『掃除しないと汚れる』という当たり前に気付くことが、優しさへの第一歩
一人暮らしを初めてから、何だかんだで三年目。
この生活を通して気付いたことはたくさんあるけれど、その中でも特に気付けて良かったと思うことは、掃除をしないと必ず汚れるということ。
「何を当たり前のことを」と思うかもしれないし、僕だって知らなかったわけではない。
でも、一人暮らしをするまではこの意味をちゃんと理解出来ていなかったと思う。
僕は割かし綺麗好きなので、ホコリや汚れを見つけるとその都度洗ったり拭いたりする。
しかし実家にいた頃は、自分の部屋に掃除機をかけてくれていたのは母親で、僕は全くやっていなかった。
そのおかげで、僕の部屋はいつも綺麗だったし、特に不自由もなかった。
だが、一人暮らしでは自分しか掃除をする人間はいない。
最初はこまめに掃除機をかけていたが、仕事などで忙しい時期になるとそれも難しくなる。
そうして掃除する回数が減りその精度も落ちると、いつの間にか部屋がどんどん汚れていく。それはもう恐ろしいくらいに。
ホコリは溜まるし、髪の毛は落ちまくってるし、浴室の乾燥機やエアコンのフィルターは黒くなっていく。
実家にいた頃にあんな清潔に保てていたのは、母がしっかりと掃除をしてくれていたからなのだと、骨身に染みて実感した。
これは家に限ったことではなく、スーパーも飲食店も駅も、そこには必ず掃除をしてくれている誰かの存在があって、その人達がいてくれるから僕達利用者は気持ちよく買い物したり食事したりと利用が出来ている。
使う人間は多ければ多いほど、その分汚れるスピードも量もとんでもない。それでも毎日清潔な状態なのは、僕の部屋に掃除機をかけてくれていた母のように常に一生懸命掃除をしてくれている人達がいるからであって、それは決して当たり前ではない。
利用している人の中には、平気でゴミを投げ捨てたり置いていったり、唾を吐いている人がいる。
それはマナーが悪いとか言う前に、人間としてどうなんだろう?と僕は思わずにはいられない。
それを掃除する人がいて、その人がどんな気持ちで掃除するのか。どうか想像してみてほしい。
中学生の頃、不良とまではいかないがそれなりにヤンチャだった同級生と帰路をともにした時のこと。
彼は紙パックのジュースを飲んでいて、それを駅のホームの床に誤って落としてしまった。
無残に液体が零れ落ちているソレに向かって、彼は勢いよく足で踏みつけると紙パックは盛大に潰れ、辺りにはジュースがはじけ散った。
それを見ていた見ず知らずのおばさんから、
「こら!誰が片付けると思ってるの!!」
と激怒された記憶は、未だに僕の中に残っている。
どんな場所であっても掃除しないと必ず汚れてしまい、その汚れを掃除してくれている人が必ずいる。
それがどういう意味なのかを、これからもしっかりと噛みしめて生きていきたい。
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