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専門知識だけでは不十分な時代がやってきた

スポーツトレーナーの平山です。
本マガジンでは、スポーツトレーナーとして身体の知識をお届け、
するのではなく(笑)、
身体以外のことについて発信してみようと思います。

初回となる今回はそもそも、「なぜ身体以外の知識が必要なのか」について考えてみたいと思います。

私たちスポーツトレーナーや理学療法士でスポーツ現場に出ている、いわゆるトレーナーと呼ばれる職種の人間は、筋肉や関節などの解剖学や、筋肉が大きくなる仕組みなどの生理学に詳しく、人の運動に関する科学的な知見をたくさん知っている、と思われています。

それは間違いなくて、むしろそれらの知識なくして現場に立つことは、
関わるチームや選手にリスクとなるわけです。

でも、それらの知識はもはや「誰でももっているもの」であり、
「選手や指導者の方々」も持っていることが増えてきました。

そして、SNSの普及によって専門知識ほど、「知っていて当たり前」となりつつあります。
(それでマウントの取り合いをしているSNSはもう見てられません💦)

この、「知識に価値がなくなっている」時代にスポーツトレーナーとして何が求められているのでしょうか。

このようなことを考えるとき、皆さんはどのようなことから思考を始めますか?

そもそも(スポーツ)トレーナーとはなんなのか、どんな背景で生まれた仕事なのか、そしてそれがどう変化してきたのかまたは変わっていないのか。

この視点を外しては論点が定まらず、違う前提同士での議論となりかねません。

そこで今回は前提から定義していきたいと思います。

日本におけるトレーナーの歴史

我が国におけるスポーツトレーナーといえば、
日本体育協会(以下、日体協)が発行しているアスレティックトレーナー(以下、AT)の資格が最もポピュラーです。

そこで日体協の歴史から遡ってみましょう。
日体協のHPにある資料によると、1964年に開催された第18回東京オリンピックの翌年からスポーツ指導者の養成事業に着手したと言われています。

また、同協会によると以下のようにも記されています。

日本体育協会では,1965年(昭和40年)よ りスポーツ指導者の養成事業を始めたが,前述したとおり当時の資格名称は,「スポーツト レーナー」という名称であった.これは,ドイ ツ(当時は西ドイツ)のスポーツ指導者資格の名称を参考にしたものであって,「トレーナー」という名称を用いてはいるが,現在の「アスレティックトレーナー」というよりは,競技力向 上指導者・コーチに位置づけられていた.
(中略)
日本におけるトレーナーの状況に関しては, 戦後の日本プロ野球の発展に伴ってマッサージ師などがトレーナーとして組織的に活動を始めているようであり,
(中略)
こういったことから,日本体育協会が資格認定するトレーナーの役割については,「医療関係の法律に抵触しない範囲でスポーツドクターとの緊密な協力のもとに,競技者の健康管理, スポーツ外傷・障害の予防と応急処置,アスレティックリハビリテーション,コンディショニングなどを担当することとし,医療関係の資格を持っていれば,それだけ活動の範囲が広がるが,認定事業としては,医療資格にはこだわらない」という方針を打ち出した.

参考資料1)より

まとめると、日本におけるトレーナーという仕事は古くは戦後のプロ野球の発展に伴ってスポーツ選手のマッサージなどを行っていたところが始まりのようです。

そこから東京オリンピックを契機に、よりリハビリやコンディショニングに対しての専門性を高めた「AT」という資格ができていった、ということのようです。

世界におけるトレーナーの歴史

世界におけるトレーナーの歴史についてはどこまで遡れるのかという問題がありますが、一説によると紀元前776年に開催された第一回古代オリンピックからトレーニングを指導する人はいたという記録もあります。

当時は古代ギリシャのオリュンピアで行われており、ゼウスに捧げる大会だったとの記録もあるようで、宗教的な意味合いが強かったようです。

「スポーツトレーナー」という言葉自体は西ドイツが最初とも言われています(諸説あり)。

第一次世界大戦後、東西ドイツに分けられ、社会主義的な東ドイツと資本主義的な西ドイツでの代理競争の1つとしてスポーツが存在していたことは疑いようがないと思われます。(参考資料2)より)
当然ながら、その当時の歴史的政治的背景を無視できませんがここでは紙面の都合上割愛とさせていただきます。

また、アメリカでは1950年にNational Athletic Trainer's Association (NATA)が設立され、アスレティックトレーナーという資格が公式に生まれました(参考資料3)より)。
それ以前のアメリカではマッサージや民間療法などを中心にケアをしていたとされています。

求められるトレーナーってなんだろう

まとめると、スポーツそのものは古代ギリシャ時代にまで遡ることができ、かつトレーナーという名称はなくともそのころからスポーツをする人をサポートしている人々はいた、ということのようです。

つまりこの時点で、政治のことや歴史のことを知る必要が出てきてしまいました。だって、それを知らないと、「なぜトレーナーという仕事が生まれたのか」の答えは出てこないですもんね?

なぜ古代からオリンピックが存在していたのか?
なぜ東西ドイツに分かれてからスポーツトレーナーという名称が生まれたのか?
なぜマッサージ中心だったサポートが医療やリハビリ、トレーニングなど対象が幅広くなっていったのか?

という疑問は、解剖学や運動学は答えてくれないのです。

歴史は繰り返す、とはよく言いますが現代はまさに転換点のような気がします。
農業革命が起きて、産業革命が起きて、そして情報革命が起きた現代。
もはや情報そのものの価値はどんどんと低下している。

この流れは確実に、ただ知識がある、ただ動けるだけのトレーナーを淘汰していくと予想しています。
(もちろん知識もない、動けないトレーナーが淘汰されるのは必然ですが)

そんな中で必要とされるトレーナーとはどんな人間なのか。
人工知能(AI)にはできなくて、あなただから意味がある、価値があるものとは何か。
それを考えるタイミングなのではないかと思います。

今やAIに聞けばだいたいのことはわかります。

それでも人にしかできないことは何だろうか。

私はその1つが、「人としての関わり」ではないかと思います。
AIもこんなことがあるとこんな感情になる、という「情報」は持っていますが、AIがそれを実際に感じることはできません(2024年現在は)。

だから「人として」成長していくことはこれからどんな職業の人にとっても必要になってくるのではないかと思います。

そのとき、スポーツのことだけ、身体のことだけしか知らないトレーナーと、他の様々なことに興味を持ち学んでいるトレーナーだったら、あなたはどちらのトレーナーと関わっていきたいと思うでしょうか。

栄養を通して身体のことを考えられる、
睡眠を通して自律神経のことを考えられる、
スポーツを通して政治のことを考えられる、
スポーツを通して経済のことを考えられる、
心や精神を通して人のことをみれる、
日本や世界のことを通して地球のことをみれる。

そんなトレーナーこそ、これから求められるようになっていくような気がしています。


トレーナーとしての技術や知識はもちろん現場に出る以上は必要ですが、その前提で専門知識以外の見識を拡げていくことを目的にこれからnoteを書いていきたいと思います。

ご興味ある方はぜひマガジンのフォローも合わせてお願いいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!


参考資料


1)日体協HPより(h25attext_p6_8.pdf (japan-sports.or.jp)
2)ドイツにおける社会国家と余暇・スポーツに関する一考察, 有賀郁敏,2011
3)NATA History | NATA



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