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ものづくりを勧める理由

私が”ものづくり”の楽しさを人に伝えたいと思うようになったきっかけを紹介します。
興味を持っていただけたらうれしく思います。

子供のころの体験が影響していると思っているので、その頃のお話から書いていきます。
少し長くなりますが、お付き合いください。

ハカセへの憧れ

私が子供のころの遊びには、自転車で川に出かけて行っての釣りや、北国だったので家の前の雪山に基地を作るなどのアウトドアの遊びと、ファミコン(家庭用テレビゲーム)やパッチ※のようなインドアの遊びがあり、アウトドアとインドア両方を楽しんでいました。

※パッチ(地方によって呼び名が違いそう):ガンダムなどの一場面が印刷された名刺大くらいのカードを使って対戦する遊びで、メンコとほぼ同じです。メンコは丸い形状ですが、パッチは長方形。
台上にあるカードに対し自分のカードを投げつけて、相手のカードを台から落とす、ひっくり返す、カードの下に潜り込ませる、などができると相手のカードをもらえるという遊び。

ある日、パッチ仲間の幼なじみの家に遊びに行った時に、3畳くらいの小さな部屋があることを教えてもらいました。

そこは、その子のお父さんの趣味の部屋で、壁全面が本棚の部屋でした。

その本棚には手塚マンガがずらりと並べられていました。

興奮した私は、ややしばらく通い詰めました。
二人でマンガを読みふけり、しまいには私一人でもお邪魔していました。
今思えば、少し迷惑だったでしょうね・・・いや、だいぶかな。

そのときに読んだ手塚マンガの中で、特に好きだったのは『三つ目がとおる』でした。

簡単にお話を紹介すると、主人公の写楽(しゃらく)は、高度な古代文明を繁栄させた三つ目族の末裔で、おでこに第三の目がある少年です。

第三の目にはいつも絆創膏が貼られているのですが、何かの拍子におでこの絆創膏がはがれると、普段はドジな写楽が急に大天才になり、古代文明の知恵を使ってロボットを作り、呪文を唱えて動かしたりして、身に降りかかる様々な危険や事件を解決していくというSF冒険ものです。

そんな写楽がとてもカッコ良く、こんなロボットが作れたらいいなあ、と思ったことを覚えています。

『三つ目がとおる』以外の手塚作品や他の作家の作品にも、スゴイ物を作れる、いわゆる「ハカセ」が登場するマンガは多いと思います。
発明家と言った方が雰囲気は伝わるかもしれません。
天馬博士、お茶の水博士、則巻(のりまき)博士、ブルマ(と親)、阿笠博士、などなど。

きっとマンガ家さんもそういったスゴイものづくりができる「ハカセ」に憧れがあったのではないでしょうか。
心の中にそういう思いを秘めている人は実は結構いるのではないかと思っています。

私もこういうマンガのキャラクターから影響を受けて、工作が好きになったように思います。

記憶に残る工作

小学校の夏休みや冬休みの工作の宿題は、とても時間をかけて、みんながアッとおどろくようなものを作っていました。

作った工作の中で特に記憶に残っているのが信号機の工作です。

お菓子の紙箱の上に道路と横断歩道を描き、ラップの芯を電柱にして、車道用と歩道用の信号機に豆電球を仕込んで光らせるようにしたものでした。(下図)

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その信号機の工作でやりたかったのは、時間が経つと自動的に青→黄→赤のように光が切り替わるようにすることでした。(実現できませんでしたが)

当時、それを実現するためには、モーターを使って接点を変えるくらいしか思いつきませんでした。
しかし、モーター(DC)の回転は速すぎるし、ギアで回転数を落とせばできるかもしれないけど、都合の良いギアは持っていないし、接点もうまく通電するかわからない・・・

考えた末に妥協策としたのは、スイッチを使って手動で切り替えるというものでした。
エナメル線を削って接点を複数作ってうまく切り替わるようなスイッチを自作したのでした。

はっきり言ってちょっとダサいと思ったのですが、友達や先生の受けは良く、みんなスイッチ切り替えで信号が変わるのを楽しんでくれました。

パソコンとの出会い

小学6年生になると家にパソコンがやってきました。
NECのPC-6601というカラーモニターで漢字が表示できるのが売りのパソコンだったように記憶しています。

それからはすっかりプログラミングにハマり、「マイコンBASICマガジン」という雑誌を買って、記載されているゲームのプログラムを打ち込んで遊んでいました。

当時、プログラミングについて調べるには、パソコンに付いてきたN88-BASICというプログラミング言語のマニュアルを見るしかなかったのですが、子供向けには書かれておらず、漢字が難しかったのが一番のハードルでした。

そして遠ざかる

高校生になる頃には家のパソコンはPC-9801になり、4人対戦テトリスを作って、友達に自慢したりしていました。

しかし、大学に入ると、研究に使うプログラミングはしていたものの、いつのまにか趣味のプログラミングはしなくなっていました。

社会人になってからも、仕事以外に何かプログラミングしたり、ものづくりをすることからは遠ざかっていました。

大人になってものづくりに再会

社会人生活も20年近く経つころ、ふとしたきっかけから自分の会社のものづくりコミュニティの方と知り合い、勧められた勉強会に参加してみて衝撃を受けました。

スゴイもの作ってる人がたくさんいる!
そして、みんな楽しそう。

自分もトライしてさらに驚いたのは、ものづくり環境がとっても変わっていたということ。
特に電子工作のハードルが”超”下がっていたのです。

私が子供のころ作りたかった、自動的に動作する信号機は、安価なマイコンボードを使って簡単に実現できることもわかりました。

当時、これがあればなぁと思います。

このとき私は気づいたのです。
あれ?そういえば、自分は”ものづくり”が好きだった!!!

20年間以上も眠っていた意識にそのとき気付きました。
自分が好きなことは、思い出せずにいただけで心の奥底にずっとあり、無くなってはいなかったのです。

あぁ、なんと遠回りをしてしまったことか。

きっと私のように、子供のころ”ものづくり”が好きだった、プログラミングが好きだった、あるいは、マンガに出てくるハカセに憧れを持っていた、そういう方が少なからずいるのではないかと思います。

そんな方に、今、改めてものづくりに触れて、本当に簡単に楽しい工作が作れることを実感してほしいです。

少し慣れてくれば、昔マンガの世界にあった声で操作する道具とか普通に作れますからね。
人間と普通に会話ができるロボットも遠からず実現しそうですし、きっと誰でも使えるようになっていくでしょう。

こういうのってワクワクしますよね。

これが、私が人にものづくりの楽しさを伝えたいと思ったきっかけです。

私の場合、ここまで来るのにだいぶ時間を無駄にしてしまいましたが、みなさんには、今すぐにでもトライしてもらって、”ものづくり”を楽しむ側に来てほしいです。

私はそんなみなさんの背中を押してあげたいのです。
”ものづくり”は楽しいですよ。

そうは言っても、プログラミングの知識があったからできたのでは?
と思われる方がいるかもしれません。

プログラミングはものづくりの一部なので、ある程度の知識を身に付ける必要はありますが、難しくないので心配は要りません。

私は小学生のころからプログラミングに親しんでおり、プログラムを書くことに全く抵抗が無かったので、この点については有利だったと思いますが、実は、これはさほど重要ではないと考えています。

なぜなら、プログラミングの基礎は難しくないですし、LEDを光らせたり、モーターを動かすような工作を作る際に必要な知識は、本当に基本的なところだけで大丈夫だからです。

今はプログラムが書けなくてもブロックのような部品を組み上げることでプログラムができあがるというアプリがありますし、初心者向け、子供向けの学習コンテンツもネット上にあります。

そして、私も、工作するのに必要となる部品やプログラミングの知識について情報発信し、これから始める方がつまづかないようにお手伝いをしていきたいと思っています。

どうでしょうか、何となくできそうな気がしてきませんか?

まとめ

今、ものづくりのハードルがとても下がっていることのイメージはできたのではないでしょうか。

とはいえ、初心者がつまづきやすいポイントはあります。
私も数年前にものづくりを始めたばかりなので、悩んだり、調べるのに時間がかかったことなどは、まだ記憶に残っています。

そういうところを軽〜くクリアしてもらいたいので、どうやって始めたらいいのかについて、具体的な情報を記事にしていきたいと思います。

「興味はあるけど難しそう」と思われがちな”ものづくりの世界”の道しるべになることを目指します。

ブログも書いているのですが、noteとどう切り分けるかは模索中です。
ブログ、note、YouTubeを使って、初心者の方に役立つ情報を発信していきます。

ものづくりは、アイディアが形になる瞬間に立ち会うことができるとても楽しい創作活動です。
みなさん、一緒に”ものづくり”を楽しみましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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