かつて垣間見たもの・・・

自分の生業(なりわい)の一つがコーチング。そのコーチングを学んだのはCTIジャパンというコーチ養成期間だったのだが、そこではコーアクティブ・リーダーシップ・プログラムというものも提供している。

10ヶ月の間に5日もしくは6日の合宿が4回あり、それぞれの合宿の間の期間にも課題があるというタフなプログラム。2006年にそのプログラムにも参加したのだが、タフというのは日程や課題ということだけでなく、精神的にも(人によっては肉体的にも)タフなものだった。

あれから13年。今年もそのプログラムが開催されており、自分はそのアシスタントとしてサポートをすることになった。

先日、2回目の合宿を終えた。1回目は自分自身に焦点を当て、今回は他者との関係性に焦点を当てるもの。かつて自分が参加した時はこの2回目がもっとも衝撃的だった。他者との関わりの中で見えてくる自分自身。突きつけられる、自分では認めたくない自分。心の奥底にしまいこんで、知らないフリをしていた部分が明らかになることで、打ちのめされる体験だった。

『自分は人よりも先に進むことで自分の有能さを示して、そのためにはともにいる人も置いていく人間なんだ・・・』

そんな気づきは自分には「不都合な真実」でしかなかった。

早朝に一人で自然豊かな森の中を歩きながら、涙をボロボロ流したことを覚えている。涙を流しながらふと自分の中から聞こえてきたのは

「そうやって頑張ってきたんやね。大変やったなあ・・・。よう頑張ってきたなあ・・・ほんまに・・・」

その声を聞いた途端に嗚咽してさらに涙があふれ、ただ訳もわからず、さまよい歩いたことを思い出す。

他者との関わりの中で、創造的に何かをつくりだすことを意図した2回目の合宿。にも関わらず、自分はまだそこには至らず、他者を通して見えた自分と向き合い、受け入れるだけで精一杯だったと思う。

今回の参加者の中にも同様な人たちがいたのかもしれない。かつての自分を垣間見るような、そんな場面を何度か目撃した。いや、それは勝手な思い込みかもしれない。人の心の中はそれぞれなので、自分と同じ状況であるとは限らない。それでも何か心が震える瞬間が自分の中に起きたことは間違いなかった。何が震えたのだろうか。同じ状況である必要はないであろう。ただ、自分にとっては、今でもまだ心の奥底にあり続けるその言葉との葛藤を癒してくれる、そんな体験だったのだと思う。

参加者の姿にかつて自分が垣間見たものだと思ったことは、今の自分の中に変わらずあるものとして、自分の中に垣間見たもの。

それを見たところで、今回は涙がボロボロ溢れ出す訳ではなかった。代わりにじんわりと滲みかけた涙は、むしろそのことを時に葛藤しながらも「あるもの」として認められるようになった自分への祝福なのかもしれない。




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