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ゆとりと老害

去年の事故以来、全然興味がなかった政治に急激に関心がでてきました。


入院生活というのは、暇です。ゲームしたり、本読んだり、ニュース見たりと、身体的には辛いけど、すごい時間的な余裕がありました。


その中で、ちょっとずつ政治のニュースを気にするようになって、コロナ騒動をきっかけにより関心が強くなりました。


ただ、正直今の10代、20代の人はあんまり興味がないと思います。そのことについて、麻生さんがコメントを求められた時に、

「若者が政治に興味がないのはええことやない?」

っていう発言をして、叩かれたりしてるみたいです。

正直、メディアからの情報は基本的に切り取られてて、前後の文脈がわからんからなんとも言えないんですけど、自分なりの解釈をすると、真っ当なことを言ってると思いました。


自衛隊の人らが、入隊した時に、

「君らは日陰者であってほしい。君らが称賛されるときは国家の危機だから。」

的なことを言われるみたいで、これに近いニュアンスなのかな?と思いました。

自衛隊が必要なときは、他国の脅威に晒されていたり、大規模な災害が起きた時とかなんです。できれば無い方がいいですよね。


若者も、もし不満があれば、民主主義の日本を変える手段である政治に関心をもって、アクションを起こす。それがないということは、現状に満足してるから。


たしかに、そうとも取れるでしょう。ただ、違う理由だったとしたらという懸念があります。



それは "あきらめ" です。


民主主義は多数決が原則です。話し合いだとらちがあかないから最終的には多数決で決まります。昔みたいに、いちいち戦争するよりはましですもんね。

そうすると、これからどんどん少子高齢化の波が大きくなり、政治に反映されるのは票が多い高齢者だから、自分らが参加して勝ち目もない戦いをしても意味がない。だから政治に参加しない。

わざわざ負けに行くなんて意味がない。


そう思ってる若者は少なからず存在すると思います。

こう考える若者の比率が大きくなってくると、辛いものがあります。


この問題はそもそも、高齢者vs若者の図式が前提になってしまってるからなんです。それがすごく悲しい誤解だと思います。


自分が言いたいのは、そもそも高齢者と若者は対立関係ではなくて、共存関係ということです。


タイトルにある通り、 ”ゆとり” と ”老害” はよく世代の分断をあおる言葉としてよく使われています。

テレビをみれば、若者が外に出て、高齢者を脅かしてるという図式をよく目にします。かたや、ネットでは店員さんにクレームをつけたり、マナーが悪いのは高齢者やという声もよく目にします。

本能的に、人は過激なものに関心が行きます。メディアで数字が取れたり、SNSでバズる確率も上がります。ドラマティックなものが好きで、対立構造をあおるようなストーリーを作りたがるんです。


ただ、そういう人たちに、目を覚ましてほしいんです。自分のおじいちゃん、おばあちゃん、親戚の人らを思い出してください。

自分が病気になったときに、孫を犠牲にしてでも生き残りたいっていうおじいちゃん、おばあちゃん見たことありますか?

おじいちゃん、おばあちゃん、死んでもなんとも思わんわっていう子みたことありますか?

もちろん、日本は広いですし、なかにはいてるかもしれません。ただ、それはバグのようなもので、数にすればごくわずかの人たちです。

それ以外の99%以上の人はそうじゃないはずです。


高齢者の人生があったからこそ、若者の人生があるんです。その若者が今、生きているからこそ、高齢者も今、生きていけてるんです。


高齢者だけではいい社会は作れません。若者だけでも無理です。なので、高齢者も若者も、現状に満足しようとも、してなくても政治に参加して一緒に社会を作り上げていけたらなと思います。


なーんか今の人らって、自分は責任取りたくないから、人任せにしてるくせに、なんかあったらぶちぶち文句いってる感じがしたんで、そんなことを思いました。それも大事なんですけどね。











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