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妹(2歳)にレゴブロックを破壊される姉(5歳)|それぞれの経験の分岐点

だんだんとおしゃべりができるようになり、意志表現が以前に増してハッキリしてきた妹氏2歳。そんな妹氏と仲良くしたり衝突したりイジワルしたり泣かされたりと何とも騒がしい場面が絶えなくなった姉氏5歳。

そんな二人の日々を眺めていると、ひとりっ子として育った自分は何ともフシギで切ない気持ちになります。以下そんなダラダラしたお話し。

ゴジラ来襲と天譴論

3歳になる直前までは、ひとり娘としてあらゆる愛情と利権と注目を独占してきた姉氏にとって、妹氏の登場はゴジラ上陸のように不条理で、でもなんとなく宿命のようなものとして現れたことでしょう。

しかもそのゴジラは、つい先日までの「ママの愛情や注目を奪う生き物」から「ひとつの人格として自分に対峙する人間」へ進化しました。

先日も、姉氏が一生懸命につくっていたレゴブロックの建物(自称)が、いとも簡単に妹氏によって破壊されました。大事に整理整頓していた「こ○もチャレンヂ」のお勉強セットも最近は方々に散逸しがちです。

それらは人災なんだけれども、その責をどこにも問えない部分がなんとも天災じみる。これもまたゴジラに似ています。

ゴジラの出現によって姉氏の遊びにも変化が出てきました。

一つは、なるべく破壊の被害に遭わない遊びへ、あるいは来襲範囲外での遊びへと移行しています。さらには、破壊や散逸を、ただ受け入れるというか、もはやそれが日常としてあまり気にしなくなっているようにも感じられます。

そのほかにも、何をするにつけ、ゴジラ、もとい、妹氏の動向を意識した振る舞いが増えてきたということ。その典型は、妹氏が遊びはじめたオモチャをわざわざ奪う、といった半ば嫌がらせ。でも、それも嫌がらせという自覚もないまま自動化している感があります。

なるほどなぁ、と思う。

姉氏はひとりっ子のわたしが得られなかった体験を享受しているんだなぁ。ある経験を獲得するということは「その経験を獲得しない」という経験の喪失でもあるのだと思うと、わたしが辿らず、姉氏がまさに辿ろうとしている経験の分岐点、その場面をまさに目撃しているんだな。そんな思いになります。

姉氏は確実に「コツコツとジックリと何かを作り上げる時間」を目減りさせています(当社比)。同時に、ゴジラに破壊されてもそれが天災だとあきらめる訓練も受けています。しかも「そんなところでブロックやってる姉氏が悪いんだヨ」みたいな〈天譴論〉すら登場して。親が慎太郎になる瞬間。

兄弟姉妹がいるということ

兄弟姉妹がいるということは、日常が「火事と喧嘩は江戸の華」と化すようなもので、トラブルへの耐性が育まれ、他者との過ごし方を習得するでしょう。その一方で、何事も儚いものとして執着せず、他者との関係性に意識が囚われる。そんな状況に姉氏はいます。

兄弟姉妹がいるということは、親子ではないが他人でもない人生の伴走者を得ること。そんな価値ある状況でもあるのでしょう。義兄弟や従兄弟たちをみているとそう思います。

繰り返しになりますが「何かを得ること」は「何かを失うこと」と同義だし、何を得るべきかといった「べき論」はここではさして意味がないのでしょう。

だから、このお話しはここまで書いてきて「だからなんなの?」といったものかもしれないけれども、自分にとっては、なかなか新鮮な「だからなんなの?」な境地と思えます。

まるでタイムトラベルもの(それこそ映画『バタフライ・エフェクト』(2004)を思い出す)の世界に紛れ込んだように、姉氏が直面するいろいろな場面が「かつて自分がああしていたらこうなったのか」「ああなっていたらこうなったのかも」と思わされる機会になったりします。姉氏がひとりっ子の私とは違う選択を常に辿るように作用する大きな蝶のはばたきが妹氏という存在なわけです。

いま保育園で姉氏が習得に苦労している「お友だちと仲良く遊ぶ力」は、妹氏のおかげで育まれる部分もあるでしょう。ただ、「みんな仲良く」といった尺度だけで育たれてもなぁ、と思うと、やっぱりゴジラの来襲にめげずに、自分ひとりの時間をシッカリ味わい尽くす姿勢も失って欲しくないなぁ。

同じように、妹氏にとっても姉氏とのやりとりや、姉氏の存在自体が、さまざまな経験の分岐点に作用しているのは言うまでもありません。実際そんな場面をよく目にします。よく聞く「妹は姉の失敗をみて学ぶので要領よくなる」なんて話はその典型例なのだろうなぁ。

不器用なのも苦労するだろうけれど、やり方主義の効率厨になるのも困りもの、だなんていうのは親の勝手な価値観なので押しつけるわけにもいかないけれど、やっぱり居心地の悪い、往生際の悪い自分に気づく。

ただただ、彼女たちの経験の分岐点に立ち会い、見守る時間を重ねていくんだなぁ、とも思う。

かと思うと、また妹氏が大きくなってくるにしたがって、二人の時間の過ごし方もかわってくるのだろうし、レゴブロックが破壊されたり、「こ○もチャレンヂ」のお勉強セットが散逸したりもしなくなっていくのでしょう。

そしてまた新たな二人の問題が浮上していくのかもしれません。そこはもうひとりっ子の私には未知の世界。

まぁ、それはそれで面白い。

毎日の「火事と喧嘩」も、ほほーっと思える観察対象になる。というかそうでも思わないとやってられない。「火事と喧嘩」に辟易しはじめると、それを知ったかのように魔のメッセージが届きます。


(おわり)

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