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社内起業家やってます

 自分の経歴をここに書いておく。今の時代は特に、何が書いてあるのかではなくて、誰が書いたのかが重要だ。みんなが僕が誰なのかを理解出来るようになるべく丁寧に(公開できる範囲で)紹介をさせてもらう。

1.大手製造メーカーへ入社し、研究開発部門へ

 大学院を出た僕は2007年に某大手製造メーカーへ入社した。最初の配属先は、生産技術の研究開発部門だった。10歳年上の先輩の下で専門分野の深化とフィールドワークを行った。主な仕事は国内外問わずグループ会社の工場の安定生産支援50%と、新規技術開発50%。

 そこでの評価は、10段階中平均4‐5点。うーん、というより、8点とったり3点とったり。とにかくすごく浮き沈みがあった。成果を挙げるなら、今でも使われている技術が3つあること。工場に導入された技術が2つと、Excelで作った合否自動判定システム1つ。Excelで作ったシステムはもう10年以上使われている。入社2年目が作ったシステムを10年使って、ほぼ改善がないのはどうかと思うけれど、それでも時々「あのシステムは便利」なんて言われると嬉しかったりする。工場に導入された技術は開発当時、様々な関係者をざわつかせた。超主力商品の生産管理を劇的に改善するものだったから、その影響は色々なところに波及していった。その際、僕は一つの成果が起こすムーブメントのすごさを体感したし、完全に天狗になった。

 ただ、ダメな時はとことんダメだった。面白くないと思った仕事は手を付けないという、組織の人間としてあるまじき行動を取った。自分のアイディアを反映させれないいわゆるルーティンの業務は本当に苦手だった。そんな業務を受け持った時の僕のパフォーマンスは下の下。当時は、自己嫌悪に陥ったし、どうにかなりそうだった。その時の僕の考えはこうだ。テーマに恵まれていない。やりたいことをやらせてもらえない。チームからのフォローがない。ビジョンがない。マネジメントが出来ていない。上司がダメだ。

 その時の上司がイケていたかどうかはさておき、基本は僕が僕のことを知らなかったのが一番の原因だ。今、それに気づけただけで良しとしよう。とにかく、そんな10年間が続く。

2.子会社へ出向し、とにかく働いた日々

 そして2015年、僕は子会社に出向する。エンジニアリング会社だ。工場を作ったり、メンテナンスをしたりするのが本業。自ら希望した出向で、あんな僕を引き受けてくれた皆さんに感謝している。この出向は僕の専門からすれば線路の上で良く通る道だった。現場を知れる貴重な異動だった。この時、幸いなことに、僕は自己評価が低かった。自信家の自分には短くて貴重な時間だった。このタイミングで新しい環境に行けたことが僕にはとてもプラスに働いた。いつも僕の人生のタイミングはバッチリだ。

 その当時、入社8年目。感覚的には優秀な同期たちと比べて2,3年ほど実力が足りなかった。この差を埋めるために、僕はとにかく積極的に仕事を引き受けていった。2015年から2018年までの仕事量は我ながらすごいと思う。

 朝くたくたの体をどうにか起こすけれど朝食なんて食べる気分じゃない。会社の最寄り駅の改札前の階段で必ずえずいていた。7:30には仕事の準備をして8時から12時まで現場を駆けずり回り、昼休みはおにぎりを食べながらデスクワーク、また午後は現場に行き、18:00から22:00までデスクワーク。土曜日はなかったし、日曜日も時々出ていた。13連勤した時はさすがに最後やばかった。

 とにかくそうして僕は皆との実力差を埋めた。その間、誇れる成果は出ていない。その年、会社の中で誰よりも稼いだと思うけど、ただ仕事量が多かっただけだ。こうして2018年にはようやくそれなりの知識を詰め込み、僕は「普通の人」くらいになった。

3.何を学んだのか?

 確かに、この間に僕はエンジニアリングの知識、ノウハウ、一連の流れを学んだ。設計、調達、施工、法律。消防法なんかも学んだ。あー、労基署にもお世話になった。


 「そして、プロジェクトマネジメントを学んだ。」


 建設(エンジニアリング)業は、プロジェクトマネジメントが超重要だ。プロジェクトマネジメントは緻密で大胆で素早い。品質と納期と費用を管理するわけだが、これは古くはピラミッドを建造していた頃から行われてきた。プロジェクトマネジメントは何千年も掛けて磨かれてきた技術だ。僕はそれを2年という超短期間で数多くの失敗を重ねて学んだ。

 明らかに技術開発のマネジメントとは色が違った。

 そして、その後大型建設案件のプロジェクトマネジメントを行う。これは関係者が非常に多く存在するややこしいプロジェクトではあったのだが、それなりにうまくやった。周りのメンバーにも恵まれていたけれど、本当にうまくいった。プロジェクトマネジメントを理解した、と思った。

 もちろん、世の中にはもっともっとすごいプロジェクトマネージャーがいる。大手ゼネコンやエンジニアリング会社で、超一流のプロジェクトマネージャーは何万人もの人を束ねる。自分がそこに到達していないのは分かっている。ただ、それで飯が食っていけるくらいにはなっていた。

 そして、2018年秋、僕に転機が起きる。僕は自分のプロジェクトの中で3D技術を使っていた。そして、上司と話をしていくうちに、自然とこんな気持ちになった。

「この3D技術を使って、新しいビジネスを始めてみよう」

 当時のICT化、IoT、第4次産業革命といった流れの中でエンジニアリング業界はどうあるべきか、なんて話が出ていたり、as a Service、サブスプリクションというビジネスの仕方が流行ってきていたりしていた。かなり古い体質のエンジニアリング業界と新しい考え方の掛け算は、直感的にうまくいく気がしていた。

 そして、それからたった1年で僕は、最先端技術(3D)を使った工場運営 as a Serviceのサブスクを提供した。1年の間に事業計画、ブランド戦略、営業、システム開発(アジャイル)、デザイン、プロモーション、知財、チームビルディング等あらゆることを全て自分で行った。タフな仕事だったけれど、めちゃくちゃ面白い時間だった。そして、幸せな体験だった。

 今、僕はそのサービスを進化発展させながら運営をしている。そして、並行して新たな事業を立ち上げている。

4.伝えたいこと

 社内起業が得意な会社が世の中にはいくつかある。リクルートは代表例だろう。一方で苦手な会社は世の中に溢れている。割合で言えば、ほぼ全てそんな会社じゃないだろうか。そんな数多くのサラリーマンの中の、一部の社内起業家(イントレプレナー)を目指す人たちへ向けてのnoteとなる。

2020.05.04 たかゆき



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