日本古代天皇史①

約2600年の日本の状況

奈良時代に成立した日本の歴史書『日本書紀』によれば、初代天皇とされる神武天皇が大和(現奈良県)で即位したのは紀元前660年の1月1日。いまから約2600年も前のことだ。
そのころ東アジア最大の先進国といえば中国で、当時は小さな国が乱立して争う春秋戦国時代だった。やがて秦によって戦国時代は幕を閉じるが、それが紀元前221年。つまり神武天皇が即位したのは、秦の始皇帝が中国を統一した400年以上も前のことになる。
ただ、「倭国」と呼ばれていた日本が記録に残された出来事は、紀元前150年ころに「倭人が定期的に朝貢を行っていた」とする『漢書地理志』の記述が初めてとされる。奴国王が光武帝から「漢委奴国王」の金印を下賜されたという『後漢書東夷伝』の記述は西暦57年。有名な邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢したのは239年(238年説もあり)である。
これらの記録から、神武天皇が即位したという弥生時代前期に日本に王朝が存在したとは考え難い。もちろん王朝の存在を示す遺跡も、いまのところ発掘されていない。

2600年前に即位したという根拠

ではなぜ、『日本書紀』は紀元前660年という時代を即位の年とするのか? 考え方として有力なのが、古代中国から伝わる「辛酉革命説」だ。
「辛酉革命説」とは、「十干十二支」(干支)のうち十干の8番目「辛」と十二支の10番目「酉」が組み合わさった年に大きな社会変革が起きるという説をいう。さらに干支が一周する60年を「1元」とし、それが21回繰り返された1260年を「1蔀」。この年には、より大きな変革が起こるとの考え方もあり、これを「蔀首辛酉一大革命説」という。
このことから、推古天皇9(601)年を起点としてさかのぼった1260年前、すなわち紀元前660年を日本の歴史における起点としたとの説がある。
601年に起きた出来事といえば、聖徳太子による斑鳩宮の造営だ。聖徳太子といえば、数々の超人的な偉業が伝えられているが、その多くは『日本書紀』の記述による。つまり、『日本書紀』は聖徳太子を聖人化するのに一役買っているともいえ、そんな聖徳太子が宮を構えた1蔀前に、神武天皇が即位し、朝廷の基礎が出来上がったというのが、『日本書紀』に記された内容なのだ。

実在が否定される欠史八代

それでは、天皇家を中心とする王朝が確立された、本当の年はいつなのか?
学術的には、初代神武天皇から開化天皇までの9代は、その存在がほぼ否定されていて、2代綏靖天皇から開化天皇までを指して「欠史八代」と呼ぶ。その理由は、「約2600年も前の日本に王朝が存在したとは考えられないということ」「欠史八代の天皇については、『古事記』『日本書紀』にも、系譜は記されているものの事績は描かれていないこと」「在位年数が平均で約60年と長く、考安天皇102年、考昭天皇83年という不自然な在位年数も見られること」などがあげられる。
ちなみに神武天皇の在位年数は76年、宝算(寿命)は『古事記』で137年、『日本書紀』で127年と、かなりの長命だ。
これらの点から、神武天皇を含める9人は架空の天皇とされ、実在した初代として有力視されているのが10代崇神天皇だ。

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