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AIが発達したら学校は何を教えるの?

①AIの日進月歩にショックを覚えない。シンギュラリティの議論など、私たちはずいぶん昔からやってきたのだった。
②問題はもちろん「瞬時に」にはない。表現にかかるコストが下がることはただ良いことでしかない。困る人がいるとすればそれは例えば成果物に基づいて標準的な評価をしたいAIよりよほど機械的な人々だけだ。
③教育は今般の学習指導要領がねらうような、好奇心に満ちた「学習者」を育てることを目指せばよい。すでに舵取り済み。
④従来の評価制度が軒並み失効して脱中心化が進むと、それに依存してきた人の心に相対主義がますます蔓延することが予測される。己の実存に耐えられないので人は管理主義に自ら望んで逃げ込む訳だけれど、そうしたアポリアに対する一つの解は対話を通じた物語化による「紡ぎ出し」だろう(そもそもソクラテスも相対主義と対決することを通じて言葉を生み出していったのだった)。精神分析をはじめとする心的なセラピーとかね。加藤典洋のいう「マクシム」のような内的倫理形成の方向が、経験的には有効。
⑤AIはどこへ行く? これも長らく親しんできましたね。もちろん個別化してアイデンティティの獲得へ向かうだろう。魂とは何かが問いなおされ、AIとともに生きる道が模索される。自分よりも優れたAIとの友情はもちろん可能だ。そのとおり、『ドラえもん』を読み直そうではないか!

23/04/06

7月3日追記。
 AIが得意なのは形式とそれによって焦点化された状況の分析で、苦手なのは形式をもたないぼんやりとした状況の扱いだ(フレーム問題という)。
 だから僕たち人間がめざすべきなのは…形式化・焦点化・価値づけること、意味づけること、偏ったものに変性すること、物語化すること、コンテンツ化すること。そういう色をつける力を養うことだ。

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