虚栄心が必要になる局面はない。
あんたわざわざそれ言わなくても良くない?なんてことが多々ある。
例えば、人にあんまり興味がないし、自分の趣味、趣向は独特だから尊い。そこんところ理解しなさい。とか。
突っ込みを入れるとすると、人にあんまり興味がない=非凡である。って考えは成り立たない。で、趣味、趣向が他者とあまりに異なっている=素晴らしい聖人君主である。という考えも成り立たない。孤独な凡人なんて世の中にありふれているし、特殊すぎる趣味なんてものもそんなに思いつかない。使用済みのネジを蒐集する趣味の持ち主なんぞがいたらそりゃ特殊ですが、生憎そんな奇特な方には出会ったことがないので、普通の趣味の持ち主は普通にしましょう。
もいっこ、人が好き、とか人に興味がある。みたいな話で、故に私は素晴らしいみたいな答えも実際成り立っていない。往々にして土足で踏み入る人間が聖人君主ではない。あとは素晴らしい道筋に人を導ける人間であることも少ない。あと、自分がそう思っているだけ説もある。
残念ながら人の主義、思考と、全体からの評価が合致しているかはケースバイケース。
なのにそんな自己分析が蔓延している。自分はコミュ障だとか、人に興味がないとか。虚栄心。自己アピール。私は粘り強い人間です、理性的な人間です云々かんぬん。
特に否定する気はないのだけど、実際のところどう感想を述べるのが正解なのかなぁ?
うんうん。わかるー。辛いよねー。だるいよねー。休むー。
これであってるかな?
他者から、変わってるよねーとか、独特の世界観だよねーとか言われるのって割合気持ちがいいのは、分かる。んでも自分も含め、マジでそれで食っている芸術家ではないし音楽家でもないし文筆家でもない。ちなみにそういったマジ職の人々がそういう感想をもらった時、要はなんも分かんねぇけど褒めなきゃいけないみたいな感想だろ?聞いてられるかと思う。なんて話はなんかで読んだ。感想を言うにも、リテラシーがいるらしい。
甘言、ではないけどそんな甘い評価をもらいながら、自分の自尊感情を満たす。気持ち良い。そんな日々を繰り返し、いつの間にかコミュニケーションは断絶していく。裸の王様ってこんな気分だったんだろうな。
普通に風呂に行きたい。こんな日は。
サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。