太平洋戦争はこうしてはじまった⑧

大戦景気と成金の誕生
 
 日本国内に目を移せば、開戦初期の日本は不況の只中にあった。ヨーロッパの経済マヒで海上貿易は停止し、日本の輸出入産業は大打撃をこうむる。輸出産業は大量の滞貨が生じ、輸入産業も極度の品薄と値上がりに苦しんだのだ。なかでも最大の輸出品だった生糸・綿糸相場の暴落は凄まじく、1914年末までの下落率は例年の30%以上。また、同年の8月19日から20日にかけては名古屋各地の銀行で取付け騒動が起こり、9月には電車賃値下げをめぐる名古屋電鉄の焼き討ち事件が起きている。これに開戦前の対外債務も合わさり、不況は深刻な状態となったのである。
 不況対策として当時の大隈内閣は、興銀・勧銀を通じた特別融資や滞貨買い入れなどの救済策を実行。やがて、1915年の半ばより景気は上向きを見せはじめる。戦争でヨーロッパ製品の輸入が途絶えたアジア方面と、大戦景気を迎えていたアメリカへの輸出が増大したからだ。さらに工業製品の輸入減少で国産品の製造が活発化。次の寺内正毅内閣による各種税免除や軍需工業動員法などの法整備により、産業の工業化が急激に進展した。
そのなかでも、成長の目覚ましかった分野が、造船、海運、鉱業である。連合国の船舶不足で造船需要が増大し、海運業では日本の貿易輸送量が急増した。それによって、輸出品や船舶の材料となる鉱物資源の需要も増大。これらを扱う業者は必然的に急成長を遂げていく。こうした好景気で多大な利益を短期間に得た資本家が「成金」である。
 諸産業の好況によって、1915年の経済成長率は5.8%。最盛期の17年には9.0%を記録。貿易収支も黒字に転換し、1917年度の払込資本金に対する平均利益率も造船166%、海運161%、鉱業120%という驚異的な数字を叩きだしている。貿易収支も黒字に転換し、大戦末期には約19億2541万円の対外債権を持つ債権国となる。この異様なまでの好景気は、いずれ国民全員が成金になるという「国家成金説」まで出たほどだった。
 ただ、好景気の恩恵を受けたのは資本家と一部中流層のみ。労働者は物価の暴騰と長時間労働に苦しみ、貧富の格差はいっそう拡大していくことになるのであった。

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