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家族という組織から始まった私

家族とは疎遠だ。もう2年も会ってない。まあまあ親不孝な息子だとは思う、実際昨日は何にも連絡しなさ過ぎて心配過ぎるとの苦情のメールを受けた所だ。

実際のところ家族仲は悪くない。それに両親の事が嫌いだとか鬱陶しがっているわけではない。普通に尊敬しているし、なんかあったら不安になる。ただ自分も妹も離れて暮らしている。それぞれに生活がある。物理的距離を越えようという努力が、一方的に足りない。

どうしてこうなったのか、今もって分からない。どちらかといえば、家族、というより組織に属している感が強い。家族として過ごしている時も、小さな諍いは何度もあった。それは大体、腹を割って話し合うとか、衝突するではなかった。今、会社勤めをしてようやくわかる事だが、あれは、落とし所を見つける事だった。
両親も、妹も、私より遥かに感情的で、しばしばその仲裁をしていた。一方をたてて、もう一方の話を聞く。その役割を自分勝手に担っていた。
家族には明確に役割があった。怠け者もあったし、わがままもあった。みんな趣味人だったし、そうじゃない時は寝ていた。
どちらかといえば母は一か八かみたいな性格だったし、父は効率派で、色々な事をシステマティックにやる人だった。外では母は感情的な人だったし、父は相手を確実に論破する人だった。妹は気まぐれな奴だった。家族を組織に見立てた時、何をもって成果とするか、それって一般的には幸福である、って事なのだけど、それが元々家族にはあるものだと、皆信じられなかったのかもしれない。
ホームシックにかかることは滅多にないし、帰郷したい欲求もない。それでも新幹線の改札で別れる時は、やっぱり少し寂しくなる。
幸せを外部に求めていた。両親は離れて暮らして、向こうで人間関係を築くことが我ら兄妹にとって幸せだと考えた。一方で、息子は自分達が独り立ちして、手がかからない状態で呑気に両親が過ごしてくれることが幸せだと考えた。そんなすれ違いが、あの改札の寂しさの正体なんだろうな。

便りを寄越さないこと。連絡を寄越さない事を、不義理であると言う。そんな言葉そもそも家族には存在しない筈だったのに、連絡するとか、都度帰るとか、当たり前の事だった筈なのに、何も報告する事がないから、理由を探すところから探してしまう。ドライ過ぎてしまう。不義理の返し方は、結果しか知らない。例えば、出世したとか、転職したとか、結婚したとか。全て当てはまらない。本当はそうじゃないんだろうけどね。
家に猫が住み着いているとか、小学校からの同級生と朝まで飲んだとか本当はそんな話でも良いのかもしれない。けれど自分にとって家族は組織だった。だから無駄な報告はいらない。

家族の中で僕は1人だけ煙草を吸うようになった。当たり前のようにやめた方が良いと言われたが、もう勝手に吸うようになった。家族という組織から距離を置いて、会社という組織に属するようになった。そうなって初めて、本当に心が休まる場所というのが、一人でいるところだと知った。

30を過ぎて、自分がおかしい事を感じ始めている。しかし残念、そんな風に生まれついてしまった事は、多分誰にも責任がない。知らない間に幸福は枯渇している。

全く、世界は何度失望させるつもりなのだろう。ここから先は、無理矢理作らねばならない、最小組織で。

#エッセイ #雑文 #家族

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