刺青

※一部痛々しい表現を含んだ記事です。
そういうのが苦手なお方、今のうちにスルーを。


よくSNS界隈を巡回したり、ビジネス系の記事を読んだりする度に、正気か?とおもう表現に出会う事がある。それが"ブランディング"という言葉だ。

例えば、製品のブランディングをする、とかよく使う。個人SNSをブランディングする。よく使う。
ブランディング失敗した。よく使う。

この語源、知ってますか?

ブランディング(英: branding)とは、ブランドに対する共感や信頼などを通じて顧客にとっての価値を高めていく、企業と組織のマーケティング戦略の1つ。ブランドとして認知されていないものをブランドに育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し、活性・維持管理していくこと。また、その手法。ここでいうブランドとは高級消費財に限らず、その対象としては、商品やサービス、それらを供給する企業や団体のほか、人物・建築物・史跡・地域 ・祭事など、あらゆるものが該当する。(Wikipediaより)

あれ?書いてない。天下の百科事典すら書く事を辞めたのか。

まぁいいや、続けます。昔大学の講義でこれの語源を知ったのですが、そもそものそも、"ブランド"の語源は"焼印"なのだそう。用法としては、家畜の脇腹に識別表として焼印をジュッとつける事。これが"ブランディング"の本質だそう。

ちなみにあんまり流行っていない頃、というかビジネス界隈で言わなかった頃、このブランディングという言葉は身体改造カテゴリのページが検索2位ぐらいに表示され、分かりやすい例で言うと"刺青"と同じ意味で使われていた。

つまり、SNSでのブランディング、というのは"刺青"と同意だ。

こう書くとマイナスイメージがすげぇ強くなるので、意図的に脱線します。

私もそういう人々と触れ合ってようやく知ったことだが"刺青"って結構哲学的なトピックだ。
モチーフ一つとっても意味合いはいくつもあるし、個人の意味付けを含めると本当に幅広い。
想い人を忘れない、という意味もあるだろうし、誰かと手を繋ぐ、という意味があるモチーフだってある。あと、龍の刺青は歳を取るとツチノコになる、とかね。
自己表現に関しては、先を行っていると思う。

しっくりきたのが、自分から溢れ出た何物かを封じる為の刺青。という意味だ。キャンバスでも原稿用紙でも、はたまたPC画面でも、歌でも表現できないから、自らの肌に直接刻む。直接、視覚で我なりと表す。最上級の自己表現である、と思う。

言いたい事は、全てが他者を威圧する目的ではないということだ。勘違いはやっぱり、されやすいけどね。

話を戻します。SNSでのブランディング、およびステートメントが、刺青だとすれば、話は結構単純化する。程度の違い、カテゴリの違いは多々あれど、突き詰めれば『唯我論』だ。共感されてもされなくてもいい。私が思うnoteを書くことは刺青で、言いたい事は究極、唯我論だ。話しづらい、重いトピックを記事にするとき、何故か書くだけで消耗している状態も、私はこれで説明をつけている。
刺青を刻んでいるわけだ、苦しくない訳がない。

現実、私は刺青をしていない。
理由としては、まだそこまでは必要ないから、傷なんてあえてつけなくても、勝手につくような生き方をしているから、そう思っている。

だけどブランディングはした事がある。
流石に何年も経ったので、もう消えたが、その時の感触はDIYだったからか、まだ覚えている。
何かしらの鉄を整形して、ガスバーナーで真っ赤になるまで炙る。躊躇う。目を瞑って一気に押し付ける。
ジュッという肉が焼ける音がして、不快かもしれないが、まさかな、肉が焼ける匂い、は自分の肌でも美味しそうな匂いになる。
数日間じんじんして、その後むず痒さが襲ってくる。
メラニンが沈着するまで、そんな日々が続く。

今、その時の思いは消えてしまった。焼き痕が消えるのと、ほぼ同時に、消えていた。その時にはもう、私は私を語る事が出来るようになっていた。何者かではあった。

消えて尚、こうやってエッセイを書き倒す、その心は紛れもなく唯我論だ。臆面もなく、唯我論だ。
誰の目にも留まらない、というのはかえって上等だ。
いかに刺青を入れても、威圧したいからじゃないから、ただ、我ここに有りと言いたいだけだから。

複雑な事は言いたくない。
一つ言えるのは般若でも、不動でも、龍でも、麒麟でも、トライバルでもいい。そこに込めた意味を、聴くだけよ。お互い墨だらけなら、あとは聴くだけ。それでいいや。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。