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[note68]探究学習中間発表会@横浜創英中学校

きっかけはSNS

横浜創英中学校における探究学習の中間発表(ポスターセッション)に参加した。FBを通じて、同校の山本崇雄先生が告知して下さったことで、こうした貴重な機会を得ることができた。改めてSNSによる学校や様々な業者の方との繋がりの威力を認識。最近は情報をInstagramで得ることも多い。今後も教育をはじめとしてSNSを通して色々な人とのつながりを広げていきたいと思う。

探究学習の目指すもの

原点は好きなこと

これは以前から考えて、noteでも書いてきたことであるが、探究学習の原点は生徒たちが「好きなこと」「気になること」「楽しいこと」なのだと思う。ポスターセッションの合間に何人かの生徒さんに「テーマはどうやって決めているの?テーマ作りは難しくない?」と聞いてみた。共通して返ってきた言葉は「難しいけど、最終的にはやりたいこと!」だった。もちろん、テーマをこちらが設定して、どのようなアプローチで取り組むか、新たな価値をどのように生むかという探究学習もあるし、横浜創英でもそうした形の探究学習も行われている。ただし、そこにも原点は必要であり、「自分」は何を考えているかという内省の部分が大きいように思う。

突き抜けよう・枠を外れよう

これは講評を行った方の言葉である。
併せて、発表会後にお話をさせていただいた方との会話を通じて意識するべきことがあった。それが生徒が安心できる場作り、生徒に委ねる勇気、教師も楽しむ探究学習である。教員は生徒を型に当てはめがちである。保護者や他校の教員、教育関係の企業などが集まる場では、良いものを発表させようと生徒をマネジメントしてしまう傾向がある。マネジメント自体が悪い訳ではなく、知らぬうちに、生徒の探究が、学校や教師が探究をしている生徒を見せる場になってしまうことが問題なのだろう。そして、何よりも今回の探究の場は生徒が相互の探究の営みを認め、先生方も、そうした生徒の成長を共に構築する場を楽しんでいる姿が見られた。そうした「信頼・安全の場」が存在することこそが、何よりも大切なのだと改めて感じる時間となった。生徒が教員を含めた大人のイメージや想像を突き抜けていくことが、最大の意義なのかもしれない。

印象的な発表

発表はポスターセッションの形で実施され、最終的に9つほどの発表を聞くことができた。それぞれにテーマが個性的で楽しかったが、その中でも印象に残ったテーマを1つ紹介したい。「空間・色・形」というタイトルの発表に対して、最初は何を話すのかな?とイメージが湧かなかった。発表の詳細は省くが、人間が健康で長く生きるために必要な要素として空間や色、形に注目したという内容だった。中学2年生の発表なので、深堀利が必要な面はもちろんあるが、生き方・空間・色・形を結び付けた発想というか、視点に感心した。例えば、緑は落ち着く色であるとか、形が人の心に与える影響などは知られているが、それと長生きする、健康であることを結び付けることが秀逸であると感じた。「何で、空間や色や形に注目したの?」と問いかけてみたが、元々の健康に長生きするというテーマから派生して、それらが、ふとキーワードとして浮かんだということだった。これこそ柔軟な発想だなと思った。アプリケーションやガジェット、システムではなく、ある意味で概念に注目したことが素晴らしいと感じたことが、今回の中では特に印象に残ったポスターセッションとなった理由である。

複数の視点の必要性とゆるゆると積み上げる探究

これはオープニングでも説明があったが、教師、外部講師、保護者、仲間達など色々な人の声が探究を深めていくということだ。
学校活動は部活動などを除き、校内やクラス内で完結しがちであるが、よりオープンになっていくべきだろう。山本先生は「子どもたちにとって、おとなが自分の話を真剣に聞いてくれる経験がとても大切だ」と指摘された。
自分の発表を他人に見られることは、少なからず抵抗があると思うが、同時に「聞いてほしい」という根源的な欲求も存在する。自分が聞いたポスターセッションの生徒達は、自分の「好きなこと」から派生して考えた探究の成果を一生懸命に説明していた。そこに成功や失敗を求める必要はないだろう。横浜創英における探究のテーマは「学びを社会につなげること」であるが、だからこそ山本先生曰く「5年~6年かけてゆるゆるとやっていければいい」と仰っている。とかく探究学習を大学の学校推薦型選抜や総合型選抜につなげるような話も聞く。もちろん、探究の先に進路があることは悪いことではないし、探究を通じて得たスキルが受験に生きるのであれば、それも良いことだと思う。ただし、視野がそれ一つになってしまうと、探究活動自体が複数の視点を失うことになる。彼らは卒業しても、大学でも、社会に出ても、探究を続けることになる。人生そのものが探究であるからだ。
このように考えると「中学時代から長期的にゆるゆると探究する」という姿勢は非常に大切なマインドであるように感じた

カリキュラムの検討とマネジメント

勤務校では現在、カリキュラムの再編が話題となっている。ただし、それは新課程入試や大学受験に向けて、より柔軟で生徒にとって利便性の高いカリキュラムへの再編という意味合いである。これはもっともなことで、端的に言えば卒業単位をいかにマネジメントするかを検討する教務部と大学入試科目を念頭に、いかに効率的に受験学習を構成するかを考える進路指導部の間の意見のすり合わせは不可欠である。一方、探究活動のような生徒主体の学びに関する議論はなかなか俎上に上がることがない。中学生でゼミナール授業という形で探究学習を2年間を行っているが、その経験やスキルが高校になるとプチっと切れてしまう印象だ。もちろん、探究学習については様々な意見があることは承知しているが、長期的な視点で見た時、また今回の横浜創英の子どもたちの姿を見たとき、改めて「生徒が自ら学ぶ」ことの重要性を認識させられた
今日の中間発表会で感じたことを1つ挙げるなら、生徒も教師も「探究」という混沌とした場を楽しんでいるということだ。社会自体が不透明な状況にある現在において、混沌・混乱・不安定は決して悪い言葉ではなのかも知れない。むしろ、予定調和的だったこれまでの社会で得た経験は大切にしつつも、「混沌」に直面する勇気を大人(教師)が持つことができるかどうか…それこそが大切なのではないだろうか





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