見出し画像

マンガリッツア豚を体験してきました②

その1では、マンガリッツア豚がうまい!という話をしたが、その翌日激ウマの十勝ロイヤルマンガリッツア豚を飼育している所を見学してきた。

養豚場のイメージ

皆さんは養豚場と聞いてどんなイメージを持つだろうか?私が持つイメージは「マトリックスの世界」である。私が経営する鎌長製衡株式会社の主力製品の一つであるホッパースケールは飼料工場でよく使われており、その関係で餌を使う養豚場にも何度か訪れたことがある。

画像1

これは海外の養豚場だが、日本でもおおよそ似たようなもので豚たちは狭い檻の中でたらふく餌を食べ成長していく。おおよそ180日(半年!)で約120キログラムになり、屠場に出荷されていくのである。

生まれた時からして、下記のように身動きの取れない母豚に群がって乳を飲み、ぎゅうぎゅう詰めにして育てられる。

画像2

より人間が安くて美味しい豚肉を食べられるよう、血統、出生から肥育まで全て管理され、効率が追求される。いいか悪いか別として、養豚場とはおおよそそういうものである。だからこそ私たちは日常美味しい豚肉をリーズナブルに食べられる。

そういうイメージで十勝ロイヤルマンガリッツア豚の養豚場に向かった。

「豚生豊かな」飼育

とんせいゆたか、というのがここのスローガンなんです」と梶原専務は言う。「豚生」という漢字が浮かぶまでに少し時間がかかる。ハンガリーの国宝であるマンガリッツア豚を苦労の末に日本に持ち込み、飼育を始めた丸勝の皆さんにとってこの豚は効率を追求する対象ではなく、尊重され、愛されるべきものであるようだ。

その豚舎は普通の豚舎とは異次元の広さと余裕がある。上の写真との豚口密度を比べればその環境の違いは一目瞭然だ。豚たちは伸び伸びとあたりを走り回っている。

画像3

「できるだけ長く飼いたい、という、普通の養豚場とあまりに違うコンセプトに豚舎メーカが困っていました」とも梶原専務は言う。十勝ロイヤルマンガリッツア豚は通常の豚の2倍以上の日数をかけて育てられる。そして、餌は全て豆問屋である丸勝グループが集めた上質の穀物を配合して自社で作ったものである。近年6次産業化ということで、生産から加工まで企画する例は珍しくないが、餌からすべて自社で管理することは滅多にないのではないか。

画像5

子豚たちからして、母豚と広めの豚舎でのんびり暮らしている。

画像4

マンガリッツア豚たちは人が来るとどんどん寄ってくる。「豚というのは本来頭がよく人懐っこい動物なんです」という。原種に近いため、毛むくじゃらのマンガリッツア豚たちの首筋をなでると、実に気持ちよさそうに鳴く。

人間と触れる機会がある、と言うと病気が気になるが、極力抗生物質等も使用しない、という。北海道にはイノシシがいないので豚熱等の感染の恐れが低いこともあるだろうが、驚くべきことである。にもかかわらず、病気になる豚はほとんどいないらしい。ストレスがたまらないせいか、豚が互いに傷つけあうこともなく、噛んで化膿することを防ぐためにしっぽを切ったりもしない。

画像6

写真を取り損ねたが、養豚場の入ってすぐのところに出荷前の豚たちが一晩を過ごすコンテナがある。そこには情熱と愛を世界に、と書かれている。昨日のとろけるような脂身は、こうやって大切に育てられた豚たちの命と育てている人々の想いの結晶なのだということに改めて気づかされる。

価値を生むということ

かつてカントは価値の根源を「真」「美」「善」と説いた。豚を肉を作る道具と考え、効率よく豚を再生産し、美味しくリーズナブルな肉を作る、ということは間違いなく価値を生む行為である。「真」(事実手に入る)であり「美」(美味しい)である。一方で、豚を「道具以上の何か」と考え、効率を犠牲にしても豚生を重視し、美味しい肉を作るということは、単に「美」(美味しい)ということだけでなく、作り手の究極を目指す意志が存在する「善」の価値があるといえる。そこにあるのは自由である。

単に安くて美味しいことにのみ価値がある、というのであれば、わざわざ北海道にハンガリーから豚を持ってくる必要などないのかもしれない。しかし、高品質大量生産ではもはや世界に勝ちえないこれからの日本において、意志と自由の領域に属する「善」の価値を追求することの意味は大きい。

「真」は理論により、「美」は創作により、「善」は実践により生まれるという。マンガリッツア豚を通して、自らの意志を実践し続ける丸勝の皆さんに心からエールを送りたいと思った。

画像7

毛むくじゃらの子豚たちはこの上なくかわいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?