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誰にとってもオススメな経済学の民主化本:ケンブリッジ式経済学ユーザーズガイド ハジュン・チャン

文句なしでオススメ。ちょっと長いけど、文章も図もわかりやすくて変なストレスがない。Kindle版もある。伊藤亜聖先生の講義に登場していたので読んでみた。


著者のハジュン・チャンはケンブリッジ大学の経済研究者。
タイトルの「経済学ユーザーズガイド」(英文も同じ)のとおり、経済学の主要な学派について明快な説明と、利点欠点を説明している。
他の解説本と大きく違う点は、経済学そのものについて明快に定義し、豊富でわかりやすい例で実証していることだ。

・経済学と政治は不可分である。市場原理というまえに、何を市場に載せるかは政治の問題だ。
・どの経済学も、それで得する人と損する人がいる。経済学は絶対的に正しい一つの解に収斂するような科学ではなく、価値判断を伴う。

僕自身は、ダメな国営企業や癒着まみれの規制のイメージが強く、なるべく市場を損なわない方が上手くいくだろうと、基本的には考えている。この本は大好き。一方で、「経済学ユーザーズガイド」を読んで、少し認識はアップデートされた。

市場を作る時に政治を無視できない

市場に載せて良いもの、いけないものは政治で定義される。たとえば奴隷貿易、武器、麻薬、カネを払えば免許が手に入るなどは合法的だったものが非合法になりつつあるが、国(政治体制)によってラインは違う。
逆に、特許権・商標・炭素排出権・仮想通貨などは昔は存在しなくて今は市場になりつつある分野だ。
また、食べ物を売る店には特別な規制が、同じ金融業でも銀行とプライベートファンドには別々の規制がある。そうした規制はダイナミズムを損なうし、時には既得権を生みイノベーションを阻害するが、2008年からの金融危機はまさにそうした規制が緩和されて金融業がイノベーションを繰り返した結果でもある。
つまり、闇雲に規制するのはもちろん間違いだが、規制は市場にとっても大事であり、どういう規制をどう適用するかは常に問われなければならないし、国や文化によってラインが違う。

自由貿易もどういう状況でも全員が富むわけではなく、むしろ日本、中国、シンガポールなどは自国産業の保護をかなり露骨にやってそれで成功したし、アフリカは世界銀行などの指示で自由化して大失敗した国が多い。歴史で見ればアヘン戦争はまさにイギリスが輸入品目の解放を力づくで行ったもので、自由貿易のための戦争でも悪いことにきまっている。

どの経済学も、それで損する人得する人がいる

たとえば、社会の貧富の差が少ない方が全体的に成長するという理論とトップがひたすら富めば貧困層にもトリクルダウンしてくるという理論がある。

少なくともスターリン毛沢東ポルポト的な平等は失敗している。一方でアメリカ他、歴史上もっとも貧富の差が大きくなっている国は多いが、トリクルダウンが起きたという実証的なデータは乏しい。

「富裕層がもっと稼げる社会になれば全体が向上する」は、そういう社会もあるかもしれないが、ならないことの方が多い。貧富の差をうまく縮めるようなアプローチはとても大切で、ポルポト的な大失敗のほかに、上手くいく例も多数ある。(たとえばシンガポールは国営の住宅公社のおかげで国民の大多数が自分の家を持てている)

つまり、全体を富ませようとしたときに、富裕層を伸ばした方がいいのか全体の底上げが必要なのかは、立場が反映する問題で、物理のようにシンプルな解が出るものではない。どちらのアプローチもありえて、大事なのは実際に何をどう行うかだ。

意見と経済学派はセット

僕自身は政府が介入して現状を変えようとするとかえって悪くなる、と思うことの方が多い。一方でアパルトヘイトもサブプライムローンも法律に則った行為ではあって、合法だからなんでもいい、現状こうだからなんでもいい、という思考停止は良くない。
現状をどの程度肯定するかで、経済学の学派ごとに価値判断がある。経済学は意見や理想とセット
たとえば(文中の紹介では)
・クルーグマンなどの新古典主義経済学は「理想の社会」みたいなものは想定せず奴隷制が残る国でもそうでない国でも等価に扱うが、マルクス主義には「発展段階」という考え方がある
・マルクス主義が、発展という考えがあるから素晴らしいかどうかはまた別。
・新古典主義が、現状肯定しての分析をするため、途上国の収奪的労働なども肯定してる(それでも仕事が無いよりマシ、というロジック)のもどうかと思われる。
のように、それぞれのドグマを紹介していくのは面白い。

「うまいことやった開発独裁の話が経済的に理論にならないのは、実務家のやることは毀誉褒貶が多くて知的に純粋な理論になりづらいから」とか、
「イノベーションのジレンマ等で知られるシュンペーター学派の考え方はマルクスの熱烈な信奉者だから生まれ、マルクスは技術革新を初めてマトモに扱った経済学者」
などなどのトリビアはそれぞれの特徴を出すようによく考えられていて、読んでいて飽きない。読みやすくてためになる本であることは過去作にも共通している。

批判的な目線から見えてくる普遍性

本書は通説を安っぽくこき下ろして悦に入るような本ではない。著者自身が経済学者であり、どの学派に対しても敬意と愛は感じる。
そして、こうして様々な学派解説をし、それぞれの一長一短を十分に説明する理由を、安っぽいこき下ろしではなく
長期的には多様な遺伝子プールを持つ生物学的集団のほうが抵抗力があるように様々な理論的アプローチが重要」と言い切る姿勢がすばらしい。

ユーザーズガイド執筆の狙いも、「経済学が価値判断を伴う以上、すべての人が経済学を学んで、自分の価値判断を社会に反映させることは大事」と、シンプルで普遍的なものだ。どちらも、それはハードウェアハッカーにも通じる普遍性だ。
著者の主張はプロトタイプシティとは逆方向で、「規制や保護は大事だ、ちゃんと考えよう」というものだけど、どちらも成り立つのはここまで書いてきたとおりだ。

結果として本書を読んで学べることは、「AもBも場合によっては正しいしそれぞれにはトレードオフがある。自由市場はよく間違いをおかすので、うまい規制や再分配について常に考え続けていかねばならない」という、実践が伴わなければあまり意味の無いことだ。それは安易な断言より価値がある。政府の介入、国営企業の価値、再分配の必要性をきちんと評価しようとしていることも興味深く、ピケティと並べる人がいるのもわかる。


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