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自#140|サンセットパーク7(自由note)

 「勢津子さんの青春物語」を書き始めたのは、太平洋戦争について、自分なりに考えてみようと思ったからです。8月は戦争が風物詩のような季節です。8月6日に広島、8月9日の長崎に原爆が落ち、8月8日にソ連の参戦、8月14日にポツダム宣言を受諾し、8月15日の玉音放送で戦争が終結する。ですが、この一連の流れを追ったわけでもなく、新たな風物詩のようなエッセーを書いただけです。原爆の日も、終戦記念日も季語として取り込んで、8月の風物詩の一環として、戦争を実に薄く理解して来たと思っています。内心忸怩(ないしんじくじ)たるものが、ないわけでもありません。私が子供の頃、戦争の爪痕は、ほんのわずか、四国の片田舎にも残っていました。が、そのほんのわずかの爪痕(つめあと)から、戦争の大悲劇を想像することはできません。

「サンセットパーク」は、大型書店に平積みされていた頃、勢いで購入しました。平積みされていたのは、今年の3月です。「サンセットパーク」が書かれたのは、2009年のリーマンショックの直後です。が、長い間、翻訳されませんでした。柴田元幸さんが、翻訳して上梓されたのは、去年の11月頃です。で、平積みが3月。コロナで巣ごもりに入るので、平積みで売りまくると云う本屋の戦術だったのかもしれません。

 全部の章を通読してみて、正直、着地しているか、or notなのかよく解らない作品です。さまざまな登場人物の話が、パラレルに展開していて、一種の群像劇だと感じますが、人間と人間とが出会って、化学反応が起こっていると云う風には、読み取れません。各個人は、各個人のまま、サンセットパークに集まっていてもバラバラで、諸問題は、自力で解決して行かなければいけません。リーマンショック後の群像劇の新たなスタイルなんだろうなと、勝手に想像しました。人間と人間とが結びつき合って救われる、それはどこにも書かれてません。ディズニー映画的な夢も友情も愛も感じさせない、こういう物語が、リーマンショックレベルの大不況の時には、自己啓発本として座右の書として珍重されてるってことも、まあ、ないだろうと思います。

 サンセットパークに、私が引っかかったのは、アリスが博士論文の材料として使っている「我等の生涯の最良の年」と云う映画です。教養文庫から「世界映画名作全史」と云う映画の解説本が出版されています(今もあるかどうかは判りません。私が持っているのは40年くらい前に出版されたものです)。「我等の生涯の最良の年」が掲載されているページを捲ってみました。オープニングのつかみのとこで、とある小説家が夫婦揃って、はじめて飛行機に乗って北海道旅行に行った折、機が松島上空にさしかかり、スチュワーデスさんが、下界の眺めの説明をしてくれたんだそうです。その時、小説家の奥さんが、御主人に「我等の生涯の最良の年」と、映画のタイトル名を使って、感想を述べたと云うエピソードが記されています。軽くて、無邪気で、罪のないひと言です。まったくもって、人畜無害です。生涯連れ沿う人生の伴侶は、ものごとを深刻に考えないパートナーの方が、より幸せだろうと云う気もします。

 残念ながら、私はこの名作を観てません。タイトルが、ベタ過ぎて観たいと云う気にならなかったのかもしれません。このタイトルは、深読みをあまりしない日本の観客のために、つけた邦題ですが、一種の反語としての意味も持たせて、このタイトルにしたのかもしれません。

 戦争に行った人は、戦争について、本当に何も語りませんでした。大阪の空襲で焼け出された母も伯母も、焼け出されたと云う事実は私に伝えましたが、その後は「いろいろ大変やったけんね」のひとことで、終わってしまいました。日中戦争帰りの先輩からは、飲んだ時、匍匐前進(ほふくぜんしん)のやり方を習いました。「頭を下げんと。それじゃ撃たれる」と、まあそういう注意は受けましたが、三八式銃で、敵兵を殺しまくったと云った話は、一切ありませんでした。ディティール(細部)は、誰も何ひとつ喋りません。「神は細部に宿る」、ディティールこそ、戦争の本質であった筈です。

 アメリカは、戦勝国です。が、戦勝国でも事情は同じで、戦争に行った人は、ディティールを語りません。戦争に勝とうが、負けようが、戦争は大悲劇です。解りきったことです。

 ところで、60'sの後半の若者たちの反抗・反乱について、多少なりとも私は知っています。60'sのロックは、既成の価値観、体制のあり方について、「No」だとはっきり表明する音楽でした。ロックには、明らかにpowerがありました。当時、まだ中学生だった私は、ロックのpowerにただただ、圧倒されていたと思います。ウッドストックの映画は観ました。ウッドストック的な価値観はshareできていたと思います。そう努力しなくても、厨二病時代のロックの世界に戻って行けます。夢の中にだって、ドアーズやジミヘンの音楽が、うっすらと聞こえてたりします。が、2020年のなう、私は、若者たちに60'sの音楽文化について、何ひとつ語ろうとはしてません。いや、今に限らず、60'sのロックについて、語ったことはなかったと思います(エンディング曲で使ったこともありません)。結局、あれは実際に経験した人じゃないと、share出来ないと、心のどこかで思ってしまっています。

 話のレベルは、全然、違うかもしれませんが、戦争に行った人が、戦争について語らなかったのと、これはある意味、同じかもしれません。伝えること、shareすることは、そう簡単なことでは、決してないんです。伝えるためには、「我等が生涯の最良の年」のメガホンを取った、ウィリアムワイラー並みの才能、情熱、使命感が、きっと必要です。「我等が生涯の最良の年」のDVDが、そこらのブックオフ、ツタヤにあれば、取り敢えず、観ておいてサンセットパークの続きを書きたいと思っています(観れなくても、もう少し書くつもりではいます)。

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