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自#001|吉祥寺にて(自由note)

 去年の一学期、立川のシネマⅡで、「スマホ落としただけなのにパート①」を見ました。少し離れた私の右横に、野球部の兄ちゃんっぽいJDと、マネージャーっぽいJKがいました。この兄ちゃんは、絶対にひと言、言うだろうなと待ち構えていたら、立ち上がった瞬間、こう言いました。
「オレ、ぜってえスマホ落とさねぇから」と。映画製作者が狙っていた(?)、定番の台詞キター!!っと、プチ嬉しくなりました。高校生の素直かつ率直な発言を聞くと、何かすっとします。
「ホントに、しっかりしてよ」と、リア充の彼女がフォローしました。私は、これを聞いた瞬間
「コイツ、100パーセント、スマホ落とす」と、確信しました。

 ところで、「スマホ落としただけなのにパート②」を、つい先日、吉祥寺のオデオン座で見ました。観客は、何と私を含めて9人でした。若い頃、京都や大阪で、オールナイトのポルノ映画を良く見ました(まあポルノ映画を見たと云うより、寝るために映画館で一晩過ごしていたんです)。その時でも、一桁の観客数とかは、なかったと思います。要所要所に、ヤバそうなおっちゃん、あやしげな兄ちゃんがいました。無論、私も、あやしげな兄ちゃんの一人でした。

「スマホ落としただけなのにパート②」は、あとくされなく楽しかったと書いてしまったら、ちょっと嘘になります。殺人鬼の浦野も神奈川県警の加賀谷も、母親との関係が良くなくて、それが行動のincentiveになっている部分があって、まあ、私も母親と親一人子一人で、いろいろ苦労した息子なので、後味は、イマイチ、微妙な感じでした。が、いくら、母親との関係が悪くても、ああいう風な殺人鬼にはなりません。そのヘンは、直観で解ります。自殺はあるかもしれませんが、そうすると、母親に負けるってことになりますから、日本全国、津々浦々の母親との関係がヤバかった息子たちは、奮起して欲しいです。死んだら、やっぱり君の負けです。

 そうそう、パソコンを買いました。ウチの女房は、
「えっ、そんなお金、持ってたの?」と、驚いていました。独身時代から、常に20万円、何かの時のために持っていました。何かの時と云うのは、ライブイベントで、損害を与えた時ってことです。まあ、20万円もあれば、私が主催するライブの損害賠償はできる筈です。その昔、足立文化会館で、レンタルしたスピーカー、アンプを、ふっ飛ばしました。主電源が抜けたんです。わざとではなく、パンクバンドが、暴れた、事故ったんですが、その時の損害賠償が、10万円くらいだったと思います。当時勤めていた、足立区の高校のバンドを集めて、バンドバトルを実施したんですが、その時、客にトイレを壊されてしまいました。20万円じゃ、無理かもと懸念しましたが、いつ壊れたか、特定できないので、損害賠償は、不要ですと言われました。生徒が、合宿で部屋の鍵を無くした時とか、シンバルを割った時とか、ちょこちょこ払いましたが、常時20万円は、キープしていました。

 今回、3月26日、27日の2daysのライブをキャンセルしたので、キャンセル料を支払いました。もうライブを主催することはないだろうと思って、残りの金額で、パソコンを買いました。が、今年の卒コンを1年後にやることにしたので、もう一回だけ、主催します。これが、本当に最後です。

 パソコンを買って、周囲の人に助けてもらって、ネットデビューしました。何をしたかったかと云うと、ブログです。今までも、文章は書いて来ました。倫理ノート、世界史ノート、受験ノート、部活ノート、クラスノート、まあ、名称はいろいろですが、基本、エッセーです。教員になって、35年間、これを書き続け、配る時にエンディング曲を流していました。エンディング曲は、流せませんが、文章を書いて、それをopenにすることはブログに書けば、普通にできます。

 ブログを書いているので、手紙の返事が遅くなりました。今、返事を出さなきゃいけない手紙が、5通たまっています。最初の学校を出たあと、置いて来た部活の高校1年生が、高2になって、せっせと私に手紙を書いてくれました。毎日、どさっと手紙が届きました。その頃は、返事を出さなきゃいけない手紙が、常時20通~30通くらい、リュックの中に入っていました。まあ、まだ5通です。その気になれば、返事は、20~30通でも、一晩で書けます(もうそんな無茶なことはしませんが)。原稿用紙に手紙の下書きを書くのは、簡単にできますが、それをワープロ(パソコン)で打ち込むのが、手間なんです。長時間、画面を見ていると、目が疲れてしまいます。手書きの方がいいと云う教え子も、いるんですが、手書きだと私の字が下手過ぎて判読できないんです。字が下手なのも、自分の個性だと言い張って来ましたが、まあ、やっぱり上手いに越したことはないです。日ペンのみこちゃんとかで、練習しておくべきでした。

 この日は、ヨドバシで、USBのハブと、DVD読み込み機を購入して、その後、駅ビル(東館)の2階のTully’s Coffeeに入りました。ロイヤルミルクティーを注文したんですが、シロップ入りでした。失敗です。私は、甘いものは、基本、NGです。が、まあ取り敢えず、座りました。いつも、この店は、だいたい満席なんですが、空席が目立ちました。おそるべし、コロナウイルスです。椅子に座って、毎日、ノルマで10ページずつ読んでいる源氏物語(現在、二周目です。一周させるのに7ヶ月半かかりました)を取り出しましたが、BGMで、コルトレーンが聞こえて来ました。さすがに源氏物語と合ってないと即断し、リュックにしまいました。コルトレーンの後は、MJQ。たまたまなんだと思いますが、70’sの吉祥寺を彷彿させてくれました。

 今、「二月の勝者」と云う中学受験のマンガを読んでいます。それを読んでいると、吉祥寺は中学受験のための塾の街って感じがします。大学受験の予備校や塾も増えました。東ハイスクールの本部校舎もあります。小学受験、つまりお受験の塾があるかどうかは、知りせん。そういう塾は、派手な看板などは、出してないんだろうと想像できます。

 吉祥寺に初めて来た時、有名なファンキーに出向きました。郷里にいた時、木馬と云うジャズ喫茶に高3の頃、時々、通っていました。東京だと、やっぱりまず、吉祥寺のファンキーだろうと、レクチャーされていました。ファンキーの店の前に立つと、地下から地上に出ている通風孔から、いきなりコルトレーンが聞こえて来ました。あっ、これが、東京なんだと感動しました。その頃、ジャズの店は、吉祥寺に15、6軒くらいは、あったと思います。花屋も多かったです。半世紀くらい前の私の吉祥寺の第一印象は、ジャズと花屋の街でした。今、予備校と塾の街って、どうよと、思わなくもないです。

 すぐ隣に、演劇系の女の子と、プロデューサー的におじさんがいます。盗み聞きしてたと云うわけでもないんですが、おじさんの好き好きしき下心が、見えてしまいました(源氏物語を読んでいますから、そっち方面の心理洞察力も、身についてしまいました。今さら、こんなスキル、いらねぇとは思いますが)。

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