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緊急事態宣言を発表するまでのプロセスに、マスメディアを通じたコミュニケーションのお手本をみた



緊急事態宣言が発令されました。

今回(4月7日、官邸)の安倍総理のスピーチは、情報がよくまとまり素晴らしかったと感じています。批判があるとすれば、立場からくる給付金への対応ぐらいなのではないでしょうか。

現場のみなさんが「わたしの仕事にもふれてくれた」とおっしゃられていたり。
個人的には「クラウドファンディングなどで、サポートの意思を示してくださる皆さま」という文言に「ああ、わたしたちに向かって話しかけられている」と思えました。
(なんで森友学園問題や公文書改ざん問題にこの真摯さを向けないのだ。余談です)

もちろん、厳しい立場にあるひとからの給付金への批判は止むことはないでしょうし、それは意見として必要なものでしょうから、建設的な議論につながればいいなあと思っています。けれど、


さまざまな立場への共感を示す

緊急事態宣言の発令を宣言

現在の状況認識の共有(このままのペースで罹患者が増えると1か月後には8万人の感染者が発生するという強いメッセージ)

要請の内容の説明(人との接触を最低7割、できれば8割におさえる)

社会機能維持のための呼びかけ(買いだめや地方への移動をやめるようにお願い)

経済対策の現時点での進捗&方向性の共有

という包括的な会見は、とても多くの人に納得感を持たせる素晴らしい内容だったのではないでしょうか。個人的には質疑応答のなかでの「スピード感を保ちながら」「必要な人へサポートするために」この経済対策の内容になっているという説明も納得感がありました。

そしてこの会見が良いものになったのは、会見のスピーチ原稿だけではなく前段階のコミュニケーションにあったと感じています。前フリがすばらしかったんです。
「主にマスメディアを通じた、わたしたちが緊急事態宣言を受け入れられるように設計されたコミュニケーションがあったのでは」という話を書きます。


「緊急事態宣言の発令」は4月6日からはじまっていた


「政府、緊急事態宣言を検討」という第一報がでたのは4月6日(月)の9時ごろでした。各紙一斉に速報をだしています。

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もちろんテレビでも報道がはじまりました。午後になると「対象地域は7都府県」という情報も各紙一斉に報じはじめます。ちなみにこれは朝日新聞の4月6日の朝刊と夕刊の写真。他の新聞に関しても、夕刊で一斉に「緊急事態宣言へ」の見出しがならびました。

上が4月6日の朝刊。まだ「緊急事態宣言」の文字はありません。下の夕刊で新聞紙面での第一報。

朝日1

そして朝刊でより詳細な情報が報道されます。

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おそらくこれ、どういうプロセスなのかわからないのですが、わたしたちが混乱しないよう、意図的に、「どのように伝えるか」のコミュニケーションがデザインされていたんじゃないかと感じます。

4月6日の時点でテレビでは「必要なライフラインは確保されます」と繰り返しアナウンスされていました。そして4月6日夜の時点で、緊急事態宣言該当地域の知事は「どのような対応をおこなっていくか」について言及しています。


記憶に新しいのは、全国一斉休校の要請です。
2月27日(木)の夕方に出されたこの要請はほんとうに「独断」だったようで、学校現場は大いに混乱したとのこと・・。先生たちの心労、想像するだけで大変ですよ・・



いま思えばこの措置も「できることを先手を打って実行する」という観点では必要だったかもしれない(けれどやっぱり、難しい家庭環境のなかで学校がライフラインになっている子どもたちのことを想像すると、うーーーんという気持ちは残る・・)なあとも思うわけですけれど、この「唐突な・・!」という発表は弊害が大きすぎたんでしょうね。

そんな反省があったのかどうかはわかりませんけれど、今回の

1.(おそらく)2日前から緊急事態宣言を出すことをマスコミに流し
2.(おそらく)対象府県知事と事前に対応協議をしていた

という点について、そしてそのことで、重大な発表にさいして「わたしたちが受け止める準備をデザインした」という点において、お手本ともいえるマスメディアを通じたコミュニケーションだったのではないか、と感じています。


こころの健康をまもろうな


『この世界の片隅に』を思い出しています。映画をとおして一貫して描かれていたのは「戦争のなかに生きるすずさんの日常」でした。

この世界の片隅にと違うところは、わたしたちのすすむところが多くの犠牲を伴う敗戦ではなく、「ああ、あのときは大変だったけれど、なんとかがんばれたねえ」となる未来だということなんだと信じています。この世界の片隅にのなか、敗戦を知った後、すずさんが駆け出し
ただただ過ごしていた日常が「この戦争に加担していた」と気づき自分を責めるシーンとは真逆の未来が待っていると信じています。

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幸いにして(?)ぼく自身はあまり普段と変わり映えしない日常を送っていますが、きっと大きなストレスにさらされているひとも多いはず。そしてまだまだこれからどうなるかわかりません。

できるだけじぶんのこころの健やかさに留意しながら、過ごしていこうね!
この記事なんかとってもよかったですよ。


みんなが「わたしがどうしたら健康にいられるか」のノウハウがたまり、それが広く共有されるとしたら、それはとてもいいことだなあと思っています。

個人的にはこころの健やかさのために「いま感じていることを、話す」も強く必要になるタイミングがくると感じている次第。感受性を殺さず過ごしたいなあと思っています。

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