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あの一食


今日は固定観念の恐ろしさについて綴ってみたい。
ある友人と一食を共にするまで、僕はハイレベルな中野のランチ通だと思っていた。あの時までは。

中野はランチ激戦区だ。ローズガーデンの生姜焼き、陸蒸気の焼き魚、バラそば屋のつけ麺、スミスの冥王星カレーなど実力派の個人店から

松屋、日高屋、大戸屋、ロイヤルホストなど安定のチェーン店まで網羅されている地域である。


中野に限った事ではないが、街のランチ通になる為には、まずは膨大な店舗を虱潰しに訪問する事から始めなければならない。

そして、自身が良いと思った店に何度も通い、店舗ごとのメニューからBGMまで、隈なく魅力を深堀する。通い続ければ、店側から認識もされるようになり、初めて常連の仲間入りを果たすことが出来る。その頃には、味や雰囲気はもちろん、従業員のモノマネすら出来るようになっている。

自慢ではないが、僕は現在15人の店主のモノマネをする事が出来る。

グルメサイトで調べれば直ぐに良い店舗と出会えると思われがちだが、店を知らない初期段階は良いとして、フィールドワークが進むと、自己評価とサイト評価の差異が出る事があるので完璧とは言えない。

結局の所、自身のフィールドワークの積み重ね以外でランチ通になる事は出来ないのだ。

殊更に大変なのが、新店舗や新メニューも次ぎから次に出てくる。ある程度1つの街のランチ通になるまでは、最低5,6年はかかるとも言われている。

中野のランチ歴7年を自負する僕は少し、自信過剰になってしまっていた。

ここで冒頭で触れた、一食で固定観念を崩された話に戻したい。

鶴田さんとの約束は、14時に北口のルノアール。前の打ち合わせが長引き、ギリギリになってしまったのでランチは終わってから食べる事にした。

鶴田さんは僕より3つ年上の広告代理店の凄腕営業マンで、たまたま子供同士が同じ幼稚園に通っていた事もありパパ友でもあり仕事仲間でもある稀有な存在だ。

この日は来週に控えているクライアントへの提案資料の件で打ち合わせだった。僕はいつものようにアイスコーヒーを頼みながら、心の中で打ち合わせが終わったら新しく出来たラーメン屋に絶対に行こうと決めていた。

鶴田さんはアイスレモンティーとハムトーストを頼んだ。相変わらずお洒落なオーダーだと思った。

以前、ルノアールの一番お洒落なモーニングセットは何かと尋ねたことがある。
鶴田さんは「そもそも、ルノアールのモーニングに来てる時点で相当お洒落なんだよ。どのセットでもお洒落だよ。」と教えてくれた事を思い出した。

ハムトーストが運ばれてくると、「昼飯はルノアールのハムトーストと決めていたんだよ。」と言った。

僕は、何を言っているんだろうと思った。ルノアールは喫茶店だ。もちろん、ランチメニューが充実している喫茶店はある。しかしルノアールは喫茶飯を楽しむ場所ではない。

当然、僕のランチルーティンにルノアールのハムトーストは入っていない。毎日来ているがハムートーストなど一度も頼んだ事すらなかった。

ルノアールで頼むフードは、ピザトーストかプレミアムサンドウィッチ以外は考えられなかったし、ランチの選択肢でなく、小腹の空いた時の軽食だった。

しかし、鶴田さんは妥協の選択肢などではなく、始めからハムトーストをランチとして認めていたのだ。

改めてメニューを見てみると、ハムトーストは素朴でありながらそれを恥じる様子はなくどこか威風堂々とした佇まいでそこにいた。そしてそのメニュー表に鎮座するハムトーストが、レモンティー片手にトーストを上手にかじる鶴田さんに重なって見えた。クラシックのbgmが流れるその空間はまるでホテルオークラのラウンジにいるかのような錯覚にすら陥る。そして優雅にハムトーストを持つ鶴田さんはまるでエレガントな紳士のようだった。


僕の固定観念が崩れ落ちた瞬間である。

知識と努力だけが正義だと思い込み、本質を完全に見失っていた。
自分の理想がそこにはあった。

僕は僕自身の理想を否定してしまっていたのだ。本当はエレガントな紳士になりたかったはずなのに。

今でもこの一食がなかったら、僕はどうなっていたのだろうと、ぞっとすることがある。

鶴田さんは、調子に乗り、本質を見失った僕を見かねて、言葉でなく行動で示してくれたのかもしれない。


凝り固まった固定観念により、様々な局面で自分の理想を自分自身で否定してしまうケースがあるという事を身をもって体験出来たのは、あの一食のおかげだ。

今では、ノルアールのハムトーストは僕のランチルーティンだ。読者の方も似たような経験があるはずだ。一度、振り返ってみる事をおすすめする。お便りください。

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