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自#198|こっちは、ほのぼの4コマ漫画だけど、あっちは劇画アクション漫画みたいな世界(自由note)

 前回の大統領選の討論会は、民主党のバイデンは共和党のトランプに挑発されて反発し、結局、両陣営の罵(ののし)り合い合いに終始してしまいました。両陣営が協力(?)して、大統領選の信用を失墜してしまったような、醜態を演じてしまったわけですが、二度目の今回、バイデンは、言葉で言い返さないで、表情とジェスチャーで、相手に対抗する戦術に切り替えていました。トランプが挑発する度に、頭を左右に振ったり、口を開けて天を仰いだりして、Noの意志を表明します。顔の表情にも工夫を凝らし、目力、眉力、頬力などを総動員して、ゆたかな感情表現で、視聴者に訴えかけました。前回は、「史上最悪の討論会」を演じ、両者とも圏外の失格でしたが、今回は、売り言葉を買わず、表情とジェスチャーによってリアクションしたバイデンの判定勝ち(ノックアウト勝ちと云った華々しいものではありませんが)と云った印象を受けました。

 今年度、私は、週4日、板橋区にある高校に通って、非常勤講師として仕事をしています。板橋区は、アジア系の外国人が多い地域です。板橋駅で下車して、歩いていると、普通に韓国語や中国語などが聞こえて来ます。喋っている声は、日本人よりも大きいですし、表情もゆたかです。ある日の帰り、男女が中国語で、大喧嘩しているのを見かけました。男女の別れ際の修羅場だと想像できました。日本人だって、別れ際の修羅場となると、これまで、大人しくてお淑(しと)やかなタイプを装っていた女の子が、いきなり「てめえ、ふざんけじゃねぇーぞ」などとブチ切れて、激変し、感情ゆたかになったりするものですが、外国人の場合は、もともと感情がゆたかなので、修羅場となると、一触即発、相手を殺しかねないほどの勢いで、罵り合っていました。見物していたかったんですが、もう年寄りなんだし、そういう野次馬根性は良くないと反省し、足早に駅に向かいました。

 欧米系ですと、スペイン、イタリアなどのラテン系は、表情ゆたかです。人種のるつぼと言われているアメリカ人も、個を際立たせるために、表情、話し方などに工夫を凝らしています。USA出身のあつぎりじぇいそんが、お笑い芸人として登場した時、無理やりなボケネタを使って、大声とジェスチャーと表情で、場を押し切ろうとしているなと感じました。アメリカで、スタンダップ芸人(ジョーカーの主人公がやっていたアレです)として、まず成功することを目指している、ゆりあんレトリィバァさんも、表情、ポーズ、ジェスチャーなどに、気配りしていると云う印象を受けます。

 Sex and the Cityのコラムニストのキャリーは、コーヒーショップで、年下の友人のスキッパーと喋っています。スキッパーは唐突に
「実は、この1年、Sexをしてない」とキャリーに切り出します。スキッパーは、コンピューターおたくって感じの青年です。日本で言えば、中学生の時に買ったユニクロのチェックシャツを、大人になっても着続け、基本、引きこもりで、外に出るとしたら、ドローンを飛ばして、電車の車両を空中から撮影すると云ったタイプです。この1年とかじゃなくて、生まれてから一度もSexしたことがない、authenticな童貞ボーイだと、告白したとしても、全然、不自然じゃない感じです。そんな雰囲気のスキッパーに対して
「Really? あなたみたいな素敵ないい男が、何故?」と、キャリーは心の底から、驚いたような表情を拵えて、即座に応じます。間違いなく、これはおざなりな慰め言葉なんですが、おざなりだと云うことを、1ミリも感じさせません。大阪のミナミのおばちゃんのボケと突っ込みが筋金入りであるように、ニューヨークの普通の女性のリアクションも、あたかもアクターズスクールで、ベーシックな基礎訓練を受け、演技を徹底的に鍛え抜かれたかのように、筋金入りです。スキッパーは、誰かいい人を紹介して欲しいと、キャリーに懇願します。スキッパーは、正直、紹介できる「タマ」ではありません。が、間違いなく、いい人です。キャリーは力になってあげたいと考えています。
「あたしの知り合いは、(スキッパーより)歳上ばかりよ」と返事をします。スキッパーは「歳上、大好き」と応じます。

 スキッパーは、残念ながらアクターズスクールの基礎訓練的なものとは、まったく無縁な青春時代を過ごして来たようです。日本人でしたら、スキッパーくらいの会話力があれば、まあまったく普通に過ごせます。コミュニケーションの能力の高いアメリカの、それもニューヨークですと、正直、この程度の「素」の会話しかできないようでは、コミュ力不足だと言われてしまいそうです。スキッパーは、ただ喋っているだけで、相手に伝えようと努力する工夫を、凝らしているわけではありません。

 日本ですと、コミュニティの一員として、個が際立ってなくても、問題ありません。みんなと同じであることが、まず求められています。出る杭は間違いなく打たれます。アメリカでは、個が際立ってなくて、埋没している人間は、つまり、そこにいないのと同じです。90'sは、高校生で留学する生徒が沢山いました。アメリカに1年間行って帰って来たTくんが、「あっちでは、発言しないと、そこにいないものとして、見なされます。これがきつくて、喋る努力をしました」と言ってました。日本では、喋らなくても、そこにいないと見なされるわけではありません。喋らなくても、そこにいれば、コミュニティの一員です。無視とかイジメと言った関わりすらなくて、いなくて不在と見なされると、自己そのものが、本当に埋没してしまいそうな、恐怖感を覚えるのかもしれません。
「もう失うものは何もないと、はっきり理解して、喋り始めました」と、Tくんは言ってました。無理やり喋って、単語とか文法とかを間違えたら恥ずかしいと云った風な羞恥心は、nothing 、存在の否定と云う状況に追い込まれると、おそらくふっ飛んでしまうと云うことです。私が知る限り、高校留学でアメリカに行って、結局、最後まで喋れなかったと云う生徒は、一人もいません。要は、喋るか、喋らないかと云う意志の問題です。文法や単語の知識の多寡などは、正直、ちっちゃな些事です。

 大阪に転勤して、ボケも突っ込みもできなかったら、少なくともミナミでは、営業の仕事はできません。レベルはどうであれ、ボケ、突っ込みは必要です。ニューヨークに行って、会話するとなれば、表情に工夫を凝らし、はっきりとした口調で、気の利いたことを喋れるように努力すべきです。高校3年の最後に、3ヶ月くらいニューヨークに行って来たGくんと云う生徒が「こっちは、ほのぼの4コマ漫画だけど、あっちは劇画アクション漫画みたいな世界でした」と、帰って来て教えてくれました。劇画アクション漫画なのかどうかは、判りませんが、Sex and the Cityを見ていると、日本のドラマのようなゆったりとした間(ま)は、確かにないなと感じます。アメリカの中で、ニューヨークは、特別、テンポが早いんだろうと想像できます。アメリカと云うのは、ヨーロッパから大西洋を渡って、移住して来た人達が作り上げた国です。ヨーロッパ人は、元々、基本、ノマド(移動)な人たちです。大西洋を渡って、広いアメリカ国内でも、どんどん動いて、さらにノマドに磨きがかかったとも言えそうです。で、同時にテンポも早くなったと云った風なことも考えられます。

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