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自#128|養生訓(自由note)

貝原益軒の「養生訓」を半分ほど読みました。益軒は、養生訓を83歳の時に書きます。上梓されたのは翌年の正徳3年(1713年)。今からざっと300年前です。

 300年前に、きちんと養生すれば、百歳まで長生きが可能だと述べています。今、流行っている「人生百年時代」を、江戸時代の前半に、庶民にも解り易い文章を書いて、アッピールしていた先哲です。

 当時は、人生、五十年と言われていました。源氏物語ですと、十年短く、人生四十年で、四十歳になると、長命の賀のイベントを実施していました。七十歳のことを、古稀と言います。これは、七十歳まで生きることは、古来、稀(まれ)なりと云う意味です。

 益軒は「人生五十にいたらざれば血気いまだ定らず、知恵いまだ開けず、古今にうとしくて、世変になれず、言あやまり多し。後悔多し。人生の理も楽もいまだしらず」(50歳までは怒りっぽいし、知恵も充分ついてないし、歴史も知らないし、世の中のトレンドに惑わされるし、間違ったことを言ってしまったり、自分のやったことが失敗だったと、後悔したり、人生の道理も、人生の楽しみも知らない)と、述べています。

 五十歳までに夭折(ようせつ)してしまったら、人生も社会も、自然も知らないままに、無明(むみょう)の状態で、死んでしまうと云った風な意味です。

 私は、一昨日、60'sのハリウッドが作った傑作ミュージカル映画「Sound of Music」を学校の社会科教室に、プロジェクターと音響を用意して、見ました。初めて見たわけではありません。一回目は、ロードショー公開していた頃に、テアトロ高知だったか、高知東宝だったか、その頃、高知市内に、まだ幾つもあった、どこかの映画館で見ました。私は、確か、小5でした。何曲かは(My favorite thingとかエーデルワイスとかドレミの歌とか)は、一回、映画を観ただけで、サビのメロディを覚えました。当時は、歴史的背景も理解できてないし、修道院やキリスト教についても、無知な状態でした。storyの面白さも判らず、ただ、いくつかのすぐれた音楽のみが、心に残りました。

 大学に進学して、混声合唱団に入り、7月のデビューコンサートで、5、6曲、歌ったんですが、その中の一曲が、エーデルワイスでした。1年生の女子たちは、実に良く「Sound of Music」について、知っていました。ルィーズとか、ブリギッタ、マルタと云った7人の子供たちの名前も全部、言えますし、My Favorite SongやThe Sound of Musicを暗譜で歌える女の子もいました。テレビの再放送や、当時、東京に沢山あった名画座で、それまでにSound of Musicを何回も見たんだろうと、想像できました。サークルの同学年の女子の影響を受けて、大学3年の時、池袋の名画座でSound of Musicを観ました。私は、大学には世界史受験で入りましたし、中高時代、キリスト教の寮で生活していたので、映画の背景になっている文化については、ほぼ把握できていました。なるほど、こういう物語だったんだと、ようやく理解しました。

 北区の定時制高校に勤めていた時、全日制の先生が、授業でSound of Musicを見せていました。その時、私も学校の近くのビデオ屋でレンタルして、Sound of Musicを観ました。正直、こういうハリウッドの正統派ミュージカル映画は、今の時代の生徒に、いきなり見せても、文化的にアクセスできないだろうと、判断しました。当時、ヒップホップが(東海岸のそれも、西海岸も)怒濤(どとう)のように日本に押し寄せて来ていた90'sの前半でした。

 で、二日前に、Sound of Musicを観ました。4回目です。3回目を観たのは、37、8歳の頃ですから、実に27、8年が、瞬く間に過ぎ去ってしまっています。65、6歳になると、全体の構図が、はっきりとつかめます。制作者の意図も判るし、出演した子供たちが、純粋無垢、何が何だか判らないまま、一所懸命、やっていると云うことも理解できます。4回目は、「Sixteen Going on Seventeen」の曲にはまりました。16歳と17歳は、まったく違います。まったく違うと云うことは、リアルタイムで、16歳、17歳を過ごしているboy&girlには判りません。高校の現場で、35、6年も過ごしていれば、16歳と17歳との違いは、明白です。私が面倒を見て来た部活で言えば、高1と高2とのバンドは、まったく違います。違ってなければ、逆にヘンです。

 修道院長が歌う「Climb Ev'ry Mountain」の曲にも感動しました。指導者と云うのは、きっぱりとこういうことが、言えないとダメだなと、納得できました。「すべての山に登り、すべての川を渡り、すべての虹を追いかけなさい。そうすれば、あなたの夢が見えて来ます」と、修道院長は歌います。自分自身に自信がないと、人を勇気づけられません。年寄りには、これまで地道に積み上げた来た知恵や経験があります。その積み上げて来たものが、ゆるぎない自信を生み出してくれます。

 養生訓に戻りますが、百歳が上寿、八十歳が中寿、六十歳が下寿です。「長生すればするほど、楽しみ多し、益多し、日々にいまだ知らざる事を知り、日々にいまだ能せざる事をよくす。この故に学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生せざれば得がたし」と、益軒は述べています。

「短命なるは生まれ付て短きにはあらず。十人に九人は皆みづからそこなへるなり」とも語っています。私は、若い頃、自然食について、ある程度、学びました。自然食を極めると云ったことは、今の日本の食環境の中では、不可能です。自分自身が、農業をやったとしても、難しいと思います。ただ、食品とか、生活環境とかから受ける害は、8、9割減らすことは、努力次第で可能です。それは、どういう生活かと云うと、つまり、勢津子さんが過ごしていたような昭和初期の生活です。昭和20年代、30年代の昭和の中期の生活でも、7、8割は減らせます。昭和40年代以降は、大量生産、大量消費の社会が始まって、人々が、生活の便利を求め過ぎた結果、そこら中、害悪だらけの生活環境になってしまいました。

 暑さのピークの今ですと、冷房は、やはり人の身体に過重な負担をかけてしまいます。こんな簡単なことが、何故、普通の人には判らないんだろうと(普通じゃない私は)正直、不思議な気すらします。

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