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神学論争


先日、お気に入りのネット番組

「WEEKLY OCHIAI」

をみてて、相変わらずおもろいなぁーと思いつつ、ラジオみたいに聞いてたんですが、その中で分からない言葉がでてきました。


それは「神学論争」です。


話の中では、

「社会保障費についての議論を学者間でしようにも、神学論争になり話にならない。」

という文脈で使われていました。

落合さんの使う言葉や例えは、難しいのが多すぎます笑


気になったので、調べてみました。

神様は存在するか否かの話は、議論をしてもいつと水掛け論になってしまいます。

そのことから転じて水掛け論や、話が並行することを、神学論争という言葉で表すようになったみたいです。


たしかに、神様がいるのかどうかと言うのは難しい話です。科学的に証明できるわけでもなく、目にも見えません。

しかし、数千年も前から地域を問わず世界中で、神の存在を認知し、それを信仰している歴史があります。

そして科学が発達し、色々な事が明らかになった現代において、論争を引き起こしていると思います。


このことについて、自分の思うことは

神様の存在が科学的に証明できないの当たり前

ということです。目に見えないものでも人は存在を感じる、あるいは感じようとします。


なぜなら、そうした方が、自身が生きていく上でより人生においてより多くのことを感じられるからです。


人は共感を感じることで、喜んだり、悲しんだり、笑ったりできます。


そのなかでも特に強烈な共感をもたらしてくれるのが"神様"の存在なんだと思います。


それを目に見えないから、科学的に証明出来ないから存在しないと言う人は、

愛情や友情、社会をどういう風に存在の証明をするのかな?と思ったりもしました。


ちなみに、自分は神様を信じてます。なぜなら信じてる方がシンプルに、生きてて生きやすいからです。


たとえば、日本には古来から万物に神様が宿るという考え方が、受け継がれてますよね。小さい頃に言われた人も多いかと思います。

そう思えると、より物を大事にしますし、より感謝の念をもつことが出来ます。


そんな感じで、自分にとっては神様は、非常に大きな存在です。


敢えて下げた例えをすれば、

神様は自分にとって、テクノロジーみたいなもので、なくても生きていけるが、あるとすこぶる便利なモノです。











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