【断章】詩にまつわる記憶
わたしは詩を書き始めてからまだ五年ほどしか経っていない。もっと早く書き始めればよかった、と悔やんでも遅い。しかし、記憶を辿ってみると、学校の国語の授業で、わたしに強い印象を残したのはどれも詩なのである。谷川俊太郎の「朝のリレー」も覚えてはいるが、いちばん古い強烈な記憶は、小学校のときに習った村野四郎の「白い建物」という詩だ。
高くゆれるコスモスの
白や赤の花のあちらに
できたばかりの
大きな 白い建物がみえる
あすこには
ことしの あつい夏じゅう
鉄骨がくまれ
火花がとびちり
はだかになった人たちが
目がくらみそうな空の中で
あせを流してはたらいていたが
きょうは もうだれもいない
あの人たちは どこへいったのか?
すずしい秋風の中で
ゆめのように うつくしく
建物だけが光っている
いま読んでも、すごい詩だと思う。第二連での転調と第三連への飛躍。わたしは最後の二行が好きだった。作者は覚えていなかったけれど、この文章を書くにあたり、その二行を覚えていたがために探すことができた。たしかこの授業のとき、担任の先生はクラスの児童に詩を書かせた。わたしは雪虫のことを書いたはずだ。しばらくわたしは、こっそりいくつかの詩を書いてみたが、どれも村野四郎ばりだった。
中学校になると、国語の記憶はますますなくなり、覚えているのは中原中也の「月夜の浜辺」だけである。なんとも言えない寂寥感が胸を打ったし、「こんなことが詩になるのか!」ということに驚嘆したのだった。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向ってそれは抛れず
浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
高校では、王道の宮沢賢治の「永訣の朝」。朗読すると必ず泣いてしまう。この詩を好きなひととは仲良くできる、という妙な信頼感。そして、立原道造の「のちのおもひに」。
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
当時、わたしはソフトボール部だった。しかし、授業をまるで聞かずに教科書のページをめくっていて見つけたこの詩。待ちかねた放課後、わたしはその日の練習をサボった。本屋に駆けつけて、『立原道造詩集』を買った。はじめて買った詩集である。あの当時、書店ではいまよりはるかに、詩集が売られていた。
のちにこの詩集は、欲しいというから母にあげてしまった。いまのわたしは、ほとんど詩集ばかり読んでいる。それは遠い過去から実はつながっていたのだなあと、そんなことを思いながら。書き始める前からずっと、詩は、わたしのなかに、たしかに存在していた。