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少女☆歌劇 レヴュースタァライト(TV版)のリアタイ完走感想

少女☆歌劇レヴュースタァライトのアニメがめちゃめちゃよかったウオオオ!最終話もよかったウオオオオオ!

 これは、2018年9月にTVアニメをリアタイ試聴して、スタァライトのキラめきにやられた結果、12話中心に全体の感想・解釈を書いた文章です。当時、はてなブログに載せたものですがこちらにも転載します。

 5年経ったけどいまも眩しいの、スタァライトが。

 情報の追加などをした部分もわずかにありますが、基本的にアニメ12話を見た2018年9月の内容のままです。よってその後のメディア展開とは食い違う読解もありますが、2018年らしさとして残しておきます。


☆見てない人へ 

 スタァライトは、舞台ミュージカルとアニメの並行プロジェクトです。両方あってハードル高いかと思いきや、私はアニメが六話くらいまで放送終わってから見始めたし、ほぼアニメしか見てないのに超盛り上がっているので、新規でも問題ないぜ!

 第一話は公式Youtube Chで常時無料公開中、二話目からは色んな配信サイトで配信されてます。

 個性の強いアニメだけに、いきなりついていけないと感じないためのポイントを2つだけ。

1.少女たちの戦闘シーンは、現実的な武術の戦いというより、俳優力や思想や存在力を戦わせてることを比喩的に表現してると受け取ってください。(雑な説明です。見続けているとあなたなりの戦闘シーンの解釈が生まれることでしょう)

2.シリアスシーンなのに妙に笑えることもありますが、それはこのアニメが日常シーンでも舞台っぽい演出を入れているからです。ミュージカルが急に歌い出してポーズを決めたり、舞台出身俳優である藤原竜也の演技が慣れないとギャグに見えるのと似たようなものです。なので、無理にマジに受け取らずツッコミを入れつつ見ていればそのうちに脳が舞台っぽさに慣れて、笑いと感動を両方味わえるようになります、多分。

 では本題に入っていきます。誤解とか間違いとか見つけた方は、ぜひコメントで教えてください。




以下ネタバレ




目次

☆キリンの話
☆ばななとキリン
☆メタとループ
☆星摘み、星罪、星積み、星罪、星摘み
☆「お持ちなさい、あなたが望んだその星を」
☆贖罪と食材
☆星のティアラ
☆星のティアラと茨の冠
☆星屑溢れるステージに
☆「あなた」をスタァライトしちゃいます
☆約束タワーブリッジ
☆各キャラクターのマスコット
☆それにしても12話よかった
☆運命の交換という謎は残された
☆むすび

※おまけ、9話見た直後の9話感想

※※おまけのおまけ、自作真矢クロ小説のリンク

※※※おまけ^3、劇場版について書いた記事へのリンク


☆キリンの話

 キリンの話から始めます。

 最終話で、キリンは観客やスポンサーや主催、つまりスタッフや我々の比喩だったというメタ構造が明示されました。あいつは単純な悪役ではないんですよね。

 キリンを倒せという感想も時々見かけますが、キリン、即ち私たち観客が望んだからこそ舞台は行われ、アンコールも新章も行われ、アニメが終わったこれからも様々に展開するわけです。

 舞台に限らず、表現の仕事やショービジネスって、人を消費して観客が楽しむという危うさをはらんでしまうと思います。様々なアイドル、タレント、音楽、スポーツ、漫画に小説、最近だとYoutuberやVtuberもそう。芸能や表現分野では、ほぼ確実に表現者が自分を切り売りすることになるし、人気が出ると、自分のなにをどこまで商品に捧げるかのコントロールが難しくなる。

「あのアーティストが大好きで応援するけど、でも応援することでますます邪悪な産業構造に飲み込まれ、あの人の人生は滅茶苦茶になるのではないか。一般人になってくれた方が幸せなのかもしれない。しかしその一般的幸福論を押し付けるのもどうなんだ……」というジレンマは多くの人が感じたことがあるのではないでしょうか。それこそアニメ産業だってそうで、声優のみならずスタッフのやりがい搾取みたいな話はしょっちゅう議論になります。

 なので、キリンは一部のとりわけ邪悪な観客などではなく、全ての消費者の象徴に見えました。

 ならば我々は反省して自省するべきか? ところがそんな簡単ではなく、キリンが見ることをやめたら舞台はなくなってしまう。舞台が心臓で舞台に生かされている彼女たちから舞台を奪ってしまう。

 そもそも舞台少女たちも、かつては観客であり消費する側だったのです。彼女たちも、他の役者や演出家に憧れ、消費し、ここにきた。決して無垢な犠牲者、生贄の羊ではない。

 だからなのか、アニメ全体を通して、少女たちがキリンを強く責めたり恨んだりするシーンはほぼなかったと思います。8話でひかりがきらめきを奪われた時は「だましたのね!」と叫びましたが、その後キリンを倒そうという行動はしていません。11話でひかりが失踪し、華恋が潰れている時の他のメンバーが開いたお茶会のシーンでも、少女たちはキリンへの怒りを口にしてはいません。

 そして、人々に犠牲を強いる芸能の構造や、応援によって地獄に突き落としかねないというジレンマは匂わせるだけにとどまり、結局どうすべきかというお説教は語られません。己の邪悪さを思い知れとも、開き直れとも言わない。考えなさい、という問題提起すら明確にはしていない気がします。好みによりますが、私はこの触れ方がとてもよかったです。

 11話で純那さんは言いきりました。

星を掴もうとした罪、か。じゃあトップスタァを目指した私達舞台少女って、みんな罪深い存在、なのね?
でも……だから何? 誰に何を言われたって、掴んでみせるわ。自分星!

 これは、他の舞台少女を蹴落としその上に立とうとする罪深さも、他の舞台を消費してきた罪深さもわかったうえで、あの真面目で正しい星見純那が「だから何?」と開き直った言葉だと思います。しかし、これだって星見純那個人が決めたスタンスにすぎず、唯一の正解なわけではないのです。


☆ばななとキリン

 キリンといえば大場ななさんです。ばななさん、最後の劇で印象的な役になってますね! 嬉しい!

 彼女の衣装だけが99回の女神の衣装に似ており、99回にとどまり続け、みんなを守り続けたななの色々な思いも次の舞台に持っていくということが美しく表現されていたと思います。

 そして彼女の役はたぶん新たな女神なのでしょうが、同時に、物語を見ていた者=キリンの言葉でもある気がしました。台詞内容もですし、なながしゃべっている時に舞台装置のキリンが映されていましたしね。

 キリンとばななの類似はこれまで何度か視聴者に指摘されていました。どっちも背が高いし、「わかります」と「全部わかってるわ」、スイートスポットの斑点が浮かんだバナナとキリンは似てるし、とか色々根拠はありました。

 6~7話くらいではばなな=キリンの黒幕説も流れていた記憶がありますが、8話9話で真っ当なレヴュー勝負になったのでその類似は宙に浮いた形になっていた気がします。少なくとも私は考えるのを止めていた。それがこの最後の最後で重なったので、うめえ~って唸ってしまいました。

 また、ばななはB組の舞台創造科とも兼任していますが、スタァライトは公式からファンの呼び名も「2年B組舞台創造科」じゃないですか。つまり、「視聴者=舞台創造科」「視聴者=キリン」「ばなな=B組舞台創造科」「ばなな≒キリン」「何度もアニメを見返す視聴者=再演を繰り返すばなな」と全てが緩くつながる……うめえ~~~!

 加えて、最後の劇でキリンが舞台装置としてだけど舞台に明確に乗ったことにより、キリン=我々も物語の一員であることが示されたと思います。舞台少女たちはエゴで生きる関係者であり、私たちもエゴで舞台を求める関係者であり、双方が舞台を作っている。『舞台少女心得』の「世界は私たちの大きな舞台だから」という歌詞が思い起こされます。今スタァライトを観客として見ている誰かが芝居の道を目指すこともありえるでしょうしね。


☆メタとループ

 キリンとななの存在により、この作品はメタもループも盛り込んでいます。しかし最後まで見た人にとって、その二つは物語のメインではないと思います。その塩梅ががすげえいい~!

 メタやループは凄く魅力的かつ強烈な要素で、これ一つで物語の中心が作れます。実際そうした名作も沢山あります。

 だから、ばななループが明らかになった時にばなながラスボスと思う人もかなりいたんですけど、実際は、ばななは9話で負け、ループは破られた。キリンが我々に語り掛けてくるようなメタ構造も、どんでん返しの大オチとしては使われていない。

 かと言って、適当に入れたわけじゃないのがばななの人気や最終話の反応から伺えます。ループなんかは、構造の面白さ以上に、大場ななという人物を深く描くことに一番効果を発揮していたと思います。スタァライトは、キャラクターを描くことに真剣である。

 オチや核心としてメタやループを置く作品も当然いいんですが、スタァライトは両方を舞台#1の頃からの丁寧な伏線と共に仕込みつつ、オチにはしないことに意外さや新鮮さ、贅沢さを感じてよかった、という話です。


☆星摘み、星罪、星積み、星罪、星摘み

 星「つみ」の「塔」という言葉から、賽の河原で罪人が石を積み重ねる伝承を予想してる人は、放映途中でも時々いた気がします。でも私は、中盤からの急展開ですっかり忘れてました。それが最終回でドン、と出されて、ハッとした……。

 前述の大場ななとキリンの類似もそうなんですが、先を推測されそうな要素を出しておきつつ、物語の勢いに夢中にさせることでそこから視線を逸らさせて、忘れた頃によみがえらせる手腕が凄い。

 しかも、賽の河原そのままの石塔めいたものとして見せるとか、単純に延々積み上げる無駄な作業の刑罰としてだけ出すのではなく、塔の頂上に登り星を掴むため積み上げるというアレンジを加えることで独自性と視覚インパクトと、それまでの物語とのシンクロ性を出している。

 積んだものを崩しに来るのも、鬼じゃなくて星なのが派手で面白い。あれ、浅間山荘とか面白がられてますけど、実際に浅間山荘のイメージもちょっと混ぜたのではと思うんですよね。そのギャグと紙一重の表現で面白さとけれんみを出すのって、なんだか舞台っぽいなあと思いました。

(後日の註釈:2021年5月に、ニコ生での一挙放送に合わせた古川監督が実況解説用アカウントで"「星」というアイコンと「崩す」という暴力的行為の合体が行き着く先は、昭和の一大スペクタクル「あさま山荘」"とツイートしていたので実際にそうだったようです)

 また、この摘み・罪・積みのトリプルミーニングが使われるのは、ある順番に沿っています。10話までで主に星摘みとして語られてきたものが、徐々に罪という言葉が使われ11話では罪が強調され、12話ではひかりが積んでいる姿を見せて星積みという意味が明示されたところで折り返し、また罪を強調する星罪のレヴューを経て、最後に星摘みのレヴューのポジションゼロに戻ってくる。この、摘み→罪→積み→罪→摘み、という行って帰る流れが美しい。

 行って帰ってくる物語は、ギリシャ神話でオルフェウスがエウリュディケを助けようと冥界に行って帰ってきたり、日本書紀でイザナギがイザナミを助けに黄泉比良坂を下って行ったなど、神話で時々見られます。スタァライトでもまさに11話から12話にかけて、華恋がひかりを助けるために地下に下りていってますし。オルフェウスやイザナギの神話は、元の戯曲スタァライトのように悲劇で終わるのですが、スタァライト新章は、愛城華恋は、その悲劇の筋書きを覆したのでありました。

(その後、ソシャゲのスタリラではひかりが天岩戸にこもるアマテラスを演じていますね。きっとそれを連れ出すアメノウズメは華恋なんだろうなと思いますが、アマテラスを演じた時の詳細が描かれることはあるのでしょうか。あってほしい)


☆「お持ちなさい、あなたが望んだその星を」

 星つみといえば、「お持ちなさい、あなたが望んだその星を」って妙な言葉だと思ってました。

 基本的には「星の塔に登って、欲しい星を手に取りなさい」みたいな意味で使われてたと思います。舞台上には大きな星と小さな星しかなく、その二つから選べ、的な。でもこの言い方って、もっとたくさんある中から望んだものを取りなさいみたいなニュアンスが感じられませんか。

 しかもこの文言は、オーディション参加メールにも書かれています。それはオーディションの題材のキャッチフレーズというより、まるでドレスコードの注意書きのようです。

 そんな風に考えながら見ていましたが、最終話をふまえると、両方の意味だったのかなと思いました。塔に登ってお前の望む栄光を勝ち取れという意味もあれば、参加料として、各々の人生で輝くもの=武器についた宝石=きらめきをベットしてオーディションに参加しなさい、という意味でもある。

 こう考えると、3話の真矢の言葉も、自分達はポジション争いの参加料として大切なものを持ち寄って捧げていることに自覚的なように聞こえます。

舞台の上にスタァはひとり。求めて、飢え、乾き、奪い合う。あの子は捧げた。あの子は切り捨てた。それは星に挑む気高き意志。

 また戯曲スタァライトの原題は『THE STARLIGHT GATHERER』ですが、Gatherは蓄積とか摘み集めるに加えて収集するという言葉です。星を積む・摘む者と考えればクローラとフレールすなわち舞台少女たちに、星の収集者と考えればキリン即ち興行主や我々鑑賞者の意味に思えますね。


☆贖罪と食材

 最終話のほのぼのシーンで皆が鍋を作ってました。複数名のほのぼの仲良くと言えば鍋パだよな! とのんきに思ってたんですが、エビディ-ヌ、カニ堂真矢、豆腐柳香子、とそれぞれ食材を持ち寄っていることや、贖罪という言葉がシリアスパートで何度か使われていたことなどから、これは言葉を掛けているのかもしれないという感想を見かけました。

 食材と贖罪なんて、こんな駄洒落めいた掛け言葉するか……? でも星つみは掛け言葉しまくっている……。きらめきを持ち寄るように食材を持ち寄っていて、更にみんなで贖罪をするという意味が……?

 もし食材に贖罪の意味があるとしたら、キリストのように全ての罪を自分一人であがなおうとしたひかりに対して、彼女一人にそれを任せるのではなく全員が罪を負いその罰を受け続けるという暗喩があるのかもしれません。

 11話の舞台少女幕間での純那が、私たち全員が罪深いのかもしれないと言っていたように、全員が罪人であり、そして今後もずっとスタァを目指し続ける果てしない罪業を繰り返していくのですから。スターギャザリング、罪ギャザリング、贖罪ギャザリング、食材ギャザリング。

 この方向は、人は他者を殺さなければ生きていけないみたいな話にも展開できそうですね。作中でもエビやカニを殺生してるし、真矢クロがカニのはさみで遊ぶ微笑ましいカットは、死骸を弄ぶおぞましい所業とも言えます。その上で彼女たちは死骸を持って「ニッ!」というイイ笑顔の写真を撮っているし、私たち罪深い観客も、色々なものを犠牲に作られた作品をこんなに楽しんでいるのです。


☆星のティアラ

 星にまつわる要素だと、ひかりの星のティアラについてのセリフも印象的でした。

「この星のティアラにはなんの意味もない。フローラとクレールが目指したあの星と同じ。運命の舞台へと新たなつみびとを誘うための光」

 誘蛾灯みたいな言い方です。

 そしてこれは、キリンのオーディションの星のティアラに限った話ではないと思います。

 現実において、多くの人たちがトップスタァを目指したり、表現者やアスリートに憧れるのは、なぜでしょう。それらの分野でトップになれば、金銭や名誉は得られるかもしれません。しかし、あまりに差し出すものが多すぎるし、狭き門だし、不安定だし、たとえ一時的に成功しても、幸せになれてなさそうな例はたくさん見られます。

 冷静に考えるなら、幸せになるためにそういう道を目指すことは割に合わない。(生育環境が厳しすぎて、アスリートやミュージシャンしか稼ぐルートがない場合もありますが、それはさておき)

 星のティアラにも、現実のスタァの輝きにも、きっと人を誘う以外の実利的な意味はないでしょう。でも、その人をキラめきにどうしようもなく惹かれてしまう人間はいるのです。

 ここでちょっと別作品の話を借りましょう。

 西あすかさんが百合姫で連載していた、『いつかみのれば』という格ゲー女子高生百合漫画があります。

 そのRound.10~11(単行本2巻収録)で、主人公を含めた三人の少女が、対戦ゲームをプレイする目的は何かを語りあうシーンがあります。

 XXXX(中二病でつけたHN。ダブルエックスツーと読む)は、「ゲームを介して他人をボコりたい…CPUボコるだけなら対戦ゲームじゃなくてもいいわけだし、やっぱり生きた人間をめちゃくちゃにしたい……」とあまりに殺伐としつつも、戦いを望んでしまう俺たちの一つの芯を捉えた名台詞を返し、時折ネットでネタにされます。

 そこから更に、プロゲーマーになることについて、プロを目指す気はない主人公みのりとXXXX、プロ志望でありみのりを格ゲーに引き込んだ四条は語りあいます。

 XXXXは、収入とか社会的地位とか引退後とかの問題も含めて「…なんかプロって大変そうじゃん」と言います。それに対する四条の答えは、「……だったら私がみんながプロを目指したくなるようなプロゲーマーになってみせるわよ」です。

 これ!!!

 四条が、友達二人にプロゲーマーを目指すための理由として提示するのは、己の輝きだけです。ただ自分がかっこよく輝いてみせるぞというだけであり、金でも名誉でも安定でもなく、幸せですらありません。でも、誰かの輝きを見たというだけでその道を目指す人は、確かにいます。星のティアラも、スタァの輝きも、きっとそうなのです。

 それはそうと西あすかさん、現在はスタァライトと同じブシロード系の仕事をされております、応援しています。

 さて、夜空に輝く星はただ綺麗なだけで人に好かれていますし、宝石も美しさやそれにまつわる伝説といった曖昧なもので価値を認められています。100mを10秒以下で走るために体に異常な負担をかける者に群衆は熱狂します。心身を壊した創作者が山ほどいるとわかっていても、創作を志す人は尽きません。

 ひかりが星のティアラについて語った言葉や、その後華恋がひかりと光を追いかけて奈落に飛び込んだことは、この、なぜ人は苦しい道を選ぶか、ということを暗示しているような気がしました。

 スタァの姿は美しいかもしれない。けど間違いなく苦しい。そして自分も他人も犠牲にする罪深さがある。でも美しい。輝ける呪いとでも呼ぶべき恐ろしいものですが、「胸を刺す衝撃を浴びてしまった」なら、それ以前には戻れないのです。


☆星のティアラと茨の冠

 ひかりの星の髪飾りのトゲトゲした感じや、星のティアラのうねる形はキリストの茨の冠を連想させます。形だけだとちょっと穿ちすぎかなとも思うんですが、一人で舞台少女の罪を負おうとした12話のひかりの行動や、スタァライトのグラフィックデザインをしている濱祐斗さんの薔薇についてのツイートなどを見ると、アニメ以前から意図されているかもしれないという気持ちになってきます。

 そして劇中劇スタァライトでは、フローラ役の華恋は葉の髪飾り、星のティアラの檻から出てきたクレール役のひかりは花の髪飾りをつけています。これも、棘をこえて、華へ、みたいな。


☆星屑溢れるステージに

 華恋の口上に含まれる「星屑あふれるステージに」をみなさんはどう聞いてきましたか。

星屑溢れる ステージに
可憐に咲かせる 愛の華

生まれ変わった 私をまとい
キラめく舞台に 飛び込み参上

99期生 愛城華恋
みんなを スタァライトしちゃいます!

 これまで華恋は「傲慢の女神」だったり、真矢様とのレヴューが「誇りと驕り」だったり、あんなに単純前向き元気っ子のようで傲慢という部分は示されていたんですよね。そして、星屑という言葉には綺麗なイメージがありますが、「屑」だし、英語にすればStar「dust」というようにかなり攻撃的にも見える言葉だと思ってます。だからこの可愛らしい口上も、スタァになれなかった人たちを星屑と呼び、その中心に自分がいるという華恋の傲慢さの表れかなーと思っていたんです。

 でも最終話の口上を聞いた時には、ひかりの幽閉され砕かれてきた七か月を肯定することに加えて、夢半ばで砕けて散った人たちの存在も舞台の上に掬いあげてその存在を肯定してくれるような、優しさも含んだ言葉に聞こえました。あの茫漠と広がる砂漠=散った星屑全部の存在を認めてくれたような……うまく言えないし、なぜそう感じたのかもわからないんですが。

 今まで意味深にずっと画面上に合ったピンクの光も、きっと舞台上にある星屑の表現なんだろうなと思います。残留思念のように、色々な人たちのきらめきのかけらがスタァライトを作り上げた。

 とはいえ優しいだけではなく、あのピンクの光はあくまで舞台のごく一部、僅かな役割でしかないというシビアさはあります。でもそれが、エゴや残酷さをはらんだこの作品には合っていたと感じます。

 また、星のダイアローグの歌詞には「弾けた星のきらめき」とあるように、たとえ主役を取ったとしても、その舞台でスタァは燃えて弾けて砕けて星屑と化し、次の再生産を目指すのでしょう。そういう意味では星屑というのはこれまで何千何万年も積み重なってきた全ての舞台の歴史という意味もあり、それらを尊重しながらも重みに負けないという矜持も感じました。


☆「あなた」をスタァライトしちゃいます

 華恋の口上のシメはこれまで「みんなをスタァライトしちゃいます」だったのが、最後の口上は「あなたをスタァライトしちゃいます」になっていました。

 全キャラの口上が出ましたが、多くの少女は個人的願望やパートナーになる少女への思いを語っていました。しかしThis is 天堂真矢様は「今宵、きらめきをあなたに」と観客を意識したことを語り、それが彼女の俳優としての一段上の度量を示していたと感じます。

 華恋も「みんなをスタァライトしちゃいます」と言っていて、客席の皆を輝かせる意識があったとは思うのですが、なんとなく、真矢ほどには観客に、つまり私に向けられていないように聞こえて、物足りなさがありました。

 しかし、最終話の「あなたをスタァライトしちゃいます」には、真っすぐこちらに届けられた勢いを感じました。

 これはちょっとおかしな現象です。みんなではなくひかり個人に向ける言い方になったのだから、むしろ私は対象から外れたはずですから。スタァライトする、という少し妙な言い回しをしっかり共有しているひかりに向けての言葉だから、説得力が生まれたのでしょうか?

 ここで注目したいのが、真矢だって「きらめきをあなたに」と、個人に向けて語っているような言い方だという所です。

 もしかしたら、聞き手の心に届けるためには、客席全体に聞かせつつも、誰か一人のために語り掛けてた言葉のように感じさせることが重要なのかもしれません。

 ポルノグラフィティが歌ったように、聞き手は「100万人のために唄われたラブソングなんかに、僕はカンタンに想いを重ねたりはしない」という気持ちになるものです。

 THA BLUE HERBは「そこにいるお前と話をしたいんだ。お前『ら』じゃない。お前の仲間でもお前の街でも、札幌も東京もクソもない。お前ひとりで来いと言ったろ」とラップし、逆噴射聡一郎氏は「おれは逆噴射聡一郎だ。おまえは…」と執筆し、サンボマスターは君に語り掛ける。

 最終話の華恋のみんなでなくあなたに向けた口上は、華恋が求めていたものがひかりその人であり、ひかりのための華恋になりましょうという心の変化のカタルシスと、物語の美しさを生み出しました。でもそれだけでなく、あなたをスタァライトするという言い方になったことで、視聴者である「あなた」個人にも届けられているかのようにドキリとさせる効果があったと思います。


☆約束タワーブリッジ

 約束タワーブリッジ。

 口に出してみてください、約束タワーブリッジ。面白くないですか。字面だけでなく、ドーンと名前が出る所も、東京タワーが横方向に突き出て壁砕いてブッ壊して橋になってビカビカ光るのも正直面白くなってしまいます。

 ロジック的には、華恋が暮らす東京のシンボル東京タワー、ひかりが暮らすロンドンのシンボルタワーブリッジ、離れた二人の時間と空間と心を繋ぐ約束の橋、上下関係からの脱却、というのを全部まとめて伝える凄い存在なんですよ。名前も一つにまとめ、視覚的にも一つにまとまっているってのも上手いです。

 でも面白い。

 その直前の東京タワーの形をした電飾も、昭和のネオンみたいな「アタシ再生産」も、出しかたが違ったら爆笑ギャグにもなると思うんです。アタシ再生産看板なんて、よく見ると吊り下げてる紐が描いてあるんですよ。けれど話の盛り上がりが、演出が、演技が、空気感が、これらをダイナミックで感動的にしています。そういうところがめっちゃ好きですし、舞台的だと思います。

 先ほど、星積みの塔を浅間山荘みたいにぶっ壊す星鉄球の時にも書きましたが、演劇の舞台というのは、ギャグとシリアスの狭間な、派手でダイナミックな表現がしばしば出てくると思います。

 たとえば舞台的な演技というのは派手なことも結構あり、空気にハマっていないとわざとらしかったりギャグに見えちゃったりもします。藤原竜也さんの演技がネットでネタにされやすいのも、彼が舞台出身らしい大きな演技をするのでクライマックスだけ急に見ると面白くなるっていう理由もあることでしょう。

 また、ギャグパートとシリアスパートが高速で入れ替わるとか、笑える会話の中で急にしんみりするとか、舞台の右半分と左半分で交互に話を進めてて、右ではドタバタなのに左では殺伐としてたりとかもあります。

 スタァライトもこれまで、真面目とギャグがハイテンポで入れ替わったり、派手で笑っちゃいそうなのに同時に格好良く見えるシーンが色々ありました。

 とりわけ12話では悲痛な砂漠のシーンと和やかな鍋のシーンが混じり、カッコイイバトルや重要なメタ台詞と共にキリンがじっとカメラ目線を向けてきて「こっち見んな」と言いたくなり、約束タワーが地響きを立てて塔をブチ抜き、フルスロットルです。

 しかし一話から見てきた視聴者は既にこういう表現を飲み込めるようになっているはずです。なんじゃこりゃとツッコむ感覚を残しつつも、ちゃんと真面目に受け取るアンテナも育っている。

 突然最終話でこれをやられても私なんかはたぶんついていけなかったはずで、一貫して気合の入った「舞台みたいなこういうノリでいくぞ」の表現を一話からやってくれていたからこそ心震えられたんですね。その筋の通しっぷりに感謝します。

 それと、何度も見返して改めて思うんですが、これを感動的で格好良くしてるのって、やっぱり華恋の声の力が凄いなって思います。「ノンノンだよ」からの華恋の声が全部全部本当にいい。ノンノンだよ、アタシ再生産、口上、などのこれまでのキメ台詞を、これまでと違う声で言ってて、本当に本当に格好よかった。「何度だって生まれ変わる!」とかの台詞も、必死に叫んでて、涙交じりでもあるようで、なのにとてもとても力強い。今までの華恋は前向きで元気でいい子というのが美点であり力だったと思うけれど、そこに真矢様と通じるようなぶっとい芯が備わった声で……。


☆各キャラクターのマスコット

 話が全然変わりますが、各キャラが好んでいるシンボルやマスコットがあるじゃないですか。ななはバナナ、ひかりはMr.ホワイト(戦闘衣装の腰についてるしろくまポーチのキャラ)、まひるはスズダルキャット(野球猫)、二葉はダルマ、天堂真矢はひよこ、みたいな。

 シンボルがあるのはキャラ付けとしてわかりやすいです。

 でも、ばななはカエルグッズ収集も趣味だし、ひかりはクラゲも好きだし星形髪飾りもシンボルですよね。純那は眼鏡がシンボルだけど、『世界を灰にするまで』の「流星をかたどった矢が追いかけていくわ」や、9話のじゅんなななverの『Fly Me To The Star』では「明ける夜を告げた鳥よ 時計の針を今止めて 流れ星がそっと朝を滑っていく」などで流星と繋げられることもあり、更に自室の自分の引き出しには的のマークが貼ってあります(ちなみにばななの引き出しはカエルマーク)。華恋は「愛の華」というキーフレーズ、王冠マークがありますが、ポーチがカニ(カニハニワ)だったり、髪型のツインテと赤っぽい毛色がカニイメージもあるのでカニが象徴でもあります。華恋がカニグッズを好んでるというのは12話でよそわれた鍋にカニマークを描かれてたこともあり少女たちはみんな知ってるみたいなんですが、視聴者の中には12話まで気づいてない人も結構いたようです。

 しかしカニと言えば鍋では真矢様がカニを持ってきていたので、ファンの間では真矢クロを蟹と海老の絵文字で表す文化も生まれてます。

 要するに、キャラの好きなものを設定しつつも、それひとつにこだわらない描かれ方がされていて、そこが好きです。

 キャラの好きなものや象徴は一つだけにしたほうが恐らくわかりやすいと思うんですが、多少わかりづらくなっても、シンボルを幾つも重ねることで多面性や生きてる感を出すことができていると思います。

 メタ的には、演者さんの好きなものや愛称を反映させたのかも、というのもあります。たとえば天堂真矢のキャストである富田麻帆さんは、チキンラーメンのひよこのキャラに似ているからチキどんという愛称があって、真矢様の鳥好きと被る。真矢様の好物であるバームクーヘンも、富田さんの好物です。でもそれが結果的に、人間は生きていれば好きなものが一つではないし、集めてるものやお気に入りも複数種類あるよなというナマっぽさに繋がってるように見えました。

 ところでMr.ホワイトですが、スパイだったり銃を使ったりの裏設定があるっぽいので、007に出てきた敵役のMr.ホワイトが元ネタかな、と思っています。いつか大塚芳忠さんの声でしゃべったりして。

Mr.ホワイトにはどうでも良い、「スパイ設定」とか使っている銃の設定とか、無駄要素が実は沢山あります。🌟🦒🌟

— 古川知宏 (@TOPPY1218) June 25, 2018


☆それにしても12話よかった……

 よかった……。

 変身バンクをフルでやって、沈黙の時間もあって、めちゃめちゃ時間を贅沢に使ってるのに、尺が長いという感じも短いという感じもなくて、それでいて舞台や映画を一つ見たような充実感があって、なんかもうわけわからんのですけどよかった……。

 また、かれひかきりん以外の出番は少なかったのに、不思議なほど魅力が出てましたね。それぞれのキャラのファンが反応したくなるシーンが連発されていたと思います。台詞とか少ないのにファンディスクめいた満足感がありました。

 戦闘シーンは、脳があほになってしまうのであほなことしか言えないんですが、めちゃめちゃに動くわ構図も戦術も格好いいわでひたすら格好よかった。曲も大変ドラマティックだった。音も映像も演技も、全部よかったのでアンバランスになることなくって、パワーが凄かった。

 11話はそれまでの10話分全部の色々なシーンを想起させる部分が多かったですが、12話は1話、さらには本編前のトレーラーと重なる映像がありました。このトレーラーは普通にYoutubeでも公開されていますが、

 TBSでのアニメ最終話放送直前まで行われていたYoutubeでのキャスト&スタッフ出演の公式生放送(https://www.youtube.com/watch?v=y608WzCT1e0)のラストでも流されておりまして、直前生放送もチェックしてた人はさらに味わいが増す、みたいな仕掛けを感じました。

 仕掛けと言えば、ななの誕生日にアニメ放映開始して華恋の誕生日にアニメ最終話だとか、舞台の頃の曲から今に至るまでななのパートはループを思わせる歌詞になっていたとか(https://akiba-souken.com/article/35708/)、アルバムジャケットとか、他にもいろいろ、どれだけ長期に渡って作り込みを計算していて、どこからが偶然なのかがわかりません。たぶん、たまたま綺麗に重なった物事もあると思うんですが、狙った仕掛けが沢山あることによって、偶然の一致も運命として味わう土台が作られているし、それは舞台やライブなど生の劇場で起きる魅力と通じるなと思います。

 ラジオやYoutube生放送、関係者のTwitter投稿などがめっちゃ盛んなのも、リアルタイムコンテンツだなあと思う次第です。

 そしておそらく今から参加してもまだまだ楽しめるのでお友達を誘おう!


☆運命の交換という謎は残された

 アニメだけでも非常にきれいに終わったので「この後の話どうするんだ」という感想も見るんですけど、残った謎もあると思います。たとえば公式サイトのキャラ紹介などで華恋とひかりの欄に堂々と書いてある、「幼いころに運命を交換した」の意味が明示されていません……私が読み取れてないだけかもですが。

 アニメの描写だと、OPで倒れているひかりが握っている髪飾りが王冠の方だったりします。台詞上でもひかりの「ありがとう、私と、『私たち』になってくれて」とか、真矢の「二人で一つ……!」とか、キリンの「彼女がなぜ初めから選ばれてなかったのか、分かりました。二人で一つの運命」とか、華恋とひかりの運命の交換・一体化が感じられる描写は所々あるんですけど、詳細はよくわかりません。

 一応、アニメ内情報だけでつじつまを合わせる解釈はできます。約束によって結ばれた時から運命共同体になった、とか。OPでひかりが王冠を握っているのは、一度負けたひかりが王冠=華恋への気持ちを握りしめることで復活したことの表現、とか。

 でも、アニメ外ではっきり言葉にされている交換って部分はわかんねーーー!

 ということで少女☆歌劇レヴュースタァライト、まだ力を残していると思います。

 10月からの舞台で語られるのか、それとももっと先まで計画されていてその時に明かされるのか。 ← これがどうなったかは君の目で確かめてくれ


☆むすび

 バーッと書きやすい所だけ書きましたがけっこうな長さになって、でもこれでも全然足りないですよね。かつほぼ12話についてしか書いていない。百合でてえてぇ~みたいなことについても書いていない。でもそれを全部一気に書こうと思ったら体力が尽きてしまう……。

 考察っぽいことも書いてますが、その多くは友人やSNSや匿名書き込みで得た視点がまぜこぜになった物です。一つ一つネタ元を明示するのは不可能ですが、お世話になりました。

 このような素敵な作品を作ってくださっている方々、見せてくれた方々や語ってくれた方々に感謝しつついったん締めとします。

 アニメ版少女☆歌劇レヴュースタァライト、本当に素晴らしかったです。

 これから続く物語も、首を長くして待っています。キリンのように。


※おまけ、9話放送後の9話の感想

 9話放送後に伏せったーで書いた感想を誤字脱字直して転載。

 大場ななさんを倒したのは華恋とひかりだけれど、彼女の心に触れたのは純那さんであるというのがよかったなって話です。今見るとちょこちょこ変な読み取り方はありますが、大筋は外していないと思います。

 10話で真矢クロはかれひかに倒されたけれども、真矢とクロお互いの心に触れたのはかれひかじゃなくて真矢クロ自身だった、というのと共通しているスタァライトの良い所ですね。

 ついでに言えば双葉香子の時はレヴューも説得も双葉香子でした。5話のかれまひについても、下記を書いた時は華恋がまひるを説得したと思ってたけど、アニメ見直したら過去のまひる自身の輝きで今のまひるが救われてて、だからラストに「華恋ちゃん大好き」とは言うけど「華恋ちゃんありがとう」とは言わないし、自分で自分を救ったという表現のためにEDはまひる一人で歌っているのだろうなと思ってます。


~9話直後の感想ここから~

スタァライト9話がスゲーよかったので、バトルを通じた説得について書きます。

 先にまとめを書くと、9話で大場ななさんに勝ったのは愛城華恋さんだけれど、ななさんを説得したのは星見純那さんであるという、そこの分割が超好きって話です。

 色々な物語で、「悪人ではないがお互いの事情のために対立することになった相手と戦う」という展開があります。そういう戦闘は、同時に説得を兼ねることも多いです。

 事前にあれこれ言い合っても和解できず結局殴り合いになり、拳も言葉も思想も派手にぶつけ合って、最後には胸に来る一言と共に強烈な一撃を悪役側が喰らい、吹っ飛ばされながら悟ったり改心したりする、みたいな。俗に、説教パンチと言われたりもするやつですね。中盤までのスタァライトもそれに近い話が何度かあったと思います。

 戦いが説得を兼ねるのは何も悪くなく、また、殴り合って暴れて多少心がスッキリしたことで聞く耳を持つ余裕が生まれるというのも現実であります。

 ただ、戦闘中にやたら物分かりがよくなったり、戦いの勝敗が思想や価値観の勝敗に直結してしまって、悪役側にも共感していた人はモヤモヤを抱えてしまうこともあります。力(腕力)なきものは力ある者に、思想面でも従い頭を垂れねばならないのか、と。

 さて、そこでスタァライト9話。レヴューという戦闘で大場ななさんを倒したのは華恋さんでした。レヴューにおける強さが何の反映なのかは色々解釈できますが、とにかくななさんは華恋さんに負けた。ついでに言えば、ななさんは8話でもひかりさんに負けている。

 でも、大場ななさんへ言葉を届け説得したのは、華恋さんでもひかりさんでもなく、ご存じ星見純那さんなんですよね。それがすげーーーーよい!

 説得というか慰めたというか許したというか救ったというか、それが純那さんなんですよ。

 大場さんが改心したとは私は思ってもいないしそう言いたくもないので、曖昧な表現になってますが、とにかく星見純那さんが大場ななさんの大変だった心を少し楽な方向に導くことができた。

 ここの会話の、星見さんのななさんに対する、柔らかいけれど溺愛ではない、少し天然ぽいけど優しくてつよくて、なにより星見さんらしい言葉がたまらないんですが、それを語ると長いのでまた今度として。

 人は、自分を負かした相手に対し必ずしも心まで下されなくてもよくて、自分が好きな人や、自分に優しくしてくれる人や、自分が憎い人や、名もなき誰かに、心の素肌に触れてもらってもよいのだ。

 大場さんがそういう触れ合い方ができたことは彼女にとっての救いでもあるし、現実世界で色々な相手に負けを味わわされている私たち視聴者にとっても救いであるような気がします。

 こういう書き方をしていると華恋さんが腕力で抑圧してくるイヤなやつみたいに聞こえますが、もちろん、そういうわけではありません。

 私の感覚だと、9話のレヴュー直前にはもう、大場さんは変わりつつある皆を嫌いになれず、変化を全否定できていなかったように見えます。これはつまり、既に心がなかば負けていたとも言えます。

 そしてそれを引き起こしたのは、99期生やななさんを取り巻くすべてだったわけで、厳密に星見さんだけがななさんの心に触れられたわけではないでしょう。その中には華恋さんもいて、彼女の言葉が、魅力的な変化が、どれだけ大場さんの心を揺らがせたか。

 ずっとずっと99期生を見てきて、同じ再演なんて言いつつ少しでも良くしようと工夫をし続けて、そのたびにきっと明らかになる99期生たちの新しい魅力が、ななさんのあまりの眩しさに盲目になっていた目と心を変えていって、それが彼女がレヴューで負けてしまうことに繋がったのだと思います。

 皆の姿が大場ななさんの頑なさをほぐしていき、ひかりさんと華恋さんが打ち負かし、星見純那さんが受け止めた。

 この、決して乱暴じゃない、たとえ戦って負けてしまい計画を破られるキャラだとしても、その悩みの全てを戦いで解決させない丁寧さがあるスタァライト、凄く良かったなあと思いました。

~9話直後の感想ここまで~



※※おまけのおまけ、真矢クロ小説書きました

クロちゃんが真矢様に挑む小説を書きました。よければお読みください。



※※※おまけ^3、劇場版について書いた記事へのリンク

 2018年のTV版から、総集編+新規カットのロンドロンドロンドを経て、2021年に上映された完全新作映画『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』。マジで素晴らしい映画でした。

 卒論っぽく劇スを分析しあおうという気合の入ったファン企画に呼ばれたので、気合を入れて考察文を書きました。劇スを見た人にはぜひ読んでもらいたいです。

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