしょう。個人のWell-being度は確実に上がります。その服を作ったアパレル企業も儲かりますし、働いている人もより良い状態で働いている必要があるでしょう。決してブラック企業であってはいけないです。そして、その洋服を作るための素材を作っている素材メーカも、更にその先の材料を作っている農家もWell-beingな働き方をしている必要があります。そこまで遡ると、おそらく途上国の中でも地方の貧困層の人たちが携わっていることが多いでしょう。そのような人たちも含めて、みんながWell-beingになっていることが、これからの社会においては大事な価値観になってくるでしょう。(この辺りは下記の記事でも書きましたので、お時間ある方は是非)

そして、洋服を使わなくなった後、捨てた後に、その材料はリサイクルできたり、リユースできたり、地球にとってもWell-being(良い状態)になっているのか、そのようなSustainabilityを持つことも大事です。サーキュラーエコノミーという考え方はまさに「社会のWell-being」に含まれる大事な考え方になるんでしょうね。

このような「社会のWell-being」まで考えると、おそらくエンドユーザが支払う費用は高くなってしまいます。服の例で言えば、服の値段は高くなるでしょう。買える人は限られてしまうかもしれません。でも、それが社会のWell-beingの観点からすれば、適正価格なんだと思います。そして、そういう商品こそが、これからのラグジュアリー(New Luxury)ということになっていくのではないでしょうか。

金持ちの道楽か?という点から始まり、最後はちょっとズレた話になってしまったかもしれませんが、「わたしのWell-being」から、企業やコミュニティなどの「私たちのWell-being」、そして「社会のWell-being」へ発展させることができれば、決してマズローの上位欲求を求める人たちだけの話だけではなく、世界中の人たちのWell-beingに落とし込むことができると思います。そして、そんな価値観を下支えするのが、New Luxuryという価値観です。

そんな所を目指して活動していければと思います。では、また来週~。

安藤健@takecando

=================================

Twitter(@takecando)では気になったロボットやWell-beingの関連ニュースなどを発信しています。よければ、フォローください


頂いたサポートは記事作成のために活用させて頂きます。