自#069|「ローヌ川の星月」のような夜空を、私も見てみたい(自由note)

 教育実習は、母校ではなく恩師のS先生に紹介されて、K高校と云う定時制高校に行きました。全定併置校ではなく、定時制と通信制のみの学校でした。

 学校の先生だって、副校長(教頭)や教育委員会の指導主事を目指す、出世コースと云った風なものはあります。あるいは、進路実績のある進学校の教務主任や進路主任になるのも、出世コースのひとつのstepなのかもしれません。私の母校には、教頭や指導主事を目指しているような、意識高い系の先生が、確かにいました。

 K高校には、教頭や指導主事を目指している意識高い系の人は、一人もいなくて、そういう出世競争からは、降りてしまっている先生方が集まっていました。S先生は「面白い先生がいっぱいおるけんね」と、仰っていました。

 教育実習中の私の状態は、完全放任だったと言えます。S先生からも、特にアドバイスはなく「一所懸命やれば、何だって楽しいけん」と、言われていました。先生方は、わきあいあいで、at homeでした。今では、まったく想像もできないんですが、先生方の半数は、タバコを吸っていました。何人かの先生は、缶ピースを吸っていて、ショートピースの香りと、珈琲の匂いがコラボして、夜のカフェのような雰囲気の職員室でした。

 夜のカフェから、教室に行くと、40名くらい生徒が、全員、女の子でした。「えっ、そんな話、まったく聞いてないけんね」と、多少、狼狽しました。私は、事前に下調べをして、何かのパフォーマンス、activityをすると云ったことは、一切、ありません。マーケッティング、リサーチなしで、いきなりのぶっつけ本番です。実習担当の先生からは、インドの宗教から授業に入ってくれと言われていました。が、たとえばシヴァ神絡みの話だと、リンガ(男根)とかと言わざるを得ないんですが、当時、23歳の私は、16、7歳の女の子に、男根は、さすがに持ち出せないだろうと、即座に軌道修正しました。インドを語る場合、「性のエネルギー」を抜きにすると、片手落ちですが、そこはまあ、臨機応変です。不殺生主義は、ジャイナ教、仏教に共通するコンセプトです。大学4年の頃は、バリバリのベジタリアンだったので、そのヘンは、まあ何やかや、熱く語りました。とにかく喋りました。最初から最後まで、マシンガントークでした。休み時間に入って、前の席の女の子に、どうして女子ばかりなのかと質問しました。彼女は「あたしたち看護婦ですから」と言ってました。准看護婦さんたちが、集まっているクラスだったんです。昼間、病院で仕事をして、夜、学校に通って来ています。疲れてたり、暗い表情の生徒は、一人もいません。みんな、明るくて元気で、バラ色の未来を信じていると云う雰囲気でした。オイルショックが襲って来て、高度経済成長時代は終焉を迎え、日本の将来には、陰りが見え始めていたんですが、私の郷里の四国の片田舎の牧歌的な学校では、ざっと20年くらいは、時計が巻き戻されていると感じました。

 東京の吉祥寺に住んで、ファンキーと云うJazz喫茶で、コルトレーンを聞きながら、レポートを書いている自分と、郷里の川の傍の定時制高校で実習をやっている自分が、同じ時代、同じ時間をshareしているとは、到底、思えませんでした。

「東京の大学って、どんなん?」と、生徒に聞かれても、東京の生活を語る文法と云うか言葉の枠組みが、郷里に帰省した瞬間に、消えてしまったような気さえしました。

 職員室で、手動のミルで挽いて、ドリップで淹れた珈琲を飲ませてもらいました。多分珈琲作りの名人の先生です。美味な珈琲でした。この珈琲と缶ピースがあれば、人生は最高にhappyだと、単純に信じられるような気がしました。私は、どっちかと云うと紅茶派です。「紅茶は良く飲みます」と名人に伝えると、「紅茶はお菓子がないと、モノ足らんやろ」と、言われました。なるほど、言われてみたらそうかもです。紅茶とsweetsでひとつの世界が完成しています。珈琲は、珈琲単体でも、珈琲+ショートピース(いやゴールデンバットでも朝日でもいいんですが)でも、世界が完成されている感じました。

 今、私は、PM5:00に学校を出ています。門を出たら、軽いジョギングとかじゃなく、結構の猛ダッシュで板橋駅に向かいます。ネクタイを締めていますが、走るために足元は革靴ではなくスニーカーです。首都高の下に四車線の道路があって、そこの信号で、最長3分くらい待ちます。信号待ちをせず、タイミング良く通過すれば、その後、板橋の商店街は軽いジョギングで走れます。3分待ってしまうと、猛ダッシュです。で、PM5:12の新宿駅行き埼京線に乗ります。これを逃して1本遅れると、新宿から乗る中央線の乗車率が、一気に高まり、コロナ感染のリスクもupしてしまいます。まあ、これが、2020年6月なうの東京の生活です。

 K高校で、教育実習をしたのは、42、3年前です。学校は古くなっていますが、グーグルマップで調べなくても、学校の周囲の景色は、変わってません。実習が終わって、帰るのは、定時制ですから、夜です。学校の門を出ると、すぐ目の前が川です。川沿いに幾つかある家の灯りが見えたりします。散歩をしているシックな夫婦はいませんが、ゴッホが描いた「ローヌ川の星月夜」のような景色でした。

 石川県の郷里に帰ってしまった知り合いがいます。「えっ、今さら?」って感じです。東京の生活には、ほぼほぼsay-goodbyeされて、Uターンされました。「夜空の星が、とんでもなくきれいです」と、手紙に書いてありました。RCサクセションの「雨上がりの夜空」よりは、「ローヌ川の星月夜」の方に近いと想像しました(そもそもジンライムのようなお月様とか見たことないですし)。私の身分は、非常勤講師です。1年契約です。契約が更新されなかったら、郷里のK高校にエントリーすることも可能です。家族も教え子も東京にいるので、東京とsay-goodbyeすることはあり得ませんが、3ヶ月とか半年くらいの短期でしたら、郷里の学校に帰ってみたいと言う気持ちもあります。「ローヌ川の星月」のような夜空を、私も見てみたいです。
 

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