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新型肺炎への対応と子育てについて〜「正しく怖がる」と「自分を大切にする」の間をさまよう〜

【大事なお知らせ】

 今日の記事は少しセンシティブな内容を含む、と言えるかもしれません。この記事を読まれることで、つらい気持ちになる方や、憤りを感じられる方がおられるかもしれません(そういう意味では世の中の全ての記事は、そうかもしれませんが…)。「そう思うなら公開すべきではない」というご批判もあると思いますが、この記事で少しでも心が落ち着く方もいるのではないか、とも思いますので、迷いましたが公開します。誰かを(もちろん、あなたを)傷つける意図は全くありません。でも、他ならぬあなたの、今の状況によっては、読むことがしんどい記事になってしまっているかもしれません。そうだとしたら申し訳ない気持ちです。どうぞ、少しでも、心に余裕を感じられたときに読んでいただければ幸いです。そして、出来ればこの記事で心が落ち着くような状況の方に、記事と、そこに込めた想いが届きますように m(_ _)m

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ここから、内容です。

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人は1人1人違う。だから…?


こんばんは。尊田です。

新型コロナウイルによる感染症の拡大にともない、多くの人の体、心、生活などへの影響も次第に大きくなっているようです。

マスメディアでも、
ネット上でも、
身近なコミュニティでも、

いろいろな方が、
いろいろな意見をアウトプットされていて、

様々な状況があり、
様々な考え方があり、
様々な知見があり、
様々な「きもち」があるんだなあ、

と、改めて感じています。

人は1人1人違うので、
当たり前のことですが、

こういうことが起きると、
改めて、
「当たり前」すぎて
空気みたいに意識しなくなっていた
「当たり前」が、
かなりくっきりと、わかりやすい形をとるので、
そういう機会にしっかり考え、感じることができるといいなあと思っています。


で、そういうときに
いつも悩むのは、
「人は1人1人違う」の次に来ることです。



「人は1人1人違う」から、足並みをそろえる努力をしよう、とするのか?

「人は1人1人違う」から、それぞれの違いを認めて活かそう、とするのか?


これはとても悩ましいことです。
少なくとも自分にとっては。


足並みが揃っているからこそ、安心できたり、大きな成果が出せる時があります。

それぞれの違いが認められているからこそ、乗り越えられる窮地があったり、味わうことができる大きな幸せがあったりします。

どちらも自分にとっては大事なことなので、悩むのです。

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自分のおしごとの分野で言えば、
例えば、幼稚園の先生からこんなご相談をいただいたときに悩みます。

「Aくんは、電車がとっても好きなんです。
 だから、電車の絵本の読み聞かせの時は、
 とっても集中して聞いてくれて、ニコニコしてくれるんですよ。集中力がある子だと私は思うんです。でも、電車じゃない絵本の時は、寝そべったり、歌い出したり、隣の子を突っついたり、園庭に出たりするんです。毎日、電車の絵本を読んであげて、あの子の心にたくさん栄養をあげたいけど、動物や虫の絵本が好きな子もいるから、そうもいかなくて…。それに小学校にあがったら、好きじゃないからって教室を出るわけにいかないでしょう? どうしたらいいんでしょう?」

 こんなふうに、悩んでくれる素敵な先生がそばにいるだけで、Aくんの心の栄養になっていると思うのですが、それでは私のしごとになりませんから(^◇^;)、何か答えようとするのですが、1つの正解なんてないわけです。

 だから、「そうですねえ。なやみますよねえ」と言って、2人で「うーん…」「むむむむ…」と唸ることになります。

 違いをそろえるのか、活かすのか。

 自分の専門分野でも悩み、迷うのですから、その他のことは推して知るべし、、、ですよね(^^;;

どちらもだいじですからねえ…

(もちろん、唸るのは「試合終了」「敗北宣言」ではありません。全く逆で、スタートの合図なんです。一緒に悩んで、アイデアをだしあって、1つ1つ試してみます。気の遠くなる作業ですが、意味があると思っています。その辺の具体的なことは、また機会があれば書きたいと思います。)

 

「正しく怖がる」のは「“みんな”で良い方向に」というイメージ


「正しく怖がる」という言葉をよく耳に、目にするようになりました。

ただただ怖がって過剰な対応をしてしまうのではなく、

その反動で根拠なく大丈夫!と思いすぎて対応を怠ることもなく、

「科学的根拠」に基づいて、適切に対処しましょう、というニュアンスでしょうか?


 すごく大切なことだと思います。

 科学的根拠に基づいた対応をしていかないと、

過剰な対応をすることでモノや時間、お金などのリソースが浪費されてしまったり、“風評被害”などの心理社会的な現象が起きてしまったり、ということがありますよね。

逆に、やっておかないと大惨事に繋がるような対処があるのに、根拠なく「たぶん大丈夫」と放置してしまうと、これまた大切なものを失うことになりかねません。

特に、今回のように「新型」と名のつくものに関しては、どうしても「わからない」という不安や恐怖が先行するので、人はイメージで動いてしまいがち。

なので、科学的根拠について知ることは心の安定にもとても役立つと思います。

新型コロナウイルスに関しては、
例えば、尊田はこういう記事を参考にしました。恥ずかしながら知らないことだらけで、目から鱗が落ちる思いでした。



鈴木さんの記事は他にも面白く読めて、そうか!とストンと落ちるので、よく読ませていただいています


厚生労働省などの公的機関も「正しく怖がる」ための情報をだしています。

例えば、こんな感じ。

いずれも大事な情報です。


この「正しく怖がる」というのは自分にとっては「“みんな”で良い方向へ」いきましょう。というイメージです。

先ほどの話の流れで言えば「違いをそろえる」ということです。

もちろん1人1人いろいろあるけど、全体としてはこうなった方がみんな幸せだもんね? ということです。


でも、どんな違いを揃えようとしているのでしょう?

それは、1人1人の個性や状況、
もっと言えば、1人1人違うはずの、あることについての恐怖や不安の度合いだと思います。


「自分を大切にする」とは「自分は“こんなふうに”怖い」にOKをだすこと


「誰にとっても変わらないもの」はあります。

お米を炊いて、お茶碗によそって、その上に鶏卵を生のまま乗せて、お醤油を垂らして、かきまぜると「卵かけご飯」になります。

お茶碗でなくて、もっとオシャレな器であるかもしれないし、「卵かけご飯」じゃなくて「TKG」かもしれませんが(^◇^;) まあ、誰にとってもそう大きくは変わらないでしょう。

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でも、
「1人1人にとってまるで違ってくるもの」もあります。

「誰にとっても変わらないはずのものを、どう感じるか」です。

卵かけご飯の例で言えば、それを懐かしい最高の味、と感じる人もいれば、得体のしれない未知のもので食べていいのかさえ怪しいと感じる人もいます(米を炊いて主食として食べない文化圏のかたとか、卵アレルギーの方とか)。

前者は、知る、学ぶことによって揃います。揃ったことで効果が出ます。

後者は、そもそも揃いません。揃えようとすることで歪みが生まれます。もともと、1人1人違うので。

遺伝子による違いや、
文化による違いや、
経験による違いなど、
様々な理由が折り重なって違いが生まれるわけですが、いずれにしても、違いはあるわけです。


その、本来、揃わないはずのものを揃えてしまおうとすると、不安が強まります。不安が強まると「大切にされていない」と感じる場合が多いようです。

それでも、基本的には「みんなのために」足並みを揃えていくことがよしとされることが多いので、自分でも「揃えられない」ことに悩んだり、自分を責めたりする人もいます。

その狭間で苦しみが、じわっとひろがったり、積み重なったりするかもしれません。


私ごとで恐縮ですが、尊田も新型コロナウイルスに関して、似たようなことを経験しました。

マスクを買うことにとても抵抗感、罪悪感を感じたのです。


自分の場合、持病があるのでもともと免疫力が弱い方です。加えて、おしごとで毎日ちがう場所に行って不特定多数の方と至近距離でお会いするので、すべての感染症に対して感染リスクが高く、かつ、自分自身がいわゆる「スーパースプレッダー」になってしまう可能性がわりとあります。

なので、もともとマスクは箱買いしていて、車にアルコール除菌剤を常備しています。

ただ、今回、「正しく怖がる」ための情報をたくさんとりいれ、「マスクは“本当に”必要な人に行き渡るように」と改めて学び、ここで自分がマスクを買い足していいのだろうか、と、とても葛藤しました。

自分がマスクを買うことが、とても悪いことのような、もっと言えば、誰かを傷つけることになるような気がして。そして、マスクを買おうとすると誰かに咎められる気がして…。


冷静になれば、そうではないと思えるのですが、なかなか冷静になることができませんでした。不安に飲み込まれていたんですね。


まあ、考えてみれば、自分も感染したら重症化リスクが高いわけだし、重症化リスクの高い方々と日常的に接するわけなので(乳幼児や妊婦さんなど。自分からうつしてしまうことは絶対に避けたい)、優先順位1番とは言わないまでも、“本当に必要な人”にカウントしてもあながち間違いではないと思うのですが。やっぱり不安が先に立って冷静さを欠いていたのだと思います。


そうこうしているうちに、近隣のお店からはマスクがなくなったので、もはや悩まなくて良くなったのですが(^^;;   でも、悩んだおかげで、違いについて深く考えることができました。


科学的根拠に基づいて、より合理的な行動をとることはとても大事だと思います。そうすることによって、人類は生き延び、発展してきました。

ただ、それは「個人の事情」、もっと言えば「個人のきもち」「個人の存在」という、揃えられない違いを十分に尊重して行う方が長期的にはうまくいく気がします。

その方が「自分を大切にされた」という感情が生まれるからです。


「自分を大切に」してもらえたら、「あなたを大切に」してあげられるかもしれない


ここで幼稚園の話に戻るのですが、
こういうときに、大事にしたいなあ、と先生方と、保護者の方々と確認し合うのは、
「行動」と「きもち」を分けて考えることです。

行動としては、いろいろな選択肢があります。

幼稚園の場合で言えば、
電車の絵本を読み続けることも選択肢の1つだし、
電車以外の絵本を読むことも選択肢の1つ。
電車班と動物班に分かれる、というアイデアも出るでしょう。

また、電車の絵本ではないときに、Aくんが園庭に出ても、まあよし、とする選択もあれば、
我慢する力をつけるために絶対にその場に座らせるという選択もあるでしょう。

いろいろありますが、
ただ、いずれにせよ、その時にとれる選択肢は1つだけです。

つまり、何かの行動を選択するということは、
その集団の誰かの気持ちにはそぐわなくなるということです。

電車の絵本にすれば、「どうぶつがいい!」と思っている子の気持ちにはそぐいません。

動物の絵本にすれば、「電車がいい!」と思っている子の気持ちにはそぐいません。

そもそも、何かに決める、ということ自体が、「すべての子に、楽しい思いをさせてあげたい」という先生の気持ちにそぐいません。

だから、残念だけど、行動選択そのものには、もともと、すべての人を永久に満足させる選択はないのかもしれません。

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でも(だからこそ、かな?)、気持ちは大切にしてあげたいと思っています。


1つの選択として、今日は、動物の絵本にしたけど、気持ちとしてはいやだったんだよね。楽しみにしてた、絵本の時間が、つらいじかんになっちゃったね。ごめんなあ。でも、すごいよね。1回お外に出たけど、自分で戻ってきて、最後のキリンさんのところは、ちらっと絵本見たもんね。心がひろくなったねえ。ありがとうね😊


みたいな感じで。実際にこんな言葉かけをするかは別ですが、大人の心の声として。


そういう共感を、その子が受け取りやすい形で(それこそ違いに応じて!)丁寧に伝え続けてあげたら、「大切にしてもらった」と感じてくれるのではないだろうか。

そして、

もし、

「自分がとっても大切にしてもらえた」と感じることができたら、いつか、その子の大切な誰かのことも、心から大切にしてくれるのではないだろうか。


そんなことを考えたりしました。


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みんなのためを思うというのは、とても大切で尊い事。でも、それとセットで自分自身のためも思って欲しい。

そして、ぜひ、ほんの少しでもいいので、51:49の比率でもいいので、自分自身のことの方を先に考えてあげて欲しい。

だって「みんな」は、実は(当たり前すぎて、僕も忘れかけてる時あるけど)「自分自身(=それぞれの“あなた”)」の集合体だから。

全員が、まず自分自身のことを大切にしてあげられたら、それって、全員が、「みんな」のことを大切にしているのと同じことなんじゃないだろうか。

あなたが、あなたを大切にすることが、一番、ピンポイントであなたを大切にできる。自分しか知らない、自分自身の事情や気持ちがわかっているから。

もちろん、実践はチームワークでやるとより効果的だから、「みんな」のためを思っての「行動」はとても大事だけど、スタート地点として、自分が自分の「きもち」によりそって大切にしてあげるところからやれれば、もっといろいろなアイデアで優しさをはっきしあえるんじゃないかなあ。


そんなことを考えたりしました。


最後に


現状、新型コロナウイルスによる感染症に罹られている方やそのご家族、最前線の医療関係者や感染が広がっている地域に住む方、観光業などで具体的な損害を被っている方々など、

待ったなしの状況で踏ん張っている方々が大勢おられるというのは承知しています。

そういう方々のお気持ちを考えると、こういう、

ある意味、現実から離れたような記事を書くのはどうなのか、と思いましたが、

マスクを前にして悩んだのも事実だし、
子どもたちを先生方とみながら悩み続けているのも事実だし、
そこから、こういう思いを抱いたのも、
(みんなと同じではないかもしれないけど)自分の中では事実でなので、

時間がかかりましたけど、迷って、書いて、公開しました。


その上で、それぞれの事象について、よく調べ、よく考えて、自分の出来ることで貢献していければと思います。


長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。





 


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