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先生はえらい 内田樹

 おはようございます。朝、noteを開いてみたらいいねが2件ついていて感動しました。自分の作品が認められることってホントにうれしいですよね。みんながツイッターやインスタにはまるのが共感的にわかりました。

 あと、関係のない話ですが、ヒーターを買いました。安いやつでも十分足元を温めてくれていいですね。2020年買ってよかったものランキング10位内には入りそうです。


 それでは、本題です。今日は「先生はえらい」という本を紹介します。

 私自身、作者の内田樹さんのファンで、書籍は10冊ほど持っています。かなりおすすめなので、他の機会にでも紹介をしたいと思います。この、内田樹さんですが、たとえ話を用いるのが非常にうまく、書いていること自体は理解しやすいです。しかし、今までの常識とは少し違う意見を述べられていることが多く、内容自体を理解するには時間がかかりました。独自の世界観から本質的なことを捉えようとする姿勢が素晴らしいです。

 それでは、本の内容です。「先生はえらい」タイトルだけ見ると、先生が全てだ!言うことを聞きなさい!と書かれているのかな。と何となく想像してしまいますが、そういった過激な内容ではなく、学びとは何かを本質的に書かれている本になります。「学び」というと先生や学生にしか関係なさそうな話に感じますが、私は全人類に読んでほしい本だと考えています。

 

学びのイメージ

 みなさんは「学び」とはこんなイメージがあるのではないでしょうか。先生が生徒に対してわかりやすい説明をし 生徒がそれを理解する。今まで私たちが受けてきた教育はそういうものでした。理解しやすい授業がいい授業であり、わかりやすい説明をする先生がいい先生である。こうしたイメージがあるのではないかと思います。しかし、内田樹さんはこれが本質ではないと本書では述べられています。

 内田樹さんの言う学びの本質とは何か。それは、生徒自らが疑問を持ち考える行為であると述べられています。先生自身が何かを伝えようとしているわけではなく、ただ生活しているだけであったり、よくわからないことを言っているだけであったりするだけでも学びは成り立ちます。なぜなら、生徒自身が「そこに何かの意味があるのか」考えた地点から学びは始まるからです。そして、それこそが学びの本質です。つまり、「学ぶ」とは、役立つことをだれかに丁寧に一から教えてもらう行為ではなく、自ら問いを持ち、その問いを解決しようとする行為なのです。

 教える先生も、すごい人であったり、社会で役立つことをわかりやすく教えてくれる人でなくてもいい。その人が何を知っているのか、考えているのか、想像もつかないような人、つまり謎の人が先生になりうるのです。

 ここまで、「学び」について話をしてきましたが、あまりピンと来ていない人もいるかと思います。ぜひ、「先生はえらい」を読んでいただいて理解をしていただければと思います。本書では、今までの話について、たくさんの具体例を挙げながら少しずつ迫っていく構成となっています。ですが、読み終わったときには「なるほど!」とはなりません。「結局何がいいたいの?わかったようなわからないような、、、」そういった感想を持つと思います。だからこそ、何度でも読みたくなる本です。ぜひ読んでみてください。

 

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