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鶴岡八幡宮 参拝記 2021年

2021年12月30日、私は一般客としてコスホリック31([1])に参加する前に、鶴岡八幡宮を訪れた。

治承4(1180)年、源頼朝(以下敬称略)は初の武家政権である鎌倉幕府の拠点を鎌倉の地に構え、先祖ゆかりの八幡宮を現在の場所に遷し祀った。これが鶴岡八幡宮の起源である。

源頼朝は鶴岡八幡宮を篤く崇敬し、かつ、幕府、鎌倉、ひいては東国社会の守護神として篤い崇敬の誠を寄せた。

さらに、幕府の重要祭事として、放生会や流鏑馬、相撲、舞楽など今日に継承される祭事が境内で執り行われた。

鶴岡八幡宮は東国社会の精神的中心かつ社会的中心であった。

鶴岡八幡宮は本宮(上宮)で、応神天皇、神功皇后、および、比売神の3柱を御祭神として祀っている(図01,[2],[3])。

図01.本宮(上宮)。

また、若宮(下宮)で、仁徳天皇、履中天皇、仲媛命、および、磐之媛命の4柱を祀っている(3)。

図02.若宮(下宮)。

一の鳥居は治承04(1180)年12月、源頼朝が創建したが、当時は木製であった。しかし、台風などの災害で倒壊する度、その時の有力者が立て直した。そして、寛文08(1668)年、徳川家綱の祖母崇源院の大願を承け備前の国犬島(現.岡山県岡山市・犬島地域)から花崗岩が取り寄せられ、檜で作られていた一の鳥居が改築された。

明治37(1904)年08月、一の鳥居は国宝に指定されたが、大正12(1923)年関東大震災の時、柱の下部以外は崩落した。しかし、昭和11(1936)年08月、御影石で再建された。それ以降、子に場所に鎮座している(図03,[4],[5])。

図03.一の鳥居。

若宮大路は海(一の鳥居)から鶴岡八幡宮(三の鳥居)まで伸びる全長約1.8 kmの一本道で、鶴岡八幡宮の参道として鎌倉時代からの長い歴史がある。

二の鳥居から三の鳥居までの道の中央にある「段葛」は若宮大路の特徴かつ最大の魅力で、盛土により一段高く造られ、実際より長く見せるため三の鳥居に向かって幅が狭くなっている。

寿永元(1182)年、源頼朝によって鶴岡社頭より由比浦にいたるまで道の曲がりが直され、参拝の道が造られた。これが若宮大路の原点である(図04,図05,[6],[7])。

図04.若宮大路の二の鳥居と段葛。
図05.三の鳥居。

源平池は、源頼朝が大庭景義と僧侶の良暹(りょうせん)らに命じて造らせた池である。

“産”(繁栄)の願いを込めた3つの島が浮かぶ源氏池と、“死”(衰退)を象徴する4つの島の平家池は、源平時代を彷彿させるかのように、今もなお向き合っている(図06,[8])。

私はこの池に、鎌倉武士の徹底した非情さを見た。

(a)源氏池。
(b)平家池。
図06.源平池。

源氏池の中の島には、旗上弁財天社鎮座しており(図07,3)、その裏には政子石が置かれている(図08,8)。

図07.旗上弁財天社。
図08.政子石。

流鏑馬馬場には、屋台が多数設置され始めていた(図09,3)。

図09.流鏑馬馬場。

白旗神社は源頼朝と源実朝を祀る神社で、その神徳にあやかり必勝や学業成就で篤く信仰される神社である(図10,3)。

図10.白旗神社。

白旗神社の近くには、由比若宮遙拝所(図11)と鶴亀石(図12)がある(8)。

図11.由比若宮遙拝所。
図12.鶴亀石。

舞殿は若宮廻廊跡に建てられたもので、下拝殿とも言われる。そこで、神社での祭りや行事だけでなく、年間を通じ多くの結婚式も執り行われている(図13,3)。

図13.舞殿。

大石段(図14)を正面から見て、向かって左側に、「親」銀杏と「子」銀杏(図15)がある(8)。

図14.大石段。
図15.「親」銀杏と「子」銀杏。


今宮には、後鳥羽上皇、土御門上皇、および、順徳上皇が祀られているが、いずれも承久の乱の敗者である。もっとも、土御門上皇は他の2人と異なり、倒幕に反対していたわけだったが(図16,3,[9],[10])。

図16.今宮。

鶴岡八幡宮は鶴岡文庫(図17)や鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(図18)などの文化施設も運営している([11])。

年末ゆえ、これらの施設は開いていなかった。機会があれば、これらの施設を訪れたいと思っている。

図17.鶴岡文庫。
図18.鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム。

私は参拝客として、鶴岡八幡宮を訪れることができたことを嬉しくかつ有り難く思う。

 


参考文献

[1] コスホリック実行委員会.“コスホリック ホームページ”.http://cosholic.jp/index.html,(参照2022年01月01日).

[2] 鶴岡八幡宮.“武家社会の起点”.鶴岡八幡宮 ホームページ.知る.https://www.hachimangu.or.jp/knowledge/#anchor1,(参照2022年01月01日).

[3] 鶴岡八幡宮.“御社殿”.鶴岡八幡宮 ホームページ.観る.境内巡り.https://www.hachimangu.or.jp/sightseeing/keidai/#tabpanel1,(参照2022年01月01日).

[4] 有限会社Rodents(ロデンツ).“「一の鳥居」を見てみたら”.楽しい鎌倉 ホームページ.カテゴリ.神社と寺.2013年02月21日.https://tanosii-kamakura.jp/?tdate=2013-2-21-4,(参照2022年01月01日).

[5] 岡山シティミュージアム 犬島再発見の会.“神奈川県 鶴岡八幡宮の大鳥居”.犬島の石 嫁ぎ先発見の旅 犬島ものがたり ホームページ.2.石の嫁ぎ先 地域別に見る.https://www.city.okayama.jp/museum/inujima-story/kanagawa_01.htm,(参照2022年01月01日).

[6] 鎌倉市.“あなたがつくる「若宮大路の景観」 (パンフレット) (PDF:3,293KB)”.鎌倉市 ホームページ.産業・まちづくり.景観・風致.都市景観形成.あなたがつくる「若宮大路・小町通りの景観」(景観形成ガイドライン).2020年06月15日.https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/keikan/documents/wakamiya-sahou.pdf,(参照2022年01月02日).

[7] 公益社団法人 鎌倉市観光協会.“若宮大路”.鎌倉観光公式ガイド トップページ.観光.名所・見どころ.2021年04月01日.https://trip-kamakura.com/place/167.html,(参照2022年01月02日).

[8] 鶴岡八幡宮.“名所”.鶴岡八幡宮 ホームページ.観る.境内巡り.https://www.hachimangu.or.jp/sightseeing/keidai/#tabpanel2,(参照2022年01月02日).

[9] 学校法人 玉川大学・玉川学園 協同:多賀歴史研究所 多賀譲治.“承久の乱はなぜおきたか?幕府はなぜ勝てたか.”.鎌倉時代の勉強をしよう ホームページ.鎌倉時代をもっと知りたい人のページ.http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/joukyu/index.html,(参照2022年01月02日).

[10] 株式会社 ベネッセコーポレーション.“承久の乱とは?|起こった理由や経緯と鎌倉北条氏の台頭について解説”.ベネッセ 教育情報サイト ホームページ.日本の歴史特集.https://benesse.jp/contents/history/joukyunoran/,(参照2022年01月02日).

[11] 鶴岡八幡宮.“文化施設”.鶴岡八幡宮 ホームページ.観る.境内巡り.https://www.hachimangu.or.jp/sightseeing/keidai/#tabpanel3,(参照2022年01月02日).

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