iCAREで僕が村長になった事情
株式会社iCAREのVPoE、安田です。
タイトルからすると、私が村長になった事情について話すべきところですが、まずは「iCARE文化村」についてお話したいと思います。
iCARE文化村とはなにか?
iCARE文化村はiCAREの文化を継承・発展・向上させるチームです。
任期は1年です。
過去は「イベント実行委員会」という名称で、会社のイベントを司るチームだったのですが、それが改名して2年前に文化村となりました。
文化村は、
- 社内交流イベント
- 社内勉強会
- 部署を越えて交流を促すランチ会
等、様々な社内の文化施策を実施しています。
iCAREではかなり強めな文化が形成されており、それはブログや社員たちのTwitterをご覧いただければご理解いただけると思います。
もちろんこうした文化は、この文化村の活動だけによるものではないのですが、文化村の貢献するところは大きかったと考えています。
そのiCARE文化村で・・・
実は4月から私が、このiCARE文化村の村長になりました。
文化村はここまで4代続いていて、ずっとCOO石野が続けてきました。この役割を引き継ぐわけですから、これはなかなかの大役ですね。
さて、ではなぜ私がこの役を引き受けることになったかなのですが、一言でいえば、CXOから声がかかったからです。ただ、私はそれを二つ返事で引き受けました。もちろん僕が軽率に返事するタイプなのかもしれませんが、二つ返事で引き受けたのには、僕なりの事情があります。
一つには、iCARE文化村とは別に、入社以降ずっと組織の文化作りを僕なりに工夫して進めてきたからです。CXOでもなんでもない自分がこんな大風呂敷なことをいうのは可笑しいと思われるかもしれません。
しかしながら、ここには僕の過去の苦い経験からの強い希望、願望が反映されています。
iCAREに入社するまでに僕は複数の会社で主にWeb開発をしてきました。
この中のある会社では開発部署のリーダーをしていましたが、その会社は部署間の争いが激しく、いわば部署間で責任の押し付けあいを常にしていました。そういう環境でリーダーをしていましたので、僕もチームの利害を守るために、いわば進んで他部署に責任を押し付けていました。そして自部署のメンバーさえ快適に仕事ができていれば、自分が良い仕事をしているような錯覚さえ覚えていました。
結局その会社はなくなりました(正確には合併吸収でしたが、合併後ほとんどのメンバーは組織を去りました)。いろんな要因はあったと思いますが、一番の要因は、この激しい社内闘争にあったと思ってます。
他部署の人間を敵対視し、自分の身のまわりの人間だけを守るのが「当たり前 = カルチャー」の世界の中で、私はそうでない世界「他部署の人間を信頼する世界」をイメージすることすらできませんでした。
なので、iCAREに入社する際、当時CTO(現COO)の石野から「開発文化を一緒に作りましょう」と言われたのですが、その言葉に本当に魅力を感じました。
上記の職場で、すでに出来上がったカルチャーに抗うことなく、そこに縛られ、翻弄された経験から、カルチャーの大切さを身に染みて痛感していたからです。
そうした次第で組織のあらゆる部署、あらゆる立場の仲間と信頼関係を築くということは、自分にとって非常に重要な課題で、会社から何か言われようが言われまいが、実現したい文化の一つでした。
そうした思いの中で、部活動を推進したり、GJ Carelyを推進したり、そういった文化活動を半ば「勝手に」続けてきたので、今回文化村の村長の話をもらった際は、全く断る理由がなく、むしろこの活動をさらに推し進めることができるという思いで、二つ返事で引き受けたわけです。
iCARE文化村村長として何がしたいか?
文化村の村長として何がしたいかについてはここまでの経緯で、すでに何となく伝わっているかとは思います。一番実現したいことは組織の仲間同士の信頼感の醸成です。また、同時に実現したいと思っていることは、この文化村のメンバーはもちろんのこと、組織の全員が、このiCAREという組織と文化を今以上に好きになり、一人一人が思わず文化作りに参加したくなるような組織を作ることです。
実はこの他にも文化村の村長として実現したいことはたくさんあります。
ただこの文章もすでに長くなってしまいましたので、この話はここまでにしたいと思います。
もし私の文化村村長としての活動、組織文化作りの活動にご興味をお持ちいただけましたら、ご連絡ください(こちら)
この続きを熱く語らせていただきます!
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