教#035|理解するためには、本物を何度も模写するのが王道~ブルーピリオドを読んで⑥~(たかやんnote)

「感性を磨くためには、どうすればいいですか?」と聞かれたら
「まず、一番は、線を引くことだな」と、答えることにしています。物の形をきちんと写し取るために線を引く、つまりデッサンをする。それと、自己の内部に描いているイメージを形にするために線を引いて、具体的な形にする。線を引くのはこの二パターンです。どちらも大切ですが、まず、やはりデッサン。模写をする訓練をして、その後に、頭の中のイメージを描くと云う筋道が、ごく自然です。

 私は、高校時代、演劇部に所属していました。主に音響・照明方面の裏方ですが、演出助手を二回、演出を一回、経験しました。演出助手と演出とは、仕事の質も量もまるで違います。高校の委員会の副委員長は、ほぼ名前だけですが、演出助手は、名前だけってことは、さすがにないです。簡潔かつ端的に言うと、演出助手は、演出のパシリです。故蜷川幸雄さんが例えば演出だったら、演出助手は、蜷川さんが投げる灰皿を用意するような係りです。

 演出を経験して、一番、大変だったのは、絵コンテを描かなければいけないことです。絵コンテと云うのは、主要場面を絵にしたものです。これがないと、舞台の演出はできません。私が演出をしたのは「夕鶴」です。人口に膾炙した名作でしたから、どういう絵を描くのかは、頭の中でイメージできています。が、ちゃんとしたデッサンも模写も、一度も経験したことがなかったので、非常に苦労しました。図書館に行って、鶴の写真とかを見ながら、描いた記憶があります。その時、ついでに黒澤明監督の絵コンテ集を見たんですが、超ド級の絵の上手さに驚きました。絵のプロになっても、超一流になっていたと思えるくらいのすぐれた才能でした。日芸の映画科に進学して、映画監督になりたいとかと考えている高校生もいると推測しています。その方は、どこかでデッサンの訓練をする必要があります。そうしないと、スタッフやキャストを納得させられる絵コンテは、描けません。

 最初の学校に勤めていた頃、上野を経由していたので、帰りに上野で下車して、東京国立博物館(東博)や西洋美術館に、しょっちゅう行ってました。どちらも年パスを持っていました。東博の東洋館は、いつ行っても、人が少なく、静かで、落ち着けました。役所(土木事務所)にいた頃から、ずっと使っているLevel Bookに展示品を模写していました。Level Bookは、左ページにタテ・ヨコ、右ページにヨコの線が入っています。が、線があった方が、量のバランスが掴み易いんです。新宿の世界堂に小さな安いスケッチブックが売っています。あれを使えと、アドバイスしてくれる人が誰もいなかったので、ずっとLevel Bookに描き溜めていました。

 東洋館には、本物のミイラがあります。1902年に日英同盟を結んだ時、大英帝国が、とっておきのプレゼントとして、日本にプレゼントしてくれたものです。が、日本人は、ミイラとかは、たいして喜びませんから、長い間、東大のどっかの倉庫に放置されていたんですが、東博の東洋館ができて、そこに展示されるようになりました。私は、このミイラを何回も模写しました。描けば、描くほど、ミイラに感情移入してしまうってとこはあります。包帯に血が滴っていて、どす黒いんですが、デッサン力がなくて、表現できませんでした。が、古代美術を理解するためには、本物を何度も模写するのが王道だと云うセオリーは、充分に理解しました。

 美術室にも画塾にも、石膏像が沢山あります。で、石膏像をデッサンする訳です。それは、デッサンの訓練としては有効なんだろうと思いますが、美術を理解するためには、本物を模写するのが、やはりbestです。ルーブルだって、プラドだって、模写をしている画学生は、沢山います。

 去年の秋、美術の時間に、女子生徒が風景を描いていました。が、彼女は、描く風景をスマホで撮って、スマホの画面に写っている写真を見ながら、デッサンを描いているんです。スマホの映像はバーチャルです。本物の風景を見ながら描くべきですが、現代のスマホ依存症の高校生にとっては、スマホの映像こそが真実で、現実の風景の方が、バーチャルなのかもしれません。私は、美術の教師ではないですし、彼女にとっては、通りすがりのおっちゃんに過ぎないので、特に何も言わず、スルーしました。

 最初に勤めた学校では、ライブの前に、模造紙1枚を使って、各バンドにPR看板を作っても貰っていました。それを、ライブの直前に、昇降口の壁に貼り出していました。自分のたちのバンドのイメージを絵にするのは、大切なことだと確信しています。当時の相方だった、K先生は、その後、第一商業に異動して、ライブの度に、巨大な看板絵を描かせて、ステージの奥の壁に掲示していました。あの絵を描くだけで、三日くらいは要している筈です。つまり、K先生はひよってなかったと云うことです。私は、ひよりました。ダンス部の顧問時代、ライブ前には、ベニヤ4枚分の看板ポスターを制作していましたが、あれが頂点でした。

 その後、異動して、軽音部の顧問に復帰しましたが、模造紙1枚分のポスターを描かせるpowerも枯渇していて、エントリー用紙の片隅に、自由イラストコーナーを設けただけでした。が、線を引いて絵を描くことの大切さは、当然ですが認識していました。最初の学校のポスターや、ダンス部の看板は、顧問の権力で、強制的に描かせていました。が、アートは強制するものではありません。もう、強制することが嫌になったので、自由イラストは、描かなくても構いませんと云う但し書き付きでした。ちゃんと、イラストを描くバンドの方が、個性的でライブも面白いと云う一般的な傾向は、まああります。ライブのプログラムは、手書きで私が作成します。その時、自由イラストに描いてある絵を、私がプログラムの片隅に模写します。これは、そのバンドをより理解するための私の予習のようなものです。少なくとも、これまでは、ライブの度ごとに、絵を模写するchanceはあったわけです。

 私は、日本の画家ですと、浦上玉堂が一番好きで、次が富岡鉄斎です。雪舟が、一番、すごいと頭の中では理解できていますが、あまりにもすごすぎて、敬して遠ざけてしまいます。鉄斎は、60歳を過ぎてから、どんどん絵が上手くなって行きます。60代で描いた絵は、正直、まだ若書きって感じがします。80代に入ると、「格物致知」的に本質に迫って行きます。元々、私は字も絵も苦手なんですが、失うものがないくらい下手なので、これからは、字も絵も億劫がらずに書いて行くつもりです。 

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