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芸術と現代事情

とある記事を連続で目にしたので、自分なりに思うことを書こうと思う。どちらも専門外の素人意見として聞いてほしい。

① アガサ・クリスティーの作品中の侮辱的と思われる表現や人種への言及が修正/削除されることとなった

文学作品はその時代に沿って描かれる。現代から見れば不適切なこと、差別的なことが含まれることもままある。
作品は社会的背景をも込みで成立している。作者の思想も当時のものだ。
それらを現代の常識と照らし合わせてそぐわないから排除するというのは、無粋ではないか。

私は知らないが、文学研究をするに当たり、社会的背景を探るのは重要なことなのでは?
単なる読者としても、当時の空気感を味わうこと、その時代の背景を知ることは楽しみのひとつである。
現代的に不適切なことが描かれているとしても、注釈を入れれば済む話だと思う。
「当時はそれが当たり前とされていた」という歴史を知る機会は絶対に必要だ。そこから学ぶことができるからである。

少なくとも、原文からそれらを削るということは、著作権侵害に当るのではないだろうか。
原文から排除されてしまうと、それ以降の翻訳にも影響を及ぼすことになり得る。それは原文の言語圏のみならず、人類すべてにとって損失になる。


②ダビデ像の写真を使った授業に対し、「ポルノである」という苦情がくる

詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい。

辞職に関しては、正当な手続きを怠ったことが問題であったそうだが、そもそも芸術作品とポルノの区別がついていない大人がいることに驚きを隠せない。
ダビデ像に限らず、人間の裸体を表現する芸術作品は多い。それは何故か。

人間の裸体そのものがアートであるからだ。
人間の身体は美しいのである。

ただし、何故美しいと思うのかを突き詰めていけば性欲に辿り着くのは事実ではある。性的魅力を感じることで繁殖を促すのは自明の理なのだ。そういう意味では、芸術作品もポルノである。
しかし、芸術というのは、更にその先を表現しているものだ。だからこそ芸術と呼ばれるのである。
単に性欲を煽る目的で創られたものは芸術とは呼ばれない。

芸術作品を前にして、「これはエロい」としか思えない人間には、芸術作品を鑑賞する教養が備わっていないのだとしか思えない。
いや別に「エロい」と思っても良いのだが、それ以上に人間を惹き付ける美しさに気づけないのは、あまりにも貧しい人間性ではないか。二本足の動物に近い。どうか人間に進化してほしい。

逆にダビデ像にモザイクをかけたりしたら、途端にポルノ的になるな、と思ってちょっと笑った。それではミケランジェロも浮かばれまい。


日本ではまだここまでではないが、世界的にこのような話題が増えてきたように思う。極端な思想を持つ団体の声が大きくなったネット社会の弊害だろうか。
どんな思想をお持ちであろうと構わないが、文化的生活を侵害しないでいただきたいものである。

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