救援物資にもなった組立家屋|キートンの短編映画「文化生活一週間」をみる
里見弴の小説「極楽とんぼ」(1961)にこんな文章が登場します。
さらにこう続きます。
この「救援物資」とは、関東大震災で甚大な被害を受けた日本を支援すべくアメリカから贈られたもののこと。当時「レデーメードハウス」「出来合建築」などとも呼ばれていた「組立家屋」も「一番の大物」として注目されたそう。アメリカ製の「組立家屋」は「バンガロー式」と呼ばれる小住宅で、1920年代前半には日本へもちょいちょい移入されていました。その一例、神奈川の内藤彦一邸(1920)はシアトルにある「アメリカン・ポータブル・ハウス社」製のものだったとか。
ところで、内藤邸竣工の1920年に公開されたのが短編映画「文化生活一週間(One Week)」です。監督・主演は喜劇王バスター・キートン(70年代生まれにとっては、バスター・キートンあるいは益田喜頓よりもマスター・キートンがオリジナルだと思っていましたが)。
邦題は「キートンのマイホーム」との異名も持つこの映画にも「組立家屋」がもう一つの主役として登場します。
キートンとシビル・シーリー演じる新婚夫婦は月曜日に挙式。伯父からお祝いにもらった「組立家屋」を火曜日から自力建設しはじめます。部材が梱包された木箱には「ポータブル・ハウス社」と銘打たれているので、内藤邸の「アメリカン・ポータブル・ハウス社」を彷彿させます。
建物の構造は大型の木質パネルを組み合わせる総二階住宅。当然、その大型パネルもコントのネタになります。
水曜日には家が立ち上がり、金曜日には竣工記念でパーティーを行うも、台風襲来で大さわぎ。そして土曜には敷地を間違えたことが発覚し、曳家することに!
この新婚夫婦の結婚を快く思わない人物のいたずらから、住宅キットの番号が改竄されて、とんだ欠陥住宅ができあがってしまいます。いびつな外観はまるでデコン建築のご先祖さま。
しかも最後は曳家(まさにポータブル・ハウス)の最中に列車にひかれてスイートホームは大破とふんだりけったり。そんな一大事にもキートンは一貫して無表情なのは言うまでもありません。
実は、この短編映画「文化生活一週間」は、とある映画のパロディなのだそう。元ネタとなったのは1919年に公開された、フォード・モーター社制作の短編映画「Home Made: A Story of Ready-Made House Building」(ウィキに「Home Maid」とあるのは誤りあるいはネタ)。
どうりで「JUST MARRIED」とペンキで書かれた夫妻の自動車は「T型フォード」。以後、住宅工業化の夢は「T型フォードのように住宅をつくること」が目標となりました。
関東大震災による甚大な住宅被害から復興すべく「救援物資」として持ち込まれた「組立家屋」。当時、輸入組立住宅を大量に建設して震災復興だけでなく、住宅改善をも進めようと事業化を狙う動きもあったそうですがそうは上手くいかなかったのだとか。
「組立家屋」の普及は、さらに太平洋戦争からの戦災復興まで待たなければいけませんでした。その普及の過程では、キートンほどではないにせよ、笑えない不具合と試行錯誤が積み上げられ、いまの住宅産業があるのでした。
(おわり)
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