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木造建築の語られ方

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木造建築の「語られ方」を観察することで、多様なイメージや意味をまとった木造建築の布置と可能性を探ります。
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#木造建築

木造建築の語られ方|昭和期日本の精神史 あとがき

noteのマガジン「木造建築の語られ方」ほかに書き散らしていた文章たちを再編成して目次化して…

木造建築の語られ方|昭和期日本の精神史 はじめに&目次

noteのマガジン「木造建築の語られ方」ほかに書き散らしていた文章たちを再編成して目次化して…

RC造建築の語られ方|環境に優しい自然素材としてのコンクリート

木材を使わないで造る、地球環境にやさしい鉄筋コンクリート コンクリートは国内に無尽蔵にあ…

後藤一雄とたどる「日本の木造建築はどのように質低下してきたのか」

1979年、日本建築学会大会で開催されたパネルディスカッション「木造のデザインと構造安全性」…

現代建築の日本的性格|〈創造的代用〉としての新興木構造【3】

戦時中、建物に鉄が使えないので大空間を木でつくることになった「新興木構造」(図1)。これ…

木造禁止の模範解答|伊勢湾台風復興住宅と『美味しんぼ』のあいだ

2010年5月、ある連載マンガによって日本建築学会に衝撃がもたらされます。そのマンガとは『美…

木造建築を科学化せよ!|〈創造的代用〉としての新興木構造【2】

戦時下の日本では木造建築も戦争に動員されました。 「飛行機格納庫は物置みたいなもんで戦勝に貢献しないんだから、そんなものに鉄やコンクリートを使うな」と軍部から命令が下ったことを受けて、戦時下の日本では、格納庫や工場、講堂といった大空間建築を木造で、しかも国産の細小材で造る技術が研究開発されました。それが「新興木構造」。 前回の投稿では、大蔵省営繕管財局に勤める建築学者・竹山謙三郎(1908-1986)たちが、ドイツの「Freitregende Holz bautem」を参

隈研吾が50周年記念展示場を手がけた理由|東日本ハウスのジレンマ

木造住宅メーカー・日本ハウスHD(旧・東日本ハウス)の50周年記念展示場はご覧になりました…

木造建築を動員せよ!|〈創造的代用〉としての新興木構造

「しんこーもっこーぞー」ってご存じでしょうか。漢字では「新興木構造」と書きます。戦時中、…

建築史家・内藤昌と木割のモダニズム|1950年代、建築モデュール研究と建築史学の復権

『モデュールと設計』という小冊子があります。 日本建築学会が1961年に出版したもので、建築…

自己啓発としての棟梁・西岡常一|最後の宮大工は社会にどう受容されたのか

むかし、中学2年生の国語教科書(光村図書)に建築学者・小原二郎の「法隆寺を支えた木」が掲…

山本学治『森のめぐみ:木と日本人』を読む|1970年代、再評価される「木」

かの思想家・高橋ジョージが詩編「ロード」に書き記しているように、何事にせよ「何でもないよ…

〈木造愛国〉と〈木造亡国〉|木造建築をめぐる「語られ方」の諸類型

木造住宅メーカーで働いていたときにつくづく感じたのが「木造建築にはこうも沢山のロマンとフ…

ツーバイフォー住宅|戦後民主主義の〈住まい〉的実践

ツーバイフォーはブラックバスか?雑誌『暮しの手帖』の1977年早春号には「2×4工法で家中が手伝って建てた家」と題した記事が掲載されています。 計画・施工に渋谷さん一家が参加し、あちこちを自分たちの手でつくった思い出の一軒家。できればセルフビルドで建てたいけれども、やはりそれは大変。「むずかしいところや危ないところはクロウトにやってもらう」という建主参加型の家づくりを提案するのがこの記事の主旨です。 この記事に登場する2×4=ツーバイフォーは、正式名称を枠組壁工法(アメリ