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【後編】死に様=生き様!?: 私が死んだ父と向き合えるようになるまで



第3章  “悲しみ”と共に生きる


父のいた時間


 父の夢を見た後、やっぱり本当はもういないことを実感したら余計に悲しくなって、久し振りに涙が流れた。

 父と交信できるようになっていたとしても、そして、もしそれが妄想なんかじゃなくて、紛れもない事実だったとしても、父がいなくなったことに変わりはない。
 何をどうしたって生き返る可能性は少しもないのだ。

 私は結局、これ以上悲しみたくなくって、この辛さを乗り越えたいがために父と交信したかったのか? ……何か違うような気がする。

 いや、おそらく最初はそうだったはずだ。

 もう二度と顔を合わせることがなくても会話さえできるなら、悲しくも寂しくもならないはず! だというのに、実際には違っていた。そもそもソレとコレとは話が別なのだ。

 魂だけになってしまった父がもっと母と一緒に過ごしたくて、その母に対して憤りだなんて感情を持っていたのと同じだ。私は父にもっと会いたかったから、もっと生きていてほしかったからこそ、こんなにも悲しい。

 全ては“愛情”があるから生まれるものなのだ。

 だからこの“悲しみ”は仕方のないものだ、と悲嘆に暮れ続けるのも何だか違う気がする。

 私は先日の朝起きたとき、急な目眩と吐き気に襲われたために、半日動けなかった。
 ただそれは単に低血圧だからか、年に2、3回くらいはある一過性のものだったので、これまではそんなに気にしていなかった。でもこんなに急激な体調の変化や突然の不幸の連絡は、どうやったって避けられないものなのだ。
 とはいえ自分の頭の中にある発想だけは、いつだって自由なものだから、私自身が自分の首を絞める必要はないと、そのとき横になりながら思った。

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