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四角いマットの人食い狼(5)

ハラダの会見と同日。リブレの事務所にて。

「小田島ァ……なんでこんなことになった?」

 粗末なスチール製のデスク、それが社長の執務スペースの全てだった。
 そこに頭を抱えている男が一人。抑えられた手の隙間から地肌が覗き、額から禿げ上がっているのがわかる。
 小林はとにかく小心な男であった。

「ハラダをうちで飼いならせるかよ」

 もともと、別の団体で燻っていた中堅レスラーだった小林は、数人を抱えて独立し、リブレを立ち上げた。
 小心な性格はマットの上ではマイナスだったが、経営には向いていた。ローン・ウルフなど、実力あるスターが居たのも幸運だった。それなりの団体に成長するのに、そう時間はかからなかった。
 ただ、リブレにはそれを活かしきるだけの資金力がなかった。
 神プロが在京の大手テレビ局である帝国テレビをスポンサーとしているのと対象的に、リブレは小林が立ち上げた株式会社を中心として、協賛企業を募ってなんとか興業を成立させる自転車操業の中小企業だ。
 だからこそ、今回のハラダの移籍劇は不気味だった。彼はまず、契約金はいらないという。ファイトマネーで十分だと言うのだ。その代わり、三戦した後にチャンピオンであるローン・ウルフに挑戦させろ、という。
 神プロ──いや神野の意志が透けて見える。明確にリブレを潰しに来た。

 確かに、ハラダは客を呼び込める。強いし、客へのアピールや魅せ方をよく理解しているからだ。
 だが初めからリブレの屋台骨を折りにかかっているのだとしたら別だ。リブレの王座を奪われ流出したら目も当てられないし──それを保持しているローン・ウルフにも、問題があるのだ。

 阿久津は確かに良いレスラーだ。身体能力も並以上、プロレスの魅せ方もブランクがあるにしろよく勉強している。
 しかしそれはリブレという団体で見て、という程度だ。神プロのような大きい団体でしのぎを削ってきたハラダと比べればその差は歴然だ。相手にならないとまでは言わないが──。

「とにかく、ウルフとのマッチまで時間を稼ぐしかないでしょう」

 小田島も頭を抱える他なかった。ローン・ウルフは先代──代替わりはしていないが──あってのものだ。いつまでも阿久津でごまかせるとは思ってないし、キリの良いところで彼の正体を明かし、再デビューさせるつもりだった。

 しかしそれは、あくまで先代がすぐ拘置所から出てくることを見越してのことだ。今の先代は、ローン・ウルフとはなんの関係もないリブレの一職員──ということになっている。彼はマスクを脱いだことがないため、マスコミもさしたる騒ぎを起こさなかった。
 阿久津は違う。彼はマスクをしていなかった。脱げばバレる。

 彼はローン・ウルフと直接のマッチこそ無かったが、同じ日の大会で戦っていたこともある。同時にマットの上に立ったことはないと言っても、阿久津が前からずっとローン・ウルフであったと誤魔化すことはできない。バレる。
 そうなれば全てがご破算だ。リブレやウルフはマスコミの餌食になる。

「阿久津はハラダには勝てませんよ」

 小田島は絞り出すように言った。夢物語を話す気は無かった。今必要なのは、シビアな現実の話だ。

「はっきり言ってリブレのプロレスのレベルじゃ、ハラダには太刀打ちできません。真野と井口あたりで試合になるかどうか──」

 小林は唸っていたが──そのうち膝を打って立ち上がった。これは彼の癖みたいなものだ。まさしくそれは、腹が決まったときの音だった。

「勝てねえんなら、やらせらんねえよな」

「しかしハラダは試合を望んでますよ」

 もはやヤケクソに近かった。小林は追い詰められると、決断を早まる癖がある。

「知るか。とにかく、時間を稼げばこっちのもんだ。今やんなくちゃならないのは、ハラダとウルフをやらせねえことだ。小田島、違うか?」

「しかし具体的にどうやって?」

「アングルを組むのが手っ取り早いだろうな。味方同士になるとか──そうだ、タッグパートナーにするんだよ。二人を」

馬鹿な、と言おうとして、小田島は言葉を吐くのを止めた。
 もしかしたら、妙案ではないか?
 プロレスにおいて、初めは敵同士で出てきたレスラーがタッグを組むことは珍しいことではない。

「阿久津はこちらで説得しますが、ハラダは──?」

「神プロの不興を買いたくないのはヤツも同じだよ。ハラダはリブレで勝たなきゃ、そもそも神野とやれねえ。それに、ゲスト参戦ならいざ知らず、わざわざ移籍してきてんだ。団体の都合に合わせて出番を調整すんのは当たり前だろ。つまりキンタマはこっちで握ってる。スターでもなんでも、プロレスはフロントのほうが強えんだよ」

 小林は自分のアイデアに安堵するように、椅子の背に持たれて天井を見上げた。横暴と言われればそれまでだ。それでも、ウルフとハラダは戦わせられない。ハリボテの兵士で銃弾を防ごうとするようなもので、自分たちはそのハリボテに団体を託してしまっているのだ。

「……方針は固まりましたね。ハラダの方は社長が言ったほうが通りが良いでしょう。ウルフは私が」

「おう。……しかし阿久津はよ、ハラダとやりたがるんじゃねえのか」

 阿久津は上昇志向が強い。一度はプロレスを捨てた反動なのか、もともとだったのかは分からないが──常々口にしている。
 「満足できない」と。
 彼は、実力をローンウルフに『合わせているに過ぎない』のかもしれない。

「彼も自分がローン・ウルフだと知れてしまうのはマイナスなんです。そこはなんとかします。それより社長──神プロ側から突っつかれないようにしてくださいよ。契約に含まれてないとはいえ、神野さんの意向を完全に無視することになるんですから」

 小林の口がヒクつくのも無理はなかった。神プロは、ローン・ウルフを倒すことでハラダの泊付けを図っている。
 その証拠に、ゲスト参戦で様子を見ればいいところを、いきなり移籍をさせたのだ。ハラダならば間違いなくベルトを穫れると踏んでのことだろう。

 事実、ハラダによってリブレのベルトが流出すれば、取り戻すのは困難となるのは間違いない。
 ベルトは持ち回りでなく実力でもぎ取るものだからだ。だからといって、フロント側がチャンピオンとやらせないのは問題になる。
 どんな妨害が入るかわかったものではない。

「……なんとかする」

 リブレは小林や小田島の拠り所だ。みんなプロレスが好きだったが、他団体で身を立てることは難しかった。いつまでもやられ役の前座レスラーだった。

 小田島はまた別の団体での企画や営業をしていたが、そのときに小林に出会った。ウルフや他のレスラー──才能はあっても出番に恵まれなかったり、干されていた連中──を、看板にして、とにかくやりたいプロレスをやれる場を作りたい。そう小林が宣言し、用意した場──それがリブレだった。

 時代は既に神プロの一強ではなくなっていたが、未だにプロレスといえば神プロ、というのが世間の評価だった。
 リブレはなんでもやった。ストロングスタイル、デスマッチ、コメディ調の特殊マッチ──。
 ローン・ウルフのスター性に救われたのは否定できないが、それでも皆、マットの上に立てた。神プロから干されたレスラーもいる中で、マットの上で戦えるのは何よりにもまさる喜びだった。
 プロレスができる。四角いマットの上で、胸を張って、何に阿ることもなく。
 小林はそんな場を守ることだけに必死になっていた。そんな中での、ローン・ウルフを取り巻く騒動だ。退く場所はない。

「俺達は」

 小林は小田島の背中にそう投げかけた。

「一度ローン・ウルフで神輿を担いだんだ、俺達は。こうなったら最後まで担ぎきってやるしかねえ」

「社長、私も同じ気持ちですよ」

 小田島が振り返ったとき、笑っていた。覚悟の決まった顔だった。

「最後まで立ち続けましょう。マットの上で」

続く