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あんたの本能、買わせてくれる?

午前2時の待ち合わせで、こんなにテンションが上がらないのはなんでだろう。
感情が高ぶって何度も画面を見返す数、視野に入ってくる人をわざわざじっくり見つめる回数。全てにおいて足りない。そりゃそうだ。今日、この時間に待ち合わせしている相手は、同期の女子でもなく、バイト先の同僚の女子でもなく、生徒。トオルくんとだからだ。
ちょうど煙草に火を付けた所で先生、と声をかけられた。
間抜け面で煙草を加えた俺は、まず何から話そうか考えた。

何にも分かんねえよな。OK、最初から語る事にする。
トオルくんは高校3年生、今年受験だってのに、成績はぐいぐい落ちている。そんなんだから個別指導塾に通わされるのも、もっともな話。もう18歳な訳だが、トオルくんは童顔だし、背も見積もって160そこそこしかない。線も細い。もやしと言って過言じゃない。
俺。もっとも簡潔に説明すると、個別指導塾の受け持ちの講師、肩書きはバイト。担当は世界史。大学2年で、楽そうだからと始めたバイト。世界史の成績は受験生時代アホみたいに良かったから、適材適所。というか世界史なんて、興味深々な奴はすげえ出来て、それ以外の奴は暗記物。成績が悪い奴には、徹底的に物語を語らず、組み合わせだけを教える。誰だって出来るお仕事だ。
いや頑張ったよ。トオルくんとの二人三脚は俺的にはベターだったと思う。成績は伸び悩んでいたけど。そんなどうしようもない日を送っていたんだ。
そんなトオルくんが、突然目をキラキラさせて俺の話を聞くようになった。何?何を吹き込まれたの。
気になって俺は古文を担当している美雨ちゃんに聞いてみた。俺、なんかしたかな?美雨ちゃんはケラケラ笑って、違う違う、志村くんのね、昔の武勇伝を話したら、トオルくんもう憧れちゃってさぁ。
どういう事??要約するとこう。俺が昔、どうしようもない不良剣道部に入って、サボりまくっていたデブの先輩達を同期と一緒にタコ殴りにして乗っ取った話、を聞いたらしい。いや実際正規の手順踏みましたけど。不良剣道部だったのは否定出来ないとこだし、大会出ても全然勝てなかったし、全員反則取られまくってたし。喧嘩殺法の稽古しかしてねぇし。美雨ちゃんに慌てて弁解したら、だからそういうのも含めて、尊敬しちゃったらしいよ。いっぺん稽古つけてみなよ。なんかその体育会系、かっこいいし。
そこから何が拗れたのか、トオルくんは、稽古つけてくれるんですよね!なんてキラキラした目でこっちを見てくる。辞めて。そんなんじゃない。

抗い切れずに今に至る。深夜のコンビニ前で待ち合わせ。トオルくんは、どこで買ったんだよその真っ黒で変な英語書きまくってるノースリーブシャツ、とジッパーだらけの真っ黒デニムで目をキラキラ輝かせている。動きやすい格好で、と言ったんだそれじゃねぇ。とも言えず間抜け面で、じゃあ行きますかなんて先導する小心者の俺と一張羅のトオルくんはどっからどう見ても、不審だったと思うよ。

深夜の郊外、でっかい緑地みたいな所は奥まで入れば滅多に誰も来ない。そういう所をきちんと選んだ。一応さ、剣道の稽古をつける、っていう話だから、竹刀2本、木刀2本、内一本は修学旅行の京都で買ったお土産品。どれでも好きな奴選んで良いよ。それで立ち会おう、余裕を見せてそう言ったらトオルくん迷わず土産品の木刀を取った。黒光りした、やたら長いやつ。普通、そこは、竹刀だろ!
引くに引けない俺はもう一本の、昔部室からパクって私物化した木刀を取る。こいつ本気だ。

回りくどい話はいいから、とりあえず構えてみなよ。余裕の振りして対峙してみると、視線が一向に外れない。剣先をぴったりと合わせ、本気の青眼で構える。これはマジでヤベェ。
気持ちをしっかり入れる。まず相手の目から視線を一瞬も外さない。そのまま相手以外の風景を後ろに押す、要は遠近法。それを自分の眼球の中だけで実行する。そうすると、本当に相手は下がってゆく、気圧す。そうそう。それでいい。トオルくんはジリジリ下がる。剣先を一瞬弾いて、飛び込む。牽制。トオルくんの大振りのガード、本来は最小限で動かなきゃならない。弾かれた俺の一打が、トオルくんの手の甲に当たる。痛そう。一度距離を保ち、もう一度牽制、少し学んだらしく、飛び込んだ剣先を逸らされた。それでも二の腕に当たる。もう一度距離を取る。トオルくんは汗だくだ。多分、腕も痺れている。オラ!少しぐらい打ってこいよ、俺は敢えて構えを解き、だらりと木刀を下げて煽った。当然飛び込む、間合いも足運びもへったくれもない、大振り、空いた腕で内側に入り込み、柔道の気持ちで摑みかかる。トオルくんの進行方向に沿う形で、力任せに投げ飛ばす。
尻もちをついたトオルくんはすぐに起き上がる。退け、この体格差だ。どう頑張ってもリンチにしかならない。トオルくんはやっぱり視線を外さない。押されているのは、俺の方だ。はは、笑える。すぐ立ち上がって構え直すトオルくんには寸分の隙もない。その時不意に、悪い考えがよぎった。

本気をぶつけたら、どうなる。一瞬掠めただけで、身体は完全に支配された。ゆっくり、剣先を持ち上げ、鎖骨と上腕骨の間にぴったりと峰をつけ、担ぐ。脇を締め、ジリジリと半身の姿勢を取る。真っ直ぐ飛び出しても、先の先、慌てて振り上げても、後の先は取れる。右足の踏み込みと同時に全体重をかけて、振り下ろす。そうなったら、どうする。トオルくんの目が一瞬、泳いだ。だけど構えは崩れない。額にはいくつもの汗が浮き、顎まで滴っている。どこかから聞こえる生活音が消え、葉の揺れる音が一際大きく響く、砂を踏む感触、にじり寄る恐れ、拳と体がまるで別の感覚のよう。一本ずつ、指先に力を入れる。違う、違う、これも違う。
気づいたら俺は大声で吠えていた。そのまま一度、地面を強く打ち、構え直して一気にトオルくんに向けて飛び込んだ。後ろに一歩退くトオルくんの姿が見えた。剣が、空気を押し潰し、ある一点で引っかかる。そこに、全体重全身体の血液を押し流して、その一点を引き裂いた。

その後?そうそう。話さなきゃな。でもまあクライマックスは終わったから、あとは余計な話なんだけど。
トオルくんはうまくガードした。トオルくんの木刀真っ二つに折れたけど。なんとなく二人共その場に座り込んで、大笑いした。うわぁこんなことってあるんだなんて。折れた木刀は供養したよ。もっともそれが供養になるかなんて知らないけど、土にぶっ刺して、二人で南無南無って手を合わせて。

その後二人で待ち合わせたコンビニまで戻って、一緒にコーラ買って飲んだ。ベタだけど真面目な進路相談した。強くなりたいんだってトオルくん。勉強なんかどうでもいいじゃないけど、強くなって忍者になりたいんだって。どういうことだよって突っ込んだけど、きっとそのうちなれるだろなんて、無責任なこと言って。いいじゃん、弟子が出来たじゃん。なんて、いやいや無理ばっかり言いやがる。俺はただのバイト。んでただの大学生。でももうとっくに強いやつだよ。心配ないって。
格好いいわけないだろ、俺必死こいてコンビニの前でトオルくんに絆創膏貼りまくったんだ。勘弁してくれって。ださいだろ。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。