自#130|Sound of Music(自由note)

 学校の社会科教室で、簡易PAセットを組み立てて、ビデオテープを、先週、四つ観ました。その内の二つは音楽系です。ひとつは「ティナ」。もうひとつは「Sound of Music」です。ティナはアイク&ティナターナーのティナの物語です。アイク&ティナターナーは、アイクが曲を書いて、Gを演奏し、ティナが歌っていました。60'sのR&Bの音楽です。映画の中で演奏された楽曲は、知っている曲が多かったんですが、私は60'sのR&Bそのものが好きなので、興味深く、最後まで飽きることなく映画を観ました。ビデオテープなので、時々、画面が崩れたり、ヒスノイズが聞こえたりはするんですが、全然、気にならず、楽しめました。ビデオテープは、音がリアルです。リアルな音が、直接、directにこちらにぶつかって来ます。DVDのそれは、音が薄っぺらな感じがします。音圧のなさは、簡易PAセットであっても、すぐに解ります。今、カセットテープが、マニアの間では復活しつつありますが、音楽系の映画の場合も、ビデオテープの復活は、もしかしたらあるかもと云う気はしました。

 ティナは、アイクと別れたあと、不惑を超えてから、ロックンロールを目指します。R&Bの方が、たとえば、男女の恋愛の曲であっても、より複雑で微妙なメッセージを伝えることができます。ロックンロールは、simpleでストレートです。好きなら好きだと云う気持ちを、まっすぐ直球で相手にぶつけて行きます。若い頃は、自らが積極的に(恋愛も含めて)人生を複雑にして、自己陶酔してしまうって傾向はあると思います。歳を取ると、そういう複雑さや感情の綾が、面倒になってしまうんです。歳を取ったら子供還りすると言われますが、複雑で面倒で厄介なことは、青壮年時代を通じて、充分にやり尽くして来たので、一種の反動で、simple還りするのかもしれません。

「Sound of Music」を観たのは、4回目でしたが、今回が一番、楽しめました。令和なうの今の生徒が、半世紀以上前に制作された(正確に云うと55年前)如何(いか)にもって感じのハリウッド映画を、受け入れてくれるかどうかを、私なりに判別すると云った目的を持って見始めたんですが、途中からそんなことは、もうどうでも良くなっていました。授業で見せられるかどうかと云った功利的な目的を持って、映画を観たりしちゃいけないと、反省しました。たまたま、観た映画が、面白くて、全員でなくても、ある種の生徒の心に刺さるなと確信できれば、迷わず見せればいいんです。「Sound of Music」は、刺さります。曲がすぐれているからです。この映画を観ておかないと、ビョークの「Dancer in the dark」の映画の中で、「My favorite things」を歌う意味は、理解できません。音楽的な教養の幅、奥行きを広げるためにも、「Sound of Music」は、必見だなと、66歳の年寄りになって、やっと気がつきました。

 自宅のパソコンで、「英国王のスピーチ」を観ました。学校の社会科教室にセットを組んで、ビデオテープを上映した音響が、富士急ハイランドのジェットコースターだとしたら、自宅のパソコンの音響は、浅草花やしきのそれです。が、花やしきだって通い詰めれば、花やしきの「味」に慣れます。自分個人が持っているパソコンを大事にし、味に慣れることも大切です。

「英国王のスピーチ」は、後にジョージ6世として即位する(つまり現在のエリザベス2世の父親)ヨーク公アルバート王子が、言語セラピストのローグにサポートされて、吃音を矯正して行くstoryです。実話に基づいた映画です。

 吃音の有名な物語と言えば、岡田麿里さんが脚本をお書きになった「心が叫びたがっているんだ」(ここさけ)です。主人公の女の子は、小さい頃、母親に抑圧されて、声が出なくなってしまいます。吃音の基本の原因は、親の抑圧だろうと推測できます。ヨーク公アルバート王子の場合もそうです。その抑圧されていた子供時代にまで遡って、自己を解放しないと、吃音は矯正できません。

 ヨーク公は、父親のジョージ5世に、、これからの時代は、喋れないとダメだと、大人になってからも厳しく抑圧されます。ヨーク公の兄で、ジョージ5世の跡を継いだのはエドワード8世です。エドワード8世は、即位前から、アメリカ人既婚女性、シンプトン夫人との恋愛問題で、物議をかもしています。子供の頃、抑圧されて過ごしていれば、人妻との恋愛で、物議をかもすぐらいのことは、まあ、当然あるかなと云う気もします。ヨーク公アルバートは、両親にとって、ずっと良い子を演じて来たので、そのツケが、吃音と云う形で、廻って来てしまっているんだろうと推測できます。

 言語セラピストのローグは、戦争に行って、喋れなくなった人のケアをします。戦争と云うのは、第一次世界大戦のことです。戦争で、メンタルにダメージを受けて、そのショックで喋れなくなる、まあ、あり得ます。が、根本の原因は、小さい頃にあります。人は、生まれた時から、現在までのすべての人生を、背負って生きているんです。小さい頃、トラウマがあって、それは過去のことなので、なかったことにしたいと思っても、そういう仕組みにはなってないんです。何らかの形で、過去のトラウマを克服する必要があります。過去の問題にきちんと向き合って、それを客観視できるようになれば(つまりメタ認知)過去の問題は、さて置けるようになります(解決はしません。無事、安全な状態でさて置くだけです)。

 この映画の背景の時代は、第二次世界大戦の開始前後です。エドワード8世が、恋愛問題でゴタゴタして、王位を投げ出してしまったので、ヨーク公アルバート王子が、ジョージ6世として、王になります。王は、国家の元首です。当時、国の元首が、ラジオ放送を通して、メッセージを伝え、国民を励まし、国民を統合したんです。現在でしたら、AIが、ジョージ6世の声を創り出して、メッセージを発することもできるのかもしれませんが、幸いなことにと云うべきか、不幸なことになのか、世の中は、そんなに便利ではないので、ジョージ6世は、ローグにサポートしてもらって、ラジオでメッセージを伝えます(アメリカのフランクリン・ローズベルト風に云うと炉辺談話です)。この大役を、ジョージ6世は、どうにかこうにか、結構、カツカツでしたが、無事、こなします。

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