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自#155|人間は、生きている限り、学び、成長し続ける(自由note)

 作家の伊集院静さんのインタビュー記事を読みました。1950年生まれですから、70歳です。伊集院さんは、今年の1ヶ月下旬に、くも膜下出血で倒れて入院し、手術をされました。手術後、一週間ほど意識がなかったそうです。2月9日が、70歳の誕生日で、家族が、病室にケーキを持ち込み「ハッピーバースディ」と声をかけた時、目を覚まして、嫌そうな顔をされて、それを見て、家族はようやくいつものお父さんが、戻って来たと感じたそうです。ケーキを持ち込んだ甲斐は、充分にあったと言えます。

 意識が戻って、治療が終了すると、リハビリ専門の病院に移られます。そこで、頭と身体のリハビリをされます。頭のリハビリは、問題文を解いたり、暗算などをします。問題文の日本語がおかしいのに気付いて、直すように申し出たりもしたそうです。暗算の方は、昔、競輪場で、自分の頭の中で割り算をして、オッズを出していたので、簡単にできた様子です。

 身体のリハビリは、散歩のメニューとかもあって、病院側から三キロとか四キロと、距離を指定されたそうです。伊集院さんは、範囲をオーバーして、五、六キロ、普通に歩き、その範囲内で辿り着けるゴルフショップを探し、ゴルフショップに入り、グラブを握って、試打したりします。そういう限度を超えた積極性があるからこそ、一週間も意識不明だったのに、ほぼ元のレベルまで回復されたのかもしれません。

 もっとも、リハビリの経過は、日を追うごとにstep by stepで、回復して行ったと云った風な順調なものではなかったようです。リハビリを始めた頃、北野武さんから
「リハビリでも、何でも、ゆっくり取り組んで下さい。アレは、インターネットと同じで、なかなか繋がらないなと思っても、ある日、ポーンと繋がるものですから」と、メールを貰います。北野武さんも、かつて交通事故に遭って、リハビリを体験されています。つまり、伊集院さんは、あらかじめ答えを教えてもらっていたわけです。こういう場合、答えを先に知っておいた方が、落ち着いて、ゆっくりと取り組めます。焦って、テンポを上げたりすると、リハビリは失敗し、最悪の場合、再発します。くも膜下出血は、再発すると、リスクは一気に高まってしまいます。リハビリ生活を通して「焦るのではなく、今のこの時間を、どのように使うことが将来的に、いいのかと云う向き合い方が、できるようになりました」と、仰っています。

「病気の前と後で、原稿を書くことに対する意欲に変化はありましたか」と質問されて、伊集院さんは
「原稿を書く作業って、両手で水をすくって、違うところへ丁寧に運ぶようなところがあって、その感触を読者は読むわけです。つまり、ある時、形がなくなったり、変化したりするものですが、その感触には、少し変化があったかもしれません。意欲が変化したというより、書く時の姿勢が変わったと言いますか・・・」と、お答えになっています。これは、私には判ります。書く時の姿勢が、以前より、より一層、丁寧になったんです。丁寧にはなるんですが、一字一字には、さほどこだわらなくなります。細部にはこだわらず、大きな流れを、きちんと順番に追って行く、そういう書き方に変化したんだろうと、私は推察しています。

 週刊文春に「悩むが花」と云う読者の相談を受けるコーナーがあって、伊集院さんは、そこで、回答者の役目を果たされています。北方謙三さんが、その昔、「ホットドッグプレス」で、若者の人生相談を、担当されていて、「好きな女の子がいるんですが、告白できなくて・・・」みたいな、うじうじした質問が来ると「何言ってんだ。ソープに行け」と、何かと云うと「ソープに行け」を連発されていました。伊集院さんは、ソープに行けとは言いませんが、北方謙三さんに相通じるような、歯切れの良さが、あります。御二人とも、「みんなが行こうとしている方向は、何かうさん臭いし、間違いがある」と云う風に、おそらく認識されています。私は、正しい食生活には、まあ割合、詳しい方だと自負していますが、いわゆる、健康食品に関する情報は(たとえば、ココアが癌を予防するとか、納豆が癌を抑えるとか、緑茶カテキンで減量できるとか)正直、どれもうさんくさいと思っています。食生活と云うのは、つまりバランスが一番、大切なんです。特定のひとつの食品の効能を唱うことは、ほとんど無意味です。伊集院さんは
「終活とか、断捨離とか、そういう流行っているものは、ほとんど間違いであると思ってます」と、仰っています。つまり、それは特定のひとつものに、付きすぎてしまっていて、バランスを失ってしまっているんです。

 銀座に食事に行って、男同士三人くらいで、三時間くらいずっと食べ物の話をしているグループがいて、それを見て、伊集院さんは、含羞(がんしゅう)がないと仰っています。私に言わせると、遅かれ早かれ、その人たちは、癌になるんだろうなと思ってしまいます。今、ビーガンとかのベジタリアンが、それなりに流行っていますが、70'sのオールドスクールのベジタリアンの生き残りの私は、食べ物のことに付きすぎている人は、真のベジタリアンにはなれないと、単純に考えています。ベジタリアンに必要なのは、食べ物にさほどこだわらず、中庸をわきまえた、バランスの良い、生活スタイルです。冷房を使い過ぎるのはダメですし、ガソリンの燃費の悪い車に乗るのもNGです。生活全体のスタイルを、naturalにして行くことが大切です。食だけにこだわっていると、「木を見て森を見ず」ってことに、結局、なってしまいます。

 伊集院さんは、今回の入院をきっかけに、タバコはおやめになっています。これは、当然です。タバコは、百害あって一利なしです。コロンブスが、アメリカに行くまで、旧大陸には、ずっと存在してなかったものです。アルコールも、缶ビール2本だけ。それも、プレミアモルツ2本だそうです。缶ビール1本だと、問題なしです。飲まないより、缶ビール1本くらいは、飲んでいた方が、長生きできそうです。2本でも、まあ、だいたいは大丈夫だろうって気がします。ちなみに、私は、若い頃、大瓶で7、8本くらいは、平気で飲んでいました。

 伊集院さんは「一日一回だけ、ビールを飲ませてもらいながら、食事ができるありがたさを実感しています」と仰っています。缶ビール2本を飲ませてくれる大元は、大きな摂理なんです。大きな摂理の働きに感謝しながら、過ごせるようになったのは、それは、やはり死線を彷徨ったからです。人間は、いくつになっても(たとえ大病をしても)生きている限りは、学び、成長し続けて行くと、私は想像しています。

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