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自#194|脚(自由note)

Read Sex and the Cityと云う本の表紙に、4人が一緒に写ったスナップが使われています。キャリーが中央にいて、左側にミランダ、右にサマンサがいます。この3人はbox型のクッション椅子に座っています。シャーロットは、後ろで立っています。キャリーとサマンサは半袖、あとの二人は、ノースリーブで、肩から指にかけて露出しています。が、この写真のキモは、前の三人が、足を組んで見せていることです。無駄な贅肉などは、一切、ついてません。三人全員、細くて、スマートな足です。

 以前、勤めていた学校には、音楽祭と云うイベントがあって、地域のホールを借りて、本番を実施していました。音楽祭と云うのは、つまり合唱祭です。大部分のDK(男子高校生)にとって、そう面白いイベントだとは言えません。中学時代も、女の子たちに叱られながら、嫌々、合唱祭に取り組み、高校でも、まあ渋々、最低限の帳尻だけを合わしていると云った風な、今やもう、絶滅危惧種的な斜陽イベントです。

 ある時、仲のいい男の子たちに
「おまえたちも、辛かったと思うが、今日の本番で、無事、The Endだ。最後は頑張って声を出せ」と、声をかけると
「今日は、楽しいですよ。学校の女子全員の脚が堂々と見れるchanceって、今日しかないですから」と、まったく想定外の返事が戻って来ました。
「えっ、おまえたち、脚を見てるのか?」と、驚いて聞き返すと
「男子は、普通、見るんじゃないですか」と、しれっと言われてしまいました。

 私が中学生の頃のツィッギーが、来日しました。ミニスカートから、細い小枝のような脚が出ている写真が、雑誌に掲載されていました。中学時代、私には付き合っていた女の子とかはいませんし、同級生の女の子と、喋ったりもしなかったんですが、女の子に関心がなかったわけではありません。が、脚が太いとか細いとかと云うことは、価値判断の基準ではなかったと思います(少なくとも、私は、脚を気にしたことはありません)。私が高校生の頃は、女子高校生は、全員、膝下ちょいくらいのスカートの長さでした。世間的には、ミニスカートは流行してしたんですが(週刊プレイボーイで、ミニスカート姿のモデルさんをしょっちゅう見ていました)高校の現場にまでは、その流行は、及んでませんでした。三つ子の魂、百までもです。自分自身の中学、高校時代、女の子の脚を見ると云う習慣は、なかったので、JKの多くが、ミニスカートになっても、脚に注目することは、まったくありませんでした。冬場、前を歩いているスカートを短くしているJKを見て、「脚も腰も冷えてしまうから、タイツとか穿いた方がいいんじゃないか」と、田舎のおばいちゃんみたいなことを、考えたりしていました。

 Sex and the Cityのようなテレビドラマを、本気で見るとなると、脚とかにも、ある程度、注目してwatchingしなきゃいけないんだろうと推測しています。

 彫刻の最高傑作は、大英博物館にあるエルギンマーブルズの(パルテノン神殿のレリーフを、エルギン卿が、本国に持ち帰りました)イリスだと思います。残念ながらイリスは、トルソ状態なので、手足はついてません。ですが、イリスから判断する限り、脚はそう細くなくてもいいような気がします。そもそも、脚を見せる文化が、過去には存在してないので、比較の対象が見つかりません。中国には、纏足(てんそく)と云う文化がありましたから、細い足が推奨されていたんだと思いますが、あれは、細い脚を見せるためではなく、たおやかに、よろよろと歩くために、細い脚にしてたんです。女性の裸体を描く文化は、ギリシアの昔から存在していましたが、これは、身体全体のバランスを表現するもので、脚をフューチャリングするものではありません。脚に注目するようになったのは、20世紀に入ってからです。シャネルあたりが、脚に注目した、最初のデザイナーだと思います。日本では、まあ割合、最近の文化です。少なくとも、我々の世代は、脚には注目してませんでした。

 脚を見せるのであれば、素足がbestだろうと推測できます。ロック系は、マーティンのようなごつい靴を履きますが、ああいう靴は、モッズとかロッカーのような、ゴテゴテした服装の人が、ゴテゴテ感を引き締めるために、履くものです。脚を美しく見せるためには、存在があって無きが如き、滅私奉公的な自己犠牲に徹した靴が必要です。その要求に応えているのが、マノロブラニクの靴だと推定できます。

 マノロブラニクは、今や「神」的なブランドです。「プラダを来た悪魔」にも登場していました。マノロの靴を履くと、脚は自然に長く見え、どんなおしとやかな女性でも、胸を前に出し、ヒップを上げて、大人の性的自信を天下に公言するような、スタイルを取ってしまうそうです。つまり、靴が主役ではなく、それを履いている女性を、自ずと主役の座に押し上げ、空想(妄想?)の世界に、大きく飛翔させてしまう、魔法の靴だと言えるのかもしれません。「シンデレラのfantasticな靴をあなたに」そんな、コピーがぴたっとはまりそうです。マノロの靴が、いくらなのか知りませんが、値段が高ければ高いほど、付加価値は増大しそうな気がします。初競りのマグロで、何十億円も費やしてしまうくらいなら、そのお金で、ニューヨーク中のマノロを買い占めた方が、投資価値は高いと推定できます。ここまで行くと、宗教みたいなものです。いわしの頭だって、こちらが真摯で敬虔な気持ちになれば、御利益をもたらしてくれる筈です。この場合は、つまりマノロが、いわしの頭って感じです。

 ここまで書いて、生まれて初めて、ウィングチップの靴を買った時のことを思い出しました。大阪万博で、関西に行った時、神戸に出向いて、三宮で6500円のぴっかぴかのウィングチップの靴を見つけました。ブランド品ではなかったと思いますが、見た瞬間、鳥肌が立ちました。色はこげ茶です。この靴があれば、ダイナミックに、ハピネスをつかみ取れるような気がしました。
「追いかけても追いかけても逃げて行く月のように
 指と指の間をすり抜けるバラ色の日々よ」(The Yellow Monkey)
このウィングチップの革靴があれば、バラ色の日々は、指と指との間を、すり抜けて行かないような、妄想にひたってしまったわけです。結局、清水の舞台から飛び降りた勢いで、6500円(高知から関西までの往復の交通費が6000円くらいでした)のウィングチップを買いました。自宅に持ち帰って、それに合わせる服を、まったく何ひとつ持ってないと云う簡明な事実に気がつきました。妄想ってやつは、やっぱり、そこら中、落とし穴だらけです。

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