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『デジタルエコノミーの罠』著:マシュー・ハインドマン 訳:山形浩生は、安易なGAFA批判を終わらせる。GoogleがEvilなんじゃない。勝ち負けがハッキリつくという、技術の本質こそが多様性を失わせている。

本の内容紹介イベント,第2回を行います!

第2回の内容紹介イベントを行います!
第1回にくらべて、「より、本を読んでない人フレンドリーに、内容紹介と論点整理をやって、ディスカッションの生産性をあげよう」と考えています。

第1回は、内容が衝撃的すぎて、翻訳の山形さんに質問したく、相談したら快諾いただきました。デイリーポータルZの林さんと一緒に色々質問しました!


この本はエコノミーの本でなくてニュースや情報やコンテンツや言論空間の本

献本ありがとうございます:

程度の差はあれ、誰でも世の中への関心はあって、ニュースは見るだろう。SNSでシェアしたりコメントしたり、自分の考えを広めることもしているだろう。誰でもコメンテーターもどきができるようになったのはインターネットの偉大な成果だ。
そうやって誰でも直接ニュースに触れられて、配信も始められるようになった、2005年にティム・オライリーがWeb2.0を提唱して16年後のインターネットは...一部のサイトとそれ以外でまったく逆転できないほどの圧倒的な差がついた、多様性のないものになってしまっている。そして、その「多様性のなさ」はますますひどくなってきている。
この『デジタルエコノミーの罠』は、なぜ多様性が失われているかについてをさまざまなデータやモデルをもとに立証した本だ。手法は経済学の手法だが、ここで扱われているのは僕たちの関心経済、読み書きするもの、ネットの言論を左右するものだ。それは、言論の中身ではなく、フォーマットや物理材だった。そこに何が書かれているかは、なんであっても大差ない。

(仕事量が)お金が思想を支配する。逆ではない。

ネットでは、大規模サイトのほうが小規模サイトよりも一人あたりの広告料が高い。サイトは大きくなるほどユーザ一人あたりの収益が上がり、富めるものはますます富んでいく。
逆に、更新の少ないサイト、読み込みの遅いサイトは毎時毎秒少しずつユーザが減っていく。その大きいサイトと小さいサイトの差は複利でますます大きくなっていき、すぐ取り返しのつかない差になる。

大きいサイトを生むのはコンテンツの内容ではない。読み込みを高速化し、さまざまなプラットフォームに最適化し、いつきても新しいコンテンツが掲載されている..そうした大量の資本と物理材(サーバや回線、広告、編集、開発チーム)を備えた大サイトとそうでないサイトの差は、広がりこそあれ縮まることはない。AIもモバイルインターネットも5Gも、開発される新技術はますます巨人の優位を揺るぎなくさせていく。
コンテンツの内容は一要素に過ぎず、なによりも巨大プラットフォームであることが重要、それが今のインターネットだ。

本書の帯のなぜ不平等は生まれ、メディアは衰退するのかは、内容を見事に表している。

「神は死んだ」多様性の失われるネットに向けて

インターネットでは常に新しいものが登場し変化し、同じところにとどまることがないー伊藤穰一やネグロポンテやクリスアンダーセンが解くネットの未来は、ここまでは正しいーしかし、その変化は常に巨大プラットホームの優位をロックインし、複利でさらに広げてしまう
技術革新であれオープンソースであれ、多様性をひろげることはない。むしろ現時点で大量にデータが溜まっていることは、多少の機械学習アルゴリズムの差なんか押しつぶしてしまう。
デザインやインターフェースの革新も読み込みが遅ければ意味がない。逆に通信回線の進化も、常に更新されるコンテンツや優れたインターフェースがなければ意味がない。今の大手ネット企業、FacebookやGoogleやAppleやMicrosoftはそのどの部分にも投資している。
ピケティの「21世紀の資本」は、「どうやら所得格差は常に広がる方向にあるぞ」と立証したことですごい本になったが、この「デジタルエコノミーの罠」は、ネットの多様性を完全に殺したことで、とりあえずこの本の内容をちゃんと理解しないとネットの話、ひいてはニュースや情報やコンテンツや言論の話はできないという位置に立ったと思う。
山形さんの解説は、そこをわかりやすく説明している。

⽇本に限らず、アメリカでも地⽅メディア(新聞、テレビ等)は急激に衰退しつつある。かつての地⽅メディアは、その地⽅の⼈間に集中的なマーケティングが可能だったところに価値があった。
でもメディアがウェブに移⾏した現在、その優位性は完全に崩れた。もはやだれも地⽅メディアのサイトなどにアクセスしない。地⽅メディア復活の処⽅箋を語る各種論者は、この基本構造を理解していないために、まったくトンチンカンな話しかできていないのだ、と。これまた、その議論は実証データで完全に裏付けられている。

安易なGAFA批判の本ではない。技術の本質についての話。

ピケティの21世紀の資本は、「ある特定の金持ち」を分析したのではなく、お金そのものが金持ちに集中する声質を持つことを立証したので偉大な本になった。
本屋には安易なGAFA批判本が並んでいる。この本もテーマ的にそこに加えられるかもしれないが、内容はまったく違う。この本は、現在のインターネットテクノロジーと利用者の性質、つまりデジタルテクノロジーの本質が集中にあることを証明している。グーグルに変わる何かが出てきても、やっぱりそれは大巨人なのだ。
僕はグーグルとマイクロソフトには複数人友人がいる。いずれも優秀な技術者で、技術者が気持ちよく仕事できるのはいい会社だし、その仕事に格別の悪意やインチキはない。そうして開発された技術は世の中を進化させている。技術者とテック企業はリスペクトされるべきだ
僕は今の世の中はまだまだ技術を軽視していて、あらゆる意思決定や重要度をもっと技術以外のものから、技術重視にしたほうが世の中は良くなると思っている。なんとなくの「お気持ち」や「不安」よりデータ。「人間の暖かさ」みたいなものよりも自動化。人類はもっとそっちに向かうべきだと思っている。
一方で、そのデジタル技術とテック企業の本質こそが多様性を失わせていることから、目を背けてはいけない。

ネットに背を向ける必要性が出てきた

では、どうすればいいのだろう。
本書はインターネットとそれを支える技術、何よりもそれを使う人間の特性が、集中をすすめ、多様性をなくしていくことについてさまざまな事例とデータで実証していく。
一方でそれに対する処方箋は難しい。一つは独占禁止法の適用だが、本書は現在の独占禁止法がいかに骨抜きになり、EUとアメリカの基準の違いで機能不全になっているかについても紹介している。
そもそも、国家がネットより上位に立っていて、世の中のためになにかしてくれるというのがいまいち説得力がない考え方だ。グーグルやアリババのほうが、トランプや習近平よりも世の中のためになっていると思うし、そこに政治や国家が介入して、今より良い世の中になるんだろうか。
それはピケティの本が持つ、「じゃあ今、市場経済をコントロールする、よりよい方法があるのかな?」という問いとオーバーラップする。

シンガポールは政治家と官僚がメチャメチャ優秀なので、政府による企業のコントロールにある程度成功していて、規制産業であるカジノのもたらす収益の使い方に制限をつけて、をうまく雇用に還元している。「デジタルエコノミーの罠」でも、小さいメディアはどうやっても収益化できないから税金ほかで運営しよう、みたいな話がでているけど、グローバルテック企業包括課税みたいなことを行って、そのお金で小さいメディアを補填するようなことは可能性あるかもしれない。(僕はそのほうがビッグブラザー的でイヤだけど。シンガポールの場合、カジノが規制産業なことをうまく使っているけど、メディアは規制産業ではないし国営メディアは大企業メディアより更に気持ち悪い)

バニー・ファン的な生き方は21世紀の実存なんじゃないか。自分がつかめるブロックを積み上げよう。

「デジタルエコノミーの罠」の翻訳者でもある山形さんの監訳「ハードウェアハッカー」で、著者バニーファンのこんなフレーズがある。

 僕は抽象的な(書かれないと存在しない)ことにはいつもあまり興味がなく、ハードウェアに興味がある。僕は自分の目よりも、手で物事を理解する機会に多く恵まれた。
 僕は子供の頃からいつも、ブロックを積み上げたり叩いたりするようなフィジカルなことで物事を理解してきた。この本は僕の最近の体験、この20
年間でブロックをどう積み上げ叩いてきたかをシェアするものだ。

僕はインターネットとサイバースペースが大好きなギークだが、中国ではGAFA的なプラットフォームに触れるのがVPN越しで大変だ。アリババ他の中国大手プラットフォーマーは、中国語の情報提供がほとんどで、僕は触れづらい。
結果として、日本やシンガポールにいた頃よりネットを見る時間が減っている。取引先や友だちと会う、知らない街を歩く、筋トレをする、ガジェットを試すなどの時間が増えている。今やってることの多くはググっても情報が出てこないことだ。
もちろん僕は、このNoteを始めさまざまなプラットフォームやSNSに原稿を書いている。その収入は趣味のための大事なものだ。だから完全に縁が切れたわけではないが...
今の生活は以前よりも「ブロックを積み上げたり叩く」生活に近い気がしている。それでもけっこうアクティブに動けるし、ネットの良い部分の恩恵を受けることはできる。関係性に背を向け、他人との比較をやめ、社会全体をあまり気にしないで、なるたけ自分だけがやりたいことに没頭していく..自分がつかめるブロックを、積み上げたり叩いたりする時間を増やしていく。ネットは使うけど、ネットに出てこないことを追いかけていく。
神のいない人生とはそういうことなんじゃないか。

でもこれも、「世間のことを気にせず価値観を共有できるコミュニティの中で暮らしていく」という点で、ビジネスモデルとしてはオンラインサロンと変わらない。どんなコミュニティにハマるかは自由だけど、怪しいコミュニティに毎月たくさん払うより、ちゃんとググったほうが自分と世の中のためだとは思う。

何かを考える、何かを話すときに、「今書く・話す・読むことは、『デジタルエコノミーの罠』とどういう関係があるか」を気にしながら動くことができるようになれば、本書を読む価値はじゅうぶんにあるんじゃないだろうか。



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