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愛犬の死について

以下は今朝、飼犬のファンクがなくなった後で書いた文章です。
家族・親族、生前にファンクをかわいがってくださった方々、ペットロスの気持ちを分かち合いたいという方々、もしくはガンを患っているペットを飼っていらっしゃる方々等にお読みいただければ幸いです。ファンクの命がこの世界でより大きな意味を持ちますように。

ファンクが今朝亡くなりました

今日は本当は普通に仕事のある日です。
ただどうにも仕事に向かう気力が起こらず、周りに迷惑をかけることにもなるので、仕事をお休みさせていただき、ファンクの思い出を書くことにしました。

癌との闘い

最後の2ヶ月ほどは癌との闘いでした。
病院で腫瘍を見つけた時には、すでに全身に広がっていて、摘出は難しいと言われました。
抗がん剤治療も提案され、家族ともさんざん話し合いましたが、それはやめました。
抗がん剤を投与したタイミングで、体調が悪くなることもそうだけれども、何よりその間に触ってもらえないのは、辛かろうと思ったからです。
撫でてもらったり、抱っこしてもらうのが好きだし、人間と違って、触ってもらえない理由なんてわからないから、そんな思いをさせるくらいなら、生きられる時間が短くても、幸せな気持ちで過ごしてほしい。
短い時間でも濃密に幸せな時間を過ごしてもらおう。
家族でそう話し合い、決めました。
抗がん剤治療についてはいろいろな考え方があると思いますので、正解はないんだと思います。
でも私はその選択をしたことに今は満足しています。

最後の2ヶ月は最後の別れだと思って、家族みんなができるだけ、ファンクと時間を過ごすようにしました。そのことは本当に良かったと思っています。昨日も呼吸が早く苦しそうではあったけれどと、娘と自分が寄り添ってやると、弱々しくはあるけれども嬉しそうな表情を浮かべていました。

あたりまえの存在

ファンクが亡くなった今、私はファンクが私達家族に与えてくれたものの大きさを改めて感じています。
癌になるまでは正直なところそれに気づいていませんでした。
当たり前のようにうちにいて、当たり前の存在。
かわいいけれども、そこまで重要な存在だとも感じていませんでした。

だからぞんざいに扱ってしまうことも多かったです。
言うことを聞かなければ叩いてしまうこともあったし、散歩に行って、中々歩こうとしなければ、イライラして引っ張ることも多かったです。

今思えば馬鹿なことをしたと思います。
なんでそんなつまらないことに拘泥してしまったのか。
ファンクが与えてくれたものの大きさの前に、言うことを聞かないとか、歩こうとしないとか、そんなことは、とんでもなく小さなことです。

ファンクを飼うことにかけては、本当に後悔することばかりです。ペットオーナーとしては本当に失格だと思います。
人生でここまでうまく行かなかった例はなかったんではないかというくらい、まずいペットオーナーだったと思ってます。

そういうぞんざいな扱いを受けても、ファンクは家族に対して愛情いっぱいに振る舞ってくれていました。ダックスフンドらしい愛らしさとちょっとお馬鹿さで、安田家に幸せと笑いをもたらしてくれました。安田家だけではないですね。親族の方々や友人、ご近所の方々にも幸せをもたらしてくれました。

その意味では、私なんかよりずっと徳を積んでいる気がします。

こどもの成長にとってのかけがえのない存在

子供の成長にとっても本当に本当に大きな意味がありました。

そもそもファンクを飼い始めた経緯は、娘が小さい時に毎週のように動物園に通って動物に触りに行ったり、「トリマーになりたい」と言ったりしていたので、こんなに動物が好きで、トリマーになりたいとも言ってるんだから、犬くらい飼ってあげないとなー、と思ったことが発端です。
そこから犬探しを始め、妻が同僚の方から譲っていただいたのがファンクでした。

結局、犬を飼いだしたら、娘はそれで満足したのか、動物園通いもなくなり、トリマーになりたい、とも言わなくなりました。そこがいかにも小さいこどもの気まぐれっぽいのですが、何にせよそのおかげでファンクはうちに来ました。だから娘のこの気まぐれにも感謝しています。

ファンクがうちに来たのは2歳くらいだと思います(ちゃんと覚えてないというのもだめなところですね)が、ものの最初からうちにいたかのようにすぐにうちに馴染みました。なんとなく戸惑いの様子を見せてたのは初日くらいだったかと思います。

エサや散歩、シャワー、動物病院は主に妻がやってました。
シャワーや散歩は娘も気が向くとやってました。
ガンになってからは息子も散歩に結構連れて行ってくれました。

僕は毎日の歯磨き、爪切り、足の毛カットといった役割を持ってました。あとは休日にたまに散歩に行くくらい。
だから、それほど関わってもいないのに、今ファンクがなくなったからと言って悲しむのもおかしな気はします。

こどもと犬の関わりに話を戻しますが、ファンクがうちに来てから、子供同士のケンカが減りました。
二人がギスギスする機会が減ったし、二人がギスギスしても、ファンクが二人の気持ちを和らげたのだろうと思います。

また娘は比較的精神的な波が大きい方なのですが、その波もファンクが吸収してくれていました。時には当たられたりしてましたが、とにかく子どもたちの精神的な安定に大きな役割を果たしていました。これは親にもできなかったことなので、本当に犬は偉大だなと感じています。

今こどもは21歳と17歳。
娘はちょうど大学受験なので、もう少しファンクに長生きしてほしかったと思うものの、二人が多感な時期を10年近く寄り添ってくれたことは感謝しかありません。もしくは幸運というべきか。
少なくとも飼い始めたときは、子供の成育上、そんないい影響があるとは考えてもいなかったわけですから。
子どもたちがまっすぐ育ってくれたこと。これはファンクに負うところが大きいことは間違いありません。

さまざまな思い出

ファンクの生前のいろいろを思い出すと、微笑ましい記憶ばかりです。
ファンクを連れていろいろなところに行きました。
キャンプにも行ったし、私と妻のそれぞれの実家にも連れていきました。
ペット可のペンションに泊まりに行ったりもしました。

ファンクは多分他の犬にナメられているところがあって、例えばドッグランで、他の犬が走り回っているところに、仲間に入ろうとしても無視されたりしてました。強そうな犬が近くを通ると、明らかに挙動不審になりながら、その犬の方を見ないようにしたり。
そういうところもコミカルでファニーで可愛かった。

私と妻の実家でも祖父母や親類からも可愛がられました。祖父母もファンクから多くの幸せを受け取ったんではないかと思います。

ファンクは12歳でした。
亡くなるのは何年か先だと思っていたので、癌だと伝えられたときは、家族みんな驚きました。
ここ半年くらいで随分老化が進んでいて、おかしいなとは思っていました。ただ病院で検査を受けても特に異常ない、と言われていたので、仕方ないかなとは考えています。

仕事も手につかないので、漠然とファンクのことを書き始めたのですが、結局自分は亡くなった今もファンクの素晴らしさ、ひいてはファンクそのものを感じたかったんだと気づき始めました。

今遺体は自分のそばにあり、ファンクがいなくなった空虚さを本当に感じるのはこれからなのかもしれませんが、こうやってファンクのことを書いているとファンクがまだ身近に感じられ、嬉しくなります。

天からの使い

しかし、一体なぜファンクはこのうちにやってきたのでしょうか?
もちろん娘が犬を飼いたがったからではありますが、それも含めて本当に不思議でなりません。天からの使いだとしか思えません。

娘が生前ファンクを英語で紹介するときに
Angel of Yasuda's family
と半分冗談で言っていましたが、今ファンクが亡くなってみるとまさにそうだとしか思えません。

家族に、周りの人間に、あれだけの笑顔と笑いをもたらしたこの存在の不思議さ、大きさに改めて驚きと感謝を感じます。

空虚さと無限の豊かさ

多分、今晩は家族とファンクの思い出を語りながらファンクの遺体と過ごし、明日以降で火葬する予定です。

今すでにファンクの生気の感じられない居間はガランとして空虚です。あの活気がなくなってしまっていることに寂しさを感じます。しかし、今はその空虚さを味わうことが、むしろファンクをフルに感じることでもあるので、その空虚さを全身に吸込もうと思っています。

ファンクが死に面するにあたって、死についても考えました。生きることの貴重さ、豊かさ、死がただの終わりではないこと、などなど。
結局意図してか意図せずか、命の貴重さについてもファンクは教えてくれました。

ファンクはどれだけの豊かさを私達に与えてくれたのでしょう?
まだまだ私はその大きさに気付いていないと思います。
おそらく無限の豊かさを与えてくれていたのでしょう。
その無限の豊かさから、それを十分に受け取れていないだけで。

安田ファンクは2023/05/30 08:40頃亡くなりました。

生前の様子の覚書

好きだったこと

  • 自転車のかごに乗ること

    • 坂道を降りるときに耳が風にはためいて可愛かった

  • 車の助手席に乗って窓を開けて顔を出し、窓外を眺めること

    • この時も風に耳がはためいてかわいかった

  • 朝の散歩でご近所の方々から撫ぜてもらうこと、エサをもらうこと

    • 近所の方々に感謝です

  • 餌を食べること

    • がっつきすぎて、食べたあとにゲーゲーするので、突起がついて食べにくいエサ入れを使っていた

  • 玄関で家族の帰りを待つこと

    • 夜、家族全員揃っていないことを気にかけていることがよくあった。ただ、全員揃ってても玄関で誰かを待っていることもあった。

  • 来客

    • 来客がインターホンを押すとうるさく吠えた。躾けようとして、テレビでやってた銀の皿を落としてみたが、その時は吠えないけれども、吠えない習慣は身につかなかった。

  • 旅行

    • 前の晩に妻が2階で旅行の準備を始めると、落ち着かず、階段の下でフンフン騒いでいた。挙げ句の果は興奮しておしっこをして、よく怒られた。

  • うんち

    • うんちを食べる習慣は、治そうとして色々試み、格闘したが、結局治らなかった。

  • きゅうり

    • うんちを食べさせないように、うんちを食べたあと、すぐきゅうりをやるようにしていた。うんちしたあと、うんちを処理していると、冷蔵庫の前でクルクル回っていた。きゅうりをやるとそそくさとハウスに戻って、そこに顔だけ突っ込んで食べていた。うんち後のきゅうりはばっちり習慣化されたが、うんちを食べない習慣は結局身につかなかった。

  • 撫ぜてもらうこと

    • 散歩で出会った人にすぐにひっくり返ってお腹を見せていた。撫ぜてもらうと、いつまでも何故てもらいたがった。犬よりも人が好きだったようだ。

  • ホームセンターのカート

    • とにかく乗り物が好きで、多分カートに乗りたくて、ホームセンターに入りたがった。

  • 顔をなめること

    • 飼犬、飼い主双方に良くないということで、自分以外の家族はみんなやらせないようにしていた。自分は拒絶するのも可愛そうな気がして、けっきょくよくやらせていた。
      シャワーを顔に浴びること。体にシャワーをかけていると顔をそっちに向けて、顔にシャワーを浴びたがった。

  • 娘の布団で寝ること

    • 死の前々日の夜も、呼吸が苦しそうなので、酸素ハウスに入れたけれども、弱っているのにも関わらずそこから出たがった。多分いつものように娘の布団で娘と一緒に寝たかったんだと思う。

  • 座っている人の膝に乗ること

    • 座っていると当然のようにそこに乗って寝そべっていた

  • テーブルの椅子に乗ること

    • 足が弱ってきてからも頑張って飛び乗ろうとしていた。

事件

  • ブックオフ侵入事件

    • 自分がブックオフとツタヤの2階建ての建物でビデオか何かを返し2階に行って、ファンクを店の前につないでおいたら、それが解けたらしくて、自分を探しに、1階の店に侵入。一階が騒がしいなと思ったら、ファンクが一階を駆け回ってこどもをびっくりさせていたらしい。お店のお姉さんに抱えられて店から出てきた。

  • 畳の部屋の弁当のおかずだけを食べた事件

    • 朝、妻が弁当を覚ますために畳の部屋に弁当をおいておいたら、「おかずだけ」きれいに食べられていた。妻は一瞬何が起こったかわからず、泥棒が入ったかとおもった、と。ご飯は食べにくいと思ったか。

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