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千と千尋の神隠しを再履修

「千と千尋の神隠し」改めて言わずとも日本映画史に残る珠玉の名作。日本歴代興行収入第一位。ジブリプロダクション宮崎駿監督の2001年の映画である。

2020年現在。世界的に流行するコロナウイルスの影響で映画業界、とりわけ映画館は大打撃を受けていた。公開する作品数すらままならない中で考案された施策の一つが、「一生に一度は、映画館でジブリを。」キャンペーンである。全国の映画館で「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、「ゲド戦記」を上映するというものだ。

さて、かくいう私も「ハウルの動く城」しか宮崎駿作品を映画館で見たことがない。
DVDやVHS、地上波で粗方網羅こそしているが、私は映画は映画館で見てこそ真価が出ると考える一派である。良い機会なので立ち寄った映画館で丁度良い時間にかち合った「千と千尋の神隠し」を鑑賞したのだった。


2時間5分。「千と千尋の神隠し」の上映時間である。
2時間という時間は一般論として長い。退屈さを感じるには十分な長さだ。
それを踏まえたうえで映画館を出た際の所感を述べると、“短編映画でも見たような気分”である。
楽しい時間はすぐに過ぎゆくとは言うが、少しだけニュアンスが違う。
起承転結の中で、観客としての私の感情の起伏が発生せず、終始心地よいままエンディングを迎えたのだ。それこそ2時間という長編アニメーションらしからぬ感覚であり、丁度アカデミー短編アニメーション賞作品で世界観を俯瞰する感覚に近いものを感じた。

10歳の少女が異世界で物事を経験して現実に戻ってくる。
一連の流れの中で凡そ退屈な時間は存在しない。映像音楽、そして世界観がストレスなく入ってくる。調和している。そのなめらかさは他の追随を許さないだろう。それこそ他の宮崎駿作品と比較してもひとつ突出した優美さを感じる。私見だが、その辺りが日本歴代興行収入第一位の所以なのだと思う。(序盤はかなりホラーテイストなのでストレス云々は人によるか。)

話を戻そう。“観客としての私の感情の起伏”とはどういったことか。
「千と千尋の神隠し」にはそれなりの数の登場人物が存在するが、見る限り心理描写らしい描写は少ない。明確に感情を表すシーンは握り飯を頬張る際の泣き顔や、腐れ神関連の引きつり顔、湯婆婆の激昂シーン、クライマックスの空から降りていくシーン、その程度だろう。キャラごとに区切ればより顕著だ。白は終始すまし顔で秘密が多いキャラ、釜爺やリンにも極端な表現はない。カエルや従業員も言わずもがな。
兎も角、作画の中で明確に意思を伝えることや大きな身振り手振りは少ない。(尤も、描写の巧みさ故十分なほど作り手の意向は伝わるし、それ以上は蛇足になるのだろう。)


で、だ。ここで一つ素朴な疑問がある。

我々観客は思い入れや共感を誰にライドすればよい?
同情にせよ義憤にせよ興奮にせよ、作品を通じて登場人物にシンクロできるシーンはほぼ無い。要は刺激が極端に無いのだ。10歳の女の子のための映画といえばそれまでなのだが、こうも感傷的な要素、或いはエモさを感じさせず、刺さらせず観客を第三者たる観客に据え置いたまま良い印象を残す作品はほぼ思いつかない。

改めて感想を述べよう。
究極といって差し支えのない滑らかな作品。その完成度は天壌無窮。
豊かで、心地よい時間をもたらしてくれる最高級の映画。

一方で、娯楽作品としては良くて並。楽しさだけなら直近数年のアニメ映画を挙げていくだけで埋もれるのではないだろうか。キャラにライド出来ないことからキャラものとしても不適格さも否めない。
鈴木敏夫プロデューサーが風俗云々キャバクラ云々といったセンセーショナルな広報を行っていた事、行えた事、或いは行わざるを得なかった事も納得がゆく気がする。もっと緩い広報を打っていたら知られざる名作枠になっていてもおかしくないとすら思う。
制作のきっかけが個人的な友人である10歳の少女を喜ばせたいというものであったらしいことから興行映画というよりは元来、私小説に近いプライベートな暗喩を含む作品なのかもしれない。ライド出来ない理屈にも通じる。


感想は以上だ。無論、解釈は幾通りもあるだろうし、的外れなことを述べたやもしれん。
あくまで一意見、いや感想である。ちなみに、私の最も好きな映画の一つは「もののけ姫」である。機会があればそちらについても纏めたい。

ps. 久石譲の音楽が良すぎる。BGMが終始良すぎる。
「千と千尋の神隠し」の魅力の過半数は音楽が占めているのではなかろうか???

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