見出し画像

1.古代メキシコへのいざない:特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」見聞録 その01

2024年03月20日、私は国立国際美術館を訪れ、一般客として、特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(以下同展)に参加した([1],[2])。

同展「1 古代メキシコへのいざない」での展示物を紹介する。

オルメカ文明は、紀元前1500年頃、メキシコ湾岸地方に突然あらわれた新大陸(アメリカ大陸)で最も初期の古代文明である。ベーリング海峡を渡ってきたモンゴロイドがこの文明を築いた。巨大の石を彫刻し、土造りのピラミッドを築く建築技術、ヒスイなどの玉石を精緻に加工する技術などを持っていた。また、トウモロコシをはじめとする栽培植物と野生の動植物が、広大な自然環境のなかで人々の暮らしを支えてきた。(図01.01,[3],[4]のp.34,[5])。

図01.01.オルメカ様式の石偶。


ジャガーの土器(図01.02)、フクロウの土器(図01.03)、および、クモザルの容器(図01.04)から、メソアメリカ文明が栄えた地理的範囲は自然環境が多様で、異なる自然環境に適応した様々な生業が展開したことがわかる(4のp.38-39,[6])。

図01.02.ジャガーの土器。
図01.03.フクロウの土器。
図01.04.クモザルの容器。


数万年前、モンゴル系民族はアジアから陸続きであった新大陸アメリカに移動した。そして、約2万年前にはアメリカ大陸全土に定住するようになった。彼らはそこで雑草として生い茂るトウモロコシ(コーン)の原種に遭遇したのである。原産地はメキシコとボリビアと推定されているが、紀元前7000年頃にはすでにメキシコで栽培されていたという。当時のトウモロコシは小麦の穂のような形をした雌穂(めすほ)であり、それを食糧としていた。それを、アステカ、マヤ、および、インカ帝国時代の農民が改良に改良を重ねて今日のトウモロコシのような形態になったと推定されている。何千年もの長い年月をかけて育種されたトウモロコシは、原住民にとっては神々が住むと信じざるを得ないほど、生きるための食糧として重要な作物だった。アメリカ大陸の各地には、人類の創世などトウモロコシに関わる多くの神話、伝説、民話が伝えられている。今でもメキシコでは、トウモロコシの粒には神が宿ると信じられている。グアテマラで女性初のノーベル平和賞を受賞したメンチューは「トウモロコシは私の命だ。私たちはトウモロコシでできた人間である」という([7])。

実際、古代メキシコの文明が栄えたメソアメリカにおいて、トウモロコシは最も重要な食糧源であった。そのため、各文明の遺跡からトウモロコシに関連する出土品が発掘されている(図01.05,図01.06,4のp.40-41)。

図01.05.チコメコアトル神の火鉢(複製)。
図01.06.メタテ(石皿)とマノ(石棒)。


古代メソアメリカの人々は、2つの独立した暦を組み合わせて使っていた。1つは365日の「ハアブ」という太陽暦で、太陽の動きに合わせてある。

もう1つは260日周期の「ツォルキン」で、儀式や祝祭に使われた。現代でたとえるなら1週間が260日あり、全ての曜日に大きな文化的意味があるようなものだ。なお、この周期は人間のサイクルでもあり(妊娠期間)、52年の大周期を構成していた。

しかし、実際の太陽年の長さは365.25日なので、マヤの人々はこの4分の1日の差を補正する必要があった。現代人が4年に1度閏日を挿入するのと同じことだ。

補正のため、マヤの人々が使ったのが金星だった。彼らは古い記録をさかのぼって調べることで、数百年前のある特定の日に金星がどこにあったかを把握でき、同様にその時の空で金星が位置すべき場所も特定できた(4のp.44-45,[8])。

上記に関連するものとして、暦の文字(図01.07)と夜空の石板(図01.08)が展示された。

図01.07.暦の文字。
図01.08.夜空の石板。


紀元前3世紀の中国で、ボールをネットに蹴り込むスポーツが最初に行われた。19世紀のイングランドで、いわゆる「サッカー」が正式に誕生した。しかし、今日のほとんどの球技の起源は南北米大陸にある。

チームスポーツという概念は、メソアメリカで発明された。そこで文明が栄え、人々は樹脂製の重いボールを使うスポーツを楽しんでいた。

こうした球技がどこで発明されたのかはわかっていないが、約3000年前から、テオティワカン、アステカ、マヤなどのメソアメリカ文化圏でさかんに行われていて、アステカでは「ウラマリツリ」、マヤでは「ポク・タ・ポク」または「ピッツ」などと呼ばれていた。ルールもさまざまで、体の一部やラケットやバットを使ってボールをキープする動作が含まれていた。

これらの球技の多くは重さ7 kgほどもあるゴム製のボールを使って行われた。

アステカ文明では、チームに分かれた選手たちが腰と尻だけを使って(足や手を使うことは禁止されていた)ボールを操った。ボールをワンバウンドさせて相手チームのコートの奥の壁に当てればゴールだが、硬くて重いボールが体に当たり、命にかかわるような大けがをすることも少なくなかった。相手コートの高いところにあるリングにボールを入れることができれば自動的に勝利となり、勝者には大きな栄誉が与えられた。

この球技は日常的に行われていたが、メソアメリカ文化圏において神聖な位置も占めていた。アステカの王たちは戦争の代わりに球技を行い、支配権を獲得したり、外交を繰り広げたりしたと伝えられている。マヤやベラクルスといった文化圏では、敗者が生贄にされることもあった。

いくつかの球技場には、負けた選手を生贄に捧げる様子を描いたと思われる石板が飾られている。マヤの創世神話にも、生贄とスポーツの深い関わりを示すものがある。双子が球技で冥界の支配者を倒して、太陽と月になったというものだ(4のp.46-47,[9])。

上記に関連するものとして、球技をする人の土偶(図01.09)、ならびに、ユーゴ(球技用防具)とゴムボール(民族資料)(図01.10)が展示された。

図01.09.球技をする人の土偶。
図01.10.向かって左から、ユーゴ(球技用防具)とゴムボール(民族資料)。


メソアメリカでは、執行する社会、地域、時代が変わっても人身供犠(人身御供)がそれに価値を見出し、3,000年以上継続された特有の慣習だった。最も顕著な戦争捕虜の生贄から、女性・子供の生費、さらにそれらを描写した石彫、壁画、および、土器も豊富で、手法も斬首から心臓の剥奪、磔(はりつけ)、および、食肉など千差万別である。当時の神話は、人身供犠は単なる非人道的な宗教儀礼ではなく、根源は人間の特性である利他行動であったと示唆する。先住民の神話によると、太陽、月、トウモロコシ、そして、人類も、あらゆる生命体は神々の犠牲により生まれ動いており、自然界の動植物も他者の存続のための犠牲により保持されるという。

これは生態系の理解にも共通し、食物連鎖の世界観をもつ宗教であり、広くアメリカ先住民が共有した倫理観でもあった。しかしその手法は往々にして残虐であり、軍事的国家では敵の捕虜の生賛儀礼は

政治的な覇権の誇示ともなった。(4のp.48-49)

上記に関連するものとして、シぺ・トテック神の頭像(図01.11)、テクパトル(儀礼用ナイフ)(図01.12)、歯状ナイフ(図01.13)、マスク(図01.14)、装飾ドクロ(図01.15)、および、貴人の土偶(図01.16)が展示された。

図01.11.シぺ・トテック神の頭像。
図01.12.テクパトル(儀礼用ナイフ)Técpatl(ritual knife)。
14.アステカ文明1502~20年。テンプロ・マヨール、埋納石室52 出土。
チャート、黒曜石、コーパル。高さ19.3 cm、幅8cm。 テンプロ・マヨール博物館10-252385。 15.アステカ文明1502~ 20年。テンプロ・マヨール、埋納石室52 出土。
チャート、黒曜石。高き12.8cm、幅5.8cm テンプロ・マヨール博物館10-220293。
図01.13.歯状ナイフDenticulate knife。
アステカ文明1469~81 年。テンプロ・マヨール、埋納石室6出土。
チャート。長さ39.6cm、幅6.9cm。
テンプロ・マヨール博物館10-168809。
図01.14.マスク。
図01.15.装飾ドクロ。
図01.16.貴人の土偶。


これらの出土品は、古代メキシコの歴史を感じさせるものである。



参考文献

[1] 株式会社 朝日新聞社,特殊法人 日本放送協会(NHK),株式会社 NHKプロモーション.“特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」 ホームページ”.https://mexico2023.exhibit.jp/,(参照2024年06月26日).

[2] 株式会社 NHKエンタープライズ.“特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」見どころからグッズまで徹底レポート!”.NHKグループ モール ホームページ.読みもの.2023年07月21日.https://nhk-groupmall.jp/blogs/read/ancient-mexico-report,(参照2024年06月26日).

[3] 独立行政法人 国立文化財機構 東京国立博物館.“特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」”.東京国立博物館 トップページ.展示・催し物.展示.平成館(日本の考古・特別展).https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2565,(参照2024年06月26日).

[4] 特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」公式図録,216 p.

[5] 名古屋市博物館.“特別展「古代メキシコ・オルメカ文明展 マヤへの道」”.名古屋市博物館 ホームページ.展示.特別展・企画展.過去の展覧会.過去の展覧会の紹介.https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji110416.html,(参照2024年06月26日).

[6] 株式会社 新泉社.“立ち読み [PDF]”.新泉社 ホームページ.歴史.メソアメリカ文明ガイドブック.https://www.shinsensha.com/wp-content/uploads/1296e57f88b782eb13ae3e03e448f398.pdf,(参照2024年06月26日).

[7] 独立行政法人 農畜産業振興機構.“神が宿るトウモロコシ”.農畜産業振興機構 ホームページ.でん粉.でん粉のあれこれ.2012年06月11日.https://www.alic.go.jp/joho-d/joho08_000173.html,(参照2024年06月26日).

[8] 株式会社 日経ナショナル ジオグラフィック.“マヤの絵文書に新解釈、従来マヤ暦を再編か 『ドレスデン絵文書』をシンプルな数学で解読した”.ナショナル ジオグラフィック トップページ.ニュース.古代.2016年08月26日.https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/082500008/,(参照2024年06月26日).

[9] 株式会社 日経ナショナル ジオグラフィック.“サッカーの起源をたどると「生けにえ」ありの危険な古代球技に 球技が誕生し、世界2.6億人が愛好するスポーツに成長するまで”.ナショナル ジオグラフィック トップページ.ニュース.古代.2022年11月22日.https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/112100538/,(参照2024年06月26日).

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?