見出し画像

三澤慶子『夫が脳で倒れたら』(太田出版)を読む。

 入院前夜、トドロッキーは苛立っていた。いつもとは明らかに違った苛立ちを瞬発的に見せたことが印象に残っている。
 トドロッキーはその頃大量の原稿を抱えていた。締切が重なってくると全身に電気を帯びたみたいに気配がビリビリしはじめるため近寄りがたいのだが、カッと点火したみたいな苛立ちぶりに、原稿のピンチ度がかつてない事態なんだろうと考えた。

三澤慶子さんの著書『夫が脳で倒れたら』は、こんなふうに始まります。トドロッキーとは、5年前に脳梗塞で倒れた映画評論家の轟夕起夫さんのこと。本書はその「緊急入院」から「転院」「リハビリ」「仕事復帰」までをパートナーの視点で生々しく綴った、いわば“手探りの伴走記”です。「夫が麻痺を抱えたばかりの頃、私が一番欲しくてなかなか探し出せなかったタイプの記録」として書かれていますが、これがものすごく面白かった。まさに巻を措くあたわずで、一気に読み通しました。

ぐいぐい引き込まれた理由は、何と言っても臨場感。予期せぬ事態に直面し、夫の病状が刻々と変わるなかで膨大な現実問題に対処しなければいけなくなった著者の「寄る辺なさ」を追体験させてくれる、文章の力です。

突然のことだから、予備知識もほとんどありません。そもそも脳梗塞とはどんな病気なのか。回復の見込みはどのくらいあるのか。医療費・入院費はいくらかかって、保険でどの程度カバーできるのか。

著者の三澤さんは「私は脳梗塞について知らなすぎた。自分には関係ないと思っていたってことだ。きちんとした知識を入れる機会はあったのに、しなかった」と記していますが、当事者になってはじめて無知を痛感するのは、たぶん誰しも同じじゃないでしょうか。

シリアスな患者さんが次々に運び込まれてくる救急病院の大部屋で、いつ退院できるかもわからない。そんな不安な状況でも、日常の時間は容赦なく進んでいきます。病床のトドロッキーに代わって編集部に連絡し、事情を話して、山ほど抱えた取材や原稿を一つひとつキャンセルしなければいけない。息子二人の食事だって作らなきゃいけないし、疲労困憊しながらも医師の説明に立ち会い、今後の治療方針を決める必要もあります。

非対称な関係性のなかで、患者とその家族にとって理不尽なこともいっぱい出てくる。心ない医師から不用意な一言を投げかけられ、三澤さんとトドロッキーがどん底にたたき落とされる場面では文字どおり背筋がゾッとして、時間を遡って医者の背中を蹴り飛ばしたくなりました(それがどれくらい信じがたい残酷な言葉なのかは、ぜひ読んで確かめてください)。

ただ、のっぴきならない事態を再現しながらも、三澤さんの文章には不思議な軽やかさ、風通しのよさがあるんですね。それはきっと、この手記の主眼がむしろ「トライアル」と「発見」に置かれているからだと思います。

限られた情報のなかで何かを選択し、自分を(ときには夫のトドロッキーも)納得させ、とりあえず先に進む。それで不具合が起きたり「やっちゃった……」と後悔したときには、手持ちの材料で少しでも改善を試みる。細やかな観察眼と好奇心に裏打ちされたそんな心の働きが、ある種のビルドゥングスロマンにも似たこの本の面白さを支えているんじゃないかな、と。

たとえば、五週間に及ぶ救急病院生活がようやく終わって、次のリハビリテーション病院に移るときのエピソード。お世辞にも快適とは言えない環境に懲り懲りしたトドロッキーと三澤さんは「なるべく雰囲気が明るく、仕事復帰に向けてしっかりリハビリをやってくれる病院」を希望しますが、申し込みを担当のソーシャルワーカーから「病院の下見は、受け入れ許可が出てから」という驚愕の業界ルールを知らされます。

でも本書の著者はめげてばかりじゃない。いろいろ考えた末、候補に挙がった病院を一つずつ訪れてみることにする。外から建物をチェックし、出入りしている人たちの表情を確かめて、さらには何食わぬ顔で病院内部を歩いてみちゃったりもします。そうやって自ら設定したミッションを一人で遂行していく描写は、ちょっとスパイ小説みたいなサスペンスすら感じさせてくれました。何より、行動を起こすことで自分を励まし、少しでも心の鮮度を保とうとする気持ちが伝わってきて、グッとくる。

もちろん、一度麻痺した右半身を回復させるのは簡単ではありません。両手でキーボードを叩く。ペットボトルのキャップをひねる。パンツをずり上げる。前は無意識にこなしていた動作にも、一つひとつ大変な苦労が伴います。どんなに努力しても、できないことはできない。

そのなかで三澤さんは「もしトドロッキーの能力の中でただ一つだけ残せるとしたら何が残って欲しいかと問われれば、迷わず文章を書く力だと答える」「書ける人でいてくれればそれで十分」と思い定め、仕事復帰という目標に向けてただシンプルに、目の前のハードルをクリアしていきます。

脳梗塞によって「できなくなってしまった」ことを夫と一緒に数えるのではなく、あくまでも自分の持ち場から(あたかも遊撃隊のように)パートナーの能力を最大限に生かそうとする。ときには凹んだりしながらも、試行錯誤を重ねて諦めない。その寄り添い方はとても感動的です。

実はこの時期、私は編集者として、轟さんと一緒に映画美術に関する単行本を作っていました。それもあってライター復帰に向けたご本人の努力は、ほんの少しですが知っています。

発病から五か月後。「体幹が崩れてPCの前に10分以上座り続けるのもけっこう難しい」状態のなかで病室に大量の資料を持ち込み、ほとんど指一本でキーボードを叩いて執筆された原稿は、倒れる前と寸分変わらぬクオリティで、ホッと胸をなで下ろすのと同時に、その執念に改めて圧倒されました。でもその傍らで、轟さんのパートナーが、また違った種類の悪銭苦闘を繰り広げていたことには正直、想像が及んでいなかった。

転院先の選び方、スタッフとの付き合い方、リハビリ時に役立った(ときには自作した)グッズのあれこれ──。とにかく記述が具体的なので、家族が脳梗塞で倒れたときのハウツー本としても有用です。と同時に私には、絶望をすり抜けながらそのときどきの決断を下して前に進んでいく、著者の本質的な聡明さがとても印象に残りました。

厳しい状況に陥ったとき、心を枯らすことなく生きていくためのヒントが、そこには描かれているように思えます。

ちなみに三澤さんは、半身麻痺から仕事復帰を果たしたトドロッキーとの伴走経験から、「片手だけで開け閉め&物の出し入れができて、電車移動にも街歩きにも完全対応する新しいリュック」を考案。自らWA3B(ワブ)というブランドを立ち上げ、クラウドファンディングで「TOKYO BACKTOTE」を製品化しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?