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【NEEDLESS】

午後16時を回った。この街は静か過ぎる。
シャワーで湿った水気を拭き取り、獣のように長い髪をふるって雫を飛ばす。
少しだけどわくわくしている。

ちょっと浮くぐらいの薄い髭を丁寧に剃り、髪にたっぷりのムースをなじませる。いつもより丹念にドライヤーをかけ、分け目を決めたり、バラしたり、鏡に映る真っ白な肌には、うっすらと汗が滲む。昨日うまく寝付けなかったから、眼の下にはしっかりと黒ずんでいる。
ワックスを手のひらに広げ、何だろうこのぬるぬるしたような、それでいて全部拒絶するような手触り、爆発的に広がった髪の毛にバサバサ馴染ませ、一気に台無しにする。それがきしきしと固まる感触がすぐ変わる。

何かが変わるような、そんな気がしたんだ。この考えは、きっと間違いじゃない。

一昨日の事を思い出すと、最低だった。そんなことしか思い出せない。お前といても、クソつまんねえんだよ!実際にそう思っていた、きっと健吾もそうだ。現にLINEは飛んでこない。ちょっと虚しくなった。こんなもんか。
健吾との関係性は、というか俺は一昨日から変わってしまった。それまでの俺は普段通り、大学の講義が終わって、適当に飯を食って、あいつの部屋で酒を飲んだ。そんな1日だったんだ。
酒が進むごとに妙に湿っぽくなったのは、健吾の方だ、1年の時から同じバイト先で付き合ってた女が、別のバイト先の奴に寝取られたとか、そんな話。
健吾はいい奴だと思う。誰とも分け隔てないし、きっとそれだけなんだけど。講義は毎度バックレるし、格好は落ち着いているけど、おんなじ喫茶店に顔馴染みになる為だけに通うとか、妙なこだわりがあるし、よく分からないけど、女の方だって良くある話じゃん。お前だって彼女がいるとかいないとか、そんなことばっかりにこだわって、競争に勝ったふりをしていただけじゃん。相対評価なら終わってる。そんな話をこんなぬるい酒で誤魔化さないといけない。酔えねえって。
健吾が他の女に電話して泣き言言おうとした瞬間、俺は疲れたから帰るわ、と言って健吾の部屋を飛び出した。
クソつまんねえなんて、言えなかった。
終電なんかとっくに終わってたから歩いて帰った。途中のコンビニで、初めてセブンスターと、レジ前のライター、あとよくわかんないコーヒー買って、見よう見まねで火を付けて、煙を吸った。苦い。それでも噎せたくなくて、そんなつまらない事で、涙なんか落としたくなくて、意地になって家まで歩く道の中、何本も何本も無駄にした。

漠然と、なんか欲しかったんだよね。
翌朝、カラカラになった喉を水道水で無理矢理潤して、高校生の時にちょっと背伸びして買った香水手首に振って、手ぶらで電車に飛び乗った。
渋谷。センター街は歩きにくい、俺は何度も何度も、路地に入って、昨日覚えたばかりのタバコに火を付けた。向かい側では、どこかの飲食店の奴だろうか、スキンヘッドに髭面の、大学ではみたことのないような奴が、しゃがんでタバコを吸う、布だらけのキャリーケースを引く毛むくじゃらのおっさんが、落ちた吸い殻に必死に火を点けてる。
本当は、こっちだ。確信した。

神南の小さなセレクトショップが連なる区域に足を運んだ。買う気もないのにいくつもいくつも店をハシゴした。健吾の好きそうな、ボタンダウンのしっかりしたシャツ。ウールのトラウザーズ。音は無く、物静かだ。
そんな店を何件か見た後だった。

店のセレクトは明確に違っていた。大好きな曲が、ずっと流れている。俺は接客を受けても上の空で、あぁ良いっすね。そんなことばかり言ってた。空気がふっと変わった。入口から入ってくる一人の男、年齢なんか全く分からない。どデカイサングラスと、これまでかってぐらい大量のシルバーをぶら下げて、真っ黒な鞣し革のロングコート。
「お疲れ様です」急に俺の接客していた店員が頭を下げた。マネージャーか、何か。
「なあ、君、その香水、お揃い、良い趣味じゃん」
口ごもっていると、男は続ける。
「なんか良いな、君。着てみる、これ」
おもむろに着ていたロングコートを脱ぎ、俺の肩にかけた。匂いが、ぶわっと鼻腔を包む。革って、こんな匂いが、するか普通?そして、すごい重い。
「俺ね、この辺のマネージャーやってる。よろしく」
差し出された手の指先には、全ての指にリングが何個も何個も付いていた。金属の質感が、しっかりと熱い。俺の細い指とは比べ物にならないぐらい、太くて大きかった。

何かが、欲しかったんだ。
俺はその時、何かが変わった感じがしたんだ。今も、鼓動が止まない。
俺は、その時手を握って、離さないまま、ここで働かせて欲しいと言った。サングラスの奥の目を、離さないように。何にも言わず、男はニッと笑って、頷いた。

大学とは逆の定期を買った。健吾の女の話は、もう忘れた。講義が終わって誰とも話さないまま、駅へと早足で歩いた。革靴は歩きにくい。

それでも俺は、歩き始めた。もうセブンスターは、苦くない。

いつから、大人ぶるようになったんだろうな。
書いていて凄く、思いました。
好奇心を持って、飛び込むこと、わくわくすること、好きということ、生きること、そこに効率とか、見た目とか、コスパとか、本当は全然、必要じゃなくて、どんな人達と繋がっているか、どんな仕事をしているか、どんな立場なのか、そんな事全然必要じゃない。

そういう自分語り、前面に出して、本当は酒のつまみにすらならないって、そう言って。
何かが掴めそうな、言葉に出来ない確信だけ、抱いた。
そんな日々が、そんな時がどんどん薄くなって。
胸を張れなくなっていく。
つまらないとか、くだらないとか、そんなこと言うために、生きてるんじゃないと、綴りたい。
そんな気持ちを込めてみました。やっぱりこれは懐古じゃない。全部僕の一部だ。爽やかな朝より、眠れなくて冴えわたった感覚の中で、脈打つ鼓動の方が、きっと今だってリアルで。
真夜中の、書いてて気恥ずかしくなるような荒っぽい文章だって、本当は綴れるはずなんだ。朝方の整頓された記事だけが、すごい文章になるわけじゃないんだ。
その事に、もう目を逸らしたり、しないんだ。

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。